平成24(2012)年2月26日(日)、4合唱団によるチャリティーコンサートが開催され、伊勢原男声合唱団「マイスタージンガー」に所属する当サイトブロガ―のsaiseigo1も参加しました。
私は打ち上げを断り、妻を呼び寄せ、駅前の居酒屋で、4人で3時間も語り合った。私は若い二人を前に、妻の顰蹙を覚悟で、舌が疲れるほどしゃべりまくった。
◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。 ◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」は、「伊勢原市の歴史や文化財を守り、育てる」と言う理念を元に、欧州のツアーリズムから発生した「ホスピタリティー hospitality」の精神を受け継ぎ、伊勢原市民は勿論、何らかの理由で伊勢原市を訪れる皆さんを「無報酬で、最高のおもてなしの方法」を提案したり、実践したりしたいという方々の集まりです。 ◆写真はクリックすると大きくなります。
早速、翌日、この移設された道標を撮影してきました。
場所は大山新道の、大山に向かって左側、二本の御柱が建っている場所。
この日は天気が良く、陰影が濃すぎて上手く撮影出来なかったが何とかパソコンで修正して見た。
記事の内容は次のとおり。
『是より右大山みち』と書かれた道標ー。藤沢市の四ッ谷不動(=文末に解説)に建てられていたもので、高さは約2・7m、素材には静岡の小松石が使われている。造立は1661年(万治4年)と記されている。1835年(天保6年)に再建され、関東大震災などでも修理・再建されている。折損してしまっていたこともあり、四ッ谷不動で平成17年に新たな道標が再建される折に、大山阿夫利神社に保管されることになった。
その後、大山阿夫利神社と阿夫利睦(磯崎敬三会長)で再建を目指し、日向の秋山安太郎石材が道標を修復、このたび大山新道に再建された。この場所は大山道の属人道のすぐそばになるという。「道標を再建し、伝統を継承することは喜ばしいこと。後世にしっかりと伝えていきたい」と目黒宮司。また、磯崎会長は「歴史と伝統のある四ッ谷不動の道標。大切していきたい」と話した。
大山への道を示しっづけて350年以上。時を経て初めて大山に来た道標。これからは大山の麓で観光客を迎える。
◆四ッ谷不動
藤沢市内を走る国道1号線の四ッ谷交差点そばにある四ッ谷不動。東海道と大山道が交差する四ッ谷辻に1678年(延宝4年)に建てられたもの。すぐそばたは大山阿夫利神社一の鳥居もあり、大山詣でが盛んで、ここから田村通り大山道が始まる。また、『東海道七五十三次之内藤沢四ッ谷の立場』(歌川広重)などにも、賑わう当時の姿が描かれている。