
今年の師走は寒い朝と暖かい昼間とで冬の楽しさを味わわさせて頂いています。

◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。 ◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」は、「伊勢原市の歴史や文化財を守り、育てる」と言う理念を元に、欧州のツアーリズムから発生した「ホスピタリティー hospitality」の精神を受け継ぎ、伊勢原市民は勿論、何らかの理由で伊勢原市を訪れる皆さんを「無報酬で、最高のおもてなしの方法」を提案したり、実践したりしたいという方々の集まりです。 ◆写真はクリックすると大きくなります。
縄文期(8000年前)の石器・土器である。 最後に、出土品は手にとって見ても良いよ云う説明があり、びっくりした。しかし、今は石器、土器はあちこちで出土するので、それほど慎重に扱わなくとも良くなったのかもしれない。折角なので、落とさないように注意し、いじくりまわした。こんなに気楽に石器、土器に触れた事が無い。感動! この辺りは縄文期から人々の暮らしが延々と続いていた状況が理解できた。
前述の名主分家の屋敷跡からであろうか?沢山の陶磁器が出土している。
また、銭も出ている。祭祀用(地鎮)に使ったものでなかろうかという話も出た。<道状遺構の概要>
1、道状遺構3号
道状遺構3号と呼んでいる遺構は、左全図の道状遺構(黄色部)で、幅4,5mの遺構である。 道であると云う証拠は、掘り込んでゆくと堅く締まった硬化面があり、帯状に延びているのでかつて道であったと云う訳です。
特に、3号道状には、良く分からない穴があり、灯篭や道標が建っていた跡ではないかと推察しているようである。
左写真=3号道状
(石倉橋交差点から北に向かって撮影=茶色部)
左の写真=凹みを指さす説明員。(燈篭跡か?)
2、道状遺構2号
道状遺構2号は上全図上部の横に伸びた黄色部である。この道路は左に行けば大山に通じ、右は伊勢原に通じている。説明を聞けば直ぐ「青山道」ではないかと推察できた。説明者も同じような事を云っていた。
最端部で上手く撮影できなかったが左が大山に続く方角である。
層に宝永の富士噴火の層が見えると云うので後で見てくれた。に行ったが良く分からない。現地の係員が中に入って撮影ししてくれた。 中央の筋がの層である。
<埋蔵文化財発掘調査の概要>
1、道路整備事業に伴う発掘調査
伊勢原市上粕屋石倉橋近辺の遺跡発掘調査は現在工事中の(第二)東名高速道路から厚木秦野道路(国道246号線バイパス)のICへ接続する道路となるための「埋蔵文化財の記録保存」としての発掘調査で、今年の10月のブログにも掲載したように、神奈川考古学財団の手で、2010年1月から始まっている。
写真は「都市計画道路西富岡石倉線」及び「伊勢原北IC(仮称)接続区間」整備事業計画の平面図と完成予想図である。
2、調査区域の全体図と成果
調査区江戸時代に賑わった大山裾部に位置し、石倉橋とは江戸時代に賑わった大山道に沿っ
呼ばれ、各地域と大山を結ぶ街道が合流し、三の鳥居を経て門前町に至る経路で、帰路の江の島や鎌倉に至る分岐点として古くからの交通の要所でした。 これまでの調査の結果、大山道に沿った江戸時代の建物跡や道状遺構、奈良、平安時代の円形土抗や縄文時代(8000年前)の落とし穴等が発見されている。 (以上、パンフより)
<建物跡遺跡の概要>
建物跡は主に現在の大山道に沿って点在している。今回の主な成果となった江
戸期の建物跡からは陶磁器などを中心として、かなりの裕福層の建物跡と思われる。(全掲の地図参照:空色部)
この地域の名主である石倉何某の分家であったと云うのが通論らしい。家主は明治期に自由民権運動にもかかわった方らしく、地元では有名らしいが良く分からない。出土した陶磁器から見ても元禄期の備前焼などが殆どで、中には庶民には手の出ない、大名級の磁器もあると云う。