2012年9月20日木曜日

伊勢原郷土史研究会総会で「権田直助」の話をさせて頂きました。

 今月の8日(日)伊勢原郷土史研究会の総会が行われ、その後の記念講演会で、会員の西部周子氏の「権田直助の生涯」についての記念講演がありました。
 権田直助については当ブロッガーも調査研究し、西部氏等と意見交換していた関係で、私も少しお話をする機会を得ました。
 「権田直助」に関して、こう言った公の場でテーマになる機会は少なく、伊勢原市では初めてではないだろうかと思われます。


 特に、直助の生涯については、「その切り口によって、評価が分かれる事」も多いので、生地の埼玉県毛呂山町も含めて、余り、公に語られる事はありませんでした。
 しかし、幕末から明治期の、世界史で云えば、ルネサンスと産業革命が同時に来たような時代にあっては、その業績の評価は急激な変化を伴うのは当然であるので、一概に、勤皇・草莽の志士としての行為と、また、神仏分離に積極的にかかわった直助を、かつての繁栄した文化の破壊者として、負の人として扱うのは危険のような気がします。ただ、同じ地域に、神仏双方が居住していたという事で、お互いその話題に触れないようにしたと言う気持ちは理解できます。


  しかし、国学者として、明治20年、彼が亡くなった年、この大山の地から出版した「句読点考」は、純然たる学術書として評価に値すると思っています。
  その事では、昨日、「権田直助の生涯」というテーマで、世田谷にある風人社と云う出版社の、小冊子KAZESAYAGEに掲載させて頂く事になっていた原稿について、テーマ追求不足なので再考を願いたいと言うメールを頂いた。
 その原稿については、直助の「句読点考」に関することをメーンテーマにせず、人間権田直助を書く事になっていたが、「切り口云々」をテーマにしながら、最後まで、全くその事に触れていなかった。
 編集者はその事を鋭く指摘して下さった。
  


  文章は「テーマに沿って、簡潔明瞭、そして分かりやすく。」書く。この事を再認識させて頂いた、最高の機会でした。


私は、相手の人格を大切にされ、きちんと大人の対応して下さる風人社のこの若い編集女子社員に、何時も元気を頂いている。

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