8月26日(金)、タウン誌「伊勢原タイム」に「キャー!大山街道!!」の紹介記事が掲載されています。
先月、著者の中平さんと「平塚からの大山道」を歩いたばかりなので、とても強く目に飛び込んできました。 出版した風人社は商売とはいえ、しっかりと地についた、足で集めた確かな情報で編集しており、その分読者にもとても優しい。
9月23日(金・祝)第2回目の「著者と歩く大山道ウォーキング」を柏尾道で計画しています.
私はこんども参加します
詳しくは風人社へ・・・。
◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。 ◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」は、「伊勢原市の歴史や文化財を守り、育てる」と言う理念を元に、欧州のツアーリズムから発生した「ホスピタリティー hospitality」の精神を受け継ぎ、伊勢原市民は勿論、何らかの理由で伊勢原市を訪れる皆さんを「無報酬で、最高のおもてなしの方法」を提案したり、実践したりしたいという方々の集まりです。 ◆写真はクリックすると大きくなります。
2011年8月26日金曜日
2011年8月18日木曜日
どっこい!!伊勢原は首都文化圏の町
伊勢原まで、小田急線で「新宿から1時間」と言うが、反対に、首都東京圏まで1時間で行けるという伊勢原は、さまざまな点で世界の最先端を味わことができる「首都圏」の町であることを日々実感している。特に、文化財や歴史に関しては、「国立博物館」や「江戸東京博物館」「上野の美術館」などを訪問することは苦労はしない。一寸、気にかければ世界の最先端の情報や機会に出会うことができる。
そんな伊勢原に住んでいることのメリットを満喫したいと今回はクラシック音楽界に乗り込んでみた。
新聞でチラッと見附けてしまった「読売日本交響楽団」の「三大交響曲」演奏会。場所は六本木、サントリーホール。指揮者は国際コンクールで優勝した若手の山田和樹。神奈川県出身だ。
三大交響曲と言えば、学生時代、銀座の「ランブル」と言うクラシック喫茶で、貧乏人の仲間が集まり、汚れた髪を振り乱しながら、深刻ぶってきいた「未完成」「運命」「新世界より」である。本物など聴いたことがない。強いて言えば、東海大のクラブ活動の発表会で本物の音を聞いた程度だ。
パソコンを操って、調べ上げ、冥土の土産とはいえ、S席は高い、一階席の後方に三列だけあるB席を注文。6000円。舞台の後ろ、横、二階席など安い席はあるが念願の音である、一階席で聞きたい。
開演日の八月十七日は暑い日だ。二時から三時まで、大山公民館で「新編相模国風土記稿を読む」という講座に出て、三時半ころ自宅を出る。会場に着いたのが五時半。六本木自体はは大きなビルのようで道がない。節電で電車も街も暑い中、ようやくサントリーホールにたどり着く。
首都圏とはいえ伊勢原から首都圏文化を味わうのは、やはり大変である。
1000人ばかりの会場は満員である。敬遠した後ろの席も満員。
皆、手慣れた聴衆のようだ。楽章毎の拍手はないが必ず咳ばらいが起こり、1,2分ざわつく。しかし、楽章毎の休みは1と2だけの間で、3楽章と4楽章は続けて演奏された。そこが若い時と違った。私としては、第3楽章の後も休みで切って、最後お第4楽章の感動をきたしていたが、一寸拍子抜けの感じがした。しかし、最後は大きな拍手と、お誉めの大声もあり、鳴りやまない拍手に、指揮者は何回も舞台に出てきて、団員をほめたたえる。これはいつもの光景。ただ、私の所属する「伊勢原男声合唱団」の舞台と違うのは、いくら拍手が続いても「アンコール」はない。
殆ど二人連れで一人で来ているものなどいないようだが気にはならない。素直に、日本一tの腕をもった楽団員の演奏に感動する。目をつむって聞くとラシック喫茶店のレコードと同じ音である。当り前である。
伊勢原駅に着いたのが10時半頃。バスはない。タクシーはもったいない。軽い脚を利用して約2kmを歩いて帰宅。
次回の首都圏文化との接触は誰かと行きたい。なんだか分からないが・・・・・。
そんな伊勢原に住んでいることのメリットを満喫したいと今回はクラシック音楽界に乗り込んでみた。
新聞でチラッと見附けてしまった「読売日本交響楽団」の「三大交響曲」演奏会。場所は六本木、サントリーホール。指揮者は国際コンクールで優勝した若手の山田和樹。神奈川県出身だ。
