平成24(2012)年2月26日(日)、4合唱団によるチャリティーコンサートが開催され、伊勢原男声合唱団「マイスタージンガー」に所属する当サイトブロガ―のsaiseigo1も参加しました。
「マイスタージ
ンガー」は7曲歌いましたがその内の3曲は東北地方の民謡でした。被災地の民謡を歌う事には様々な議論のあるところでしょうが民謡は住民の方々が古くから自慢の土地柄を誇らしく歌って来たふるさとの歌です。(写真)
saiseigo1は今度も、直接の被災地ではないが、故郷である山形の「最上川舟歌」の掛け声をやらせていただきましたが、「斉太郎節」は被災地の松島湾を歌った民謡で、中学校の修学旅行先でした。「斉太郎節」はさらに北の「南部鉄」を打つ時の仕事歌が原型で、「斉太郎」はその鉄打ちの名人の名とも言われています。
また、「会津磐梯山」は江戸期、金山でもあり、豊かな資源を誇っていた地域でもあります。
そんなこんなで、様々な被害から早く立ちあがって欲しいと願い、一生懸命歌いました。義捐金も沢山寄せられたと聞いています。
もう一つ、驚きと感動で胸の鼓動が高まったのは、「舌ガン仲間?」の、まだ若きシンガー・ソングライター、「前山隆弘さん」の来場と再会でした。
8年ほど前、私は舌ガンで舌の半分を切除し、発音のリハビリとしてボイストレーニングを受けたのが契機で合唱団に加入。その後、同じ「舌ガン」を克服したシンガーとして紹介されていた「前山隆弘さん」の新聞記事をみて、ブログで交信。前山さんの「ライブ」などにも出かけ、合唱団の発表会にも来ていただくなど、お互いに励まし合った。その時は地域のマスコミ(TVKや神奈川新聞)にも取り上げてもらった。
その彼が、今年の年頭のブログで「今、精神的に落ち込んでいて、歌手活動はしていない。」事を知り、何とか力を上げたいと思い、今回のチャリティーコンサートのチラシを送信。「是非、行きたい!」と返信を頂いたが住居が東京なので来てはくれないと思っていた。
その彼が、可愛い彼女?と同伴で、ロビーで待っていてくれた。
私は打ち上げを断り、妻を呼び寄せ、駅前の居酒屋で、4人で3時間も語り合った。私は若い二人を前に、妻の顰蹙を覚悟で、舌が疲れるほどしゃべりまくった。
私は打ち上げを断り、妻を呼び寄せ、駅前の居酒屋で、4人で3時間も語り合った。私は若い二人を前に、妻の顰蹙を覚悟で、舌が疲れるほどしゃべりまくった。
前山さんは新聞報道後、仲間と全国でライブを続け、当時の話題の映画「イキガミ」の主題歌なども歌ってきたが頑張りすぎて疲れてしまい、3年ほど前から、行方を失い、介護施設で働いていると云う。一緒に来ていた若い女性の話によると「彼は優しいので、人気者」だと云う。さもありなん。
「そう云えば、私も同じである。」と彼に伝えた。ここ2年ばかり、障害者施設の訪問コンサートをやりたくて、チャンスをうかがっていたが仲間ができ、今年、2ヶ所で実施出来た。まだ、一ヶ所残っているが気力が出ない。同じ心境であろうか。
彼は3月で施設を辞め、新しい道を探ると云う。どんな道か、聞かなかったが音楽の道は諦めていない口ぶりであった。私も春になったら、もう一度仲間を集めることを約束して別れた。
彼の今後のブログ「前山隆弘のmae日記」に注目したい。
写真は居酒屋で撮った二人である。優しい表情をしているでしょ!!
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