三大交響曲と言えば、学生時代、銀座の「ランブル」と言うクラシック喫茶で、貧乏人の仲間が集まり、汚れた髪を振り乱しながら、深刻ぶってきいた「未完成」「運命」「新世界より」である。本物など聴いたことがない。強いて言えば、東海大のクラブ活動の発表会で本物の音を聞いた程度だ。
パソコンを操って、調べ上げ、冥土の土産とはいえ、S席は高い、一階席の後方に三列だけあるB席を注文。6000円。舞台の後ろ、横、二階席など安い席はあるが念願の音である、一階席で聞きたい。
開演日の八月十七日は暑い日だ。二時から三時まで、大山公民館で「新編相模国風土記稿を読む」という講座に出て、三時半ころ自宅を出る。会場に着いたのが五時半。六本木自体はは大きなビルのようで道がない。節電で電車も街も暑い中、ようやくサントリーホールにたどり着く。
首都圏とはいえ伊勢原から首都圏文化を味わうのは、やはり大変である。
1000人ばかりの会場は満員である。敬遠した後ろの席も満員。
皆、手慣れた聴衆のようだ。楽章毎の拍手はないが必ず咳ばらいが起こり、1,2分ざわつく。しかし、楽章毎の休みは1と2だけの間で、3楽章と4楽章は続けて演奏された。そこが若い時と違った。私としては、第3楽章の後も休みで切って、最後お第4楽章の感動をきたしていたが、一寸拍子抜けの感じがした。しかし、最後は大きな拍手と、お誉めの大声もあり、鳴りやまない拍手に、指揮者は何回も舞台に出てきて、団員をほめたたえる。これはいつもの光景。ただ、私の所属する「伊勢原男声合唱団」の舞台と違うのは、いくら拍手が続いても「アンコール」はない。
殆ど二人連れで一人で来ているものなどいないようだが気にはならない。素直に、日本一tの腕をもった楽団員の演奏に感動する。目をつむって聞くとラシック喫茶店のレコードと同じ音である。当り前である。
伊勢原駅に着いたのが10時半頃。バスはない。タクシーはもったいない。軽い脚を利用して約2kmを歩いて帰宅。
次回の首都圏文化との接触は誰かと行きたい。なんだか分からないが・・・・・。
2011年8月13日土曜日
各地の灯籠<山開き中の大山道の道案内>
大山阿夫利神社山開き中の7月26日から8月17日まで、大山参詣の主要な主要な場所に、灯籠が灯されます。
昨年は、8月9日、メール名tobikunnから伊勢原市小稲葉付近の写真を頂き、4枚ばかりUploadしましたが今年は7日の午後、文化財課のS氏にの案内で、世田谷にある出版社、風人社の編集者と一緒に、秦野市や平塚市の城所や豊田方面など、10か所ばかり回ってきました。
この日は午前中、子易で「大山道・道標の話を聞く会」があり、その延長でした。
風人社は大山道関係の出版物を手掛けていることで有名ですが、灯籠が「各地の集落の有志集団が持ち回りで管理している。」と言うことにとても興味を示したいました。
灯籠は地域の実情に合った建て方で建てられ、解体保管されているところが殆どのようです。その為の保管小屋の立派なものもありました。
今回は、その内5ヶ所の写真をuplaodしました。 写真は風人社さんから頂きました。
場所については、地図にポイントしましたので、次のURLで見て下さい。
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.42724595784466&lon=139.28532326171847&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=sra&home=on&hlat=35.41409629087648&hlon=139.27365028808577&layout=&ei=utf-8&b=1&type=scroll
大山道灯籠No3(平塚市大島)
大山道灯籠No5(伊勢原市小稲葉仲西)
大山道灯籠No6(伊勢原市小稲葉八幡前)
大山道灯籠No4(伊勢原市小稲葉下之町)
大山道灯籠No7(伊勢原市小稲葉細町)
大山道灯籠No2(秦野市鶴巻下部)
大山道灯籠No1(平塚市北豊田)
昨年は、8月9日、メール名tobikunnから伊勢原市小稲葉付近の写真を頂き、4枚ばかりUploadしましたが今年は7日の午後、文化財課のS氏にの案内で、世田谷にある出版社、風人社の編集者と一緒に、秦野市や平塚市の城所や豊田方面など、10か所ばかり回ってきました。
この日は午前中、子易で「大山道・道標の話を聞く会」があり、その延長でした。
風人社は大山道関係の出版物を手掛けていることで有名ですが、灯籠が「各地の集落の有志集団が持ち回りで管理している。」と言うことにとても興味を示したいました。
灯籠は地域の実情に合った建て方で建てられ、解体保管されているところが殆どのようです。その為の保管小屋の立派なものもありました。
今回は、その内5ヶ所の写真をuplaodしました。 写真は風人社さんから頂きました。
場所については、地図にポイントしましたので、次のURLで見て下さい。
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?lat=35.42724595784466&lon=139.28532326171847&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=sra&home=on&hlat=35.41409629087648&hlon=139.27365028808577&layout=&ei=utf-8&b=1&type=scroll
大山道灯籠No3(平塚市大島)
大山道灯籠No5(伊勢原市小稲葉仲西)
大山道灯籠No6(伊勢原市小稲葉八幡前)
大山道灯籠No4(伊勢原市小稲葉下之町)
大山道灯籠No7(伊勢原市小稲葉細町)
大山道灯籠No2(秦野市鶴巻下部)
大山道灯籠No1(平塚市北豊田)
2011年8月11日木曜日
大山・這い子坂・易往寺参観
8月7日(日)大山・這い子坂近くにある現代押し花アトリエ「花あそび」で、「大山道・道標の話を聞く会」がありました。伊勢原市歴史アドバイザーの西部氏が相模川以西の大山道・道標をもれなく訪ね歩き、写真撮影した過程や道標にまつわる話を聞く会で、世田谷の出版社風人社さんや江戸五街道と大山道を踏破した海老名市のT氏、市の文化財課の担当者などにもおいでいただき、総勢10人ばかりの集まりでしたが話が細部にも盛り上がり、大山道の新しい紹介分野に話が弾みました。
易往寺見学は会終了後、会場を貸していただいた方が易往寺の親戚筋に当たっていたので、紹介していただき、ご住職さんはお留守でしたがお内儀の計らいで、じっくりと見させていただきました。
易往寺の仏様は伊勢原市教育委員会が編集した「伊勢原の仏像」にも掲載されており、又、今は安産の寺として有名です。
大山・東学坊さんのHPには次のように紹介されています。
大山街道を進むとバス停「這子坂」(はいこざか)があります。
『易往寺』(いおうじ)はこの右手上方にあります。平成9年には念願の本堂が建立されました。この寺は大山にとって大きな役割を担っていました。
879年(元慶3年)、関東一円を襲った大地震による山津波や大火災で大山は一時壊滅状態となり、大山寺への参拝が困難になってしまいました。その際、大山を開山した良弁僧正(ろうべんそうじょう)の孫弟子にあたる大山寺第四世弁真和尚が大山不動の仮安置所として881年(元慶5年)に易往寺を建立し、庶民はここで参拝したのです。この地には通称・子易姥子様と呼ばれる、良弁僧正の母を手本とした「子易祖母山子育大日如来堂」が建てられ、民間信仰の「咳止めのおば様」と習合して安産子育・咳止めの信仰を集めました。現在その御堂はありませんが、今でも易往寺では安産のお札を頂くことができます。
易往寺見学は会終了後、会場を貸していただいた方が易往寺の親戚筋に当たっていたので、紹介していただき、ご住職さんはお留守でしたがお内儀の計らいで、じっくりと見させていただきました。
易往寺の仏様は伊勢原市教育委員会が編集した「伊勢原の仏像」にも掲載されており、又、今は安産の寺として有名です。
大山・東学坊さんのHPには次のように紹介されています。
大山街道を進むとバス停「這子坂」(はいこざか)があります。
『易往寺』(いおうじ)はこの右手上方にあります。平成9年には念願の本堂が建立されました。この寺は大山にとって大きな役割を担っていました。
879年(元慶3年)、関東一円を襲った大地震による山津波や大火災で大山は一時壊滅状態となり、大山寺への参拝が困難になってしまいました。その際、大山を開山した良弁僧正(ろうべんそうじょう)の孫弟子にあたる大山寺第四世弁真和尚が大山不動の仮安置所として881年(元慶5年)に易往寺を建立し、庶民はここで参拝したのです。この地には通称・子易姥子様と呼ばれる、良弁僧正の母を手本とした「子易祖母山子育大日如来堂」が建てられ、民間信仰の「咳止めのおば様」と習合して安産子育・咳止めの信仰を集めました。現在その御堂はありませんが、今でも易往寺では安産のお札を頂くことができます。
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