2013年5月6日月曜日

二つ目の「北町奉行所跡」発見              Exploring cultural heritage in the elderly couple.                            

 ゴールデンウィークの中日、天気も良かったので、靖国参拝もかね、細君に東京駅も見せたかったので、八重洲口にある二つ目の「北町奉行所跡」を探しに出かけた。
 大丸の「第1北町奉行所」の看板のある小さな入り口(ここ開くの?)のドアーを開け、あてずっぽうで歩いてゆくと、掃除の女性がいたので、尋ねると、「丸の内トラストタワー」の横だと教えてくれた。彼女は「何にもないよ!」と独り言のようにつぶやいていたがそんなことはない。彼女は「昔の姿」が残っていないよと言いたいらしいが、看板があれば十分。「江戸城石積み」の模型などもあり、看板も立派であった。「第1の場所」よりもわかりやすく、碑も立派である。しっかりと撮影し、大満足で、帰りがけ、彼女たちにお礼を述べ、勇んで、「八丁堀の同心・与力組屋敷跡」探索に向かった。
 なお、江戸期の地図などの詳しい情報は、次のHPで・・。(但し、10年前のHPなので、看板などは現在と違っています。    http://orange.zero.jp/kkubota.bird/machibugyousho.htm

 
 


江戸城外堀の石垣

 北町奉行所の東方には、寛永13年(1636)に築かれた江戸城外堀がありました。
現在この地域の外堀は、常盤橋門跡や日本橋川の護岸の一部などに石垣が残りますが、東京駅周辺は昭和30年代には埋め立てられ、今は外堀通りや交差点の名前等に名残を留めている程度です。
 ここに再現した石積みは、かつて存在した外堀をイメージしたもので、その一部には鍛冶橋門(東京駅八重洲南口)周辺で発見された堀石垣使用し、ほぼ当時の形で積み直しています。石垣石の表面には、築かれた当時の石を割った矢穴が見られます。

左側に「丸の内トラストタワー」。看板は右奥に進む


2013年5月5日日曜日

相模武士「中村党」の本拠地「殿の窪」へやっと到達。 Exploring cultural heritage in the elderly couple.                            

 3月の彼岸過ぎ、二宮町の細君の里の墓参りを兼ねて、準備を進めてきた岡崎義実の舅、中村宗平の館跡とされている「殿の窪」(小田原市小竹)の探索に向かった。ウォークで行きたかったが取りあえず場所の特定が肝心と思い、乗用車で向かった。事前調査によれば、「殿の窪」は小田厚の二宮インターから、小田厚を越せばすぐの所である。
 少し行き過ぎた所で、仕方なく農道に入る。道は細くなる一方。畑作業の気の良いお婆さんに出合い、看板があることを教えてもらい、ようやくたどり着く。看板の近くに駐車し、ビニールハウスの近くで働いていたお爺さんに話しかけると「あそこに墓もあるよ。」と教えてくれる。思ったより、楽しめた一日であった。
 詳しくは、次のURLを見ていただきたい。

http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page27

杉林の辺りに墓石がある
看板とビニールハウス

 
 



2013年5月3日金曜日

『丸山城址公園(伊勢原市田中)』迄往復          Exploring cultural heritage in the elderly couple.                   

 ゴールデンウィークの中日、天気も良いので、買い物がてら、いつものウォーク気分で、自宅の馬渡から田中の『丸山城址公園』までウォーク。整備される以前には研修で行っていますが、整備後は行っていませんので、一度は行ってみたいと思っていた。
 途中、駅でコーヒータイムをしたり、弁当を買ったりしたが自宅を出てから50分ほどで到着。中央は円形の広場に整備され、子供連れの若いCoupleが遊んでいた。「ここに桜を植えれば名所になるぞ!」と言うと細君は「桜は植えてあるよ。しかし、引き抜かれて困っているらしいよ。」と言う。入り口にそんな看板があった。担当者は大事に植えた桜が3本引き倒されのがかなり残念だったらしい。しかし、嬉しい怒りである。

神宮寺住職の無縫塔群
あちこち動き回り、公園の一角にある神宮寺歴代住職の墓まで見学できた。写真は文道禅師の石塔で、この方は、高部屋神社の神宮寺(じんぐうじ)第14代住職で、江戸幕府の命を受け、蝦夷(えぞ)(現在の北海道)国泰寺(こくたいじ)の第5代住職として赴任し、7年の任期を勤め上げ、神宮寺に戻ってきましたが、明治元年の神仏分離令により廃寺となりました。公園とはフェンスで区切られていましたが鍵などかかっていない。粋な計らいである。帰りは、国道246号線に架かっている陸橋を渡り、高部屋神社をとおり、道灌の墓を見ながら帰宅。2時前でした。今年の道灌祭りのときには案内役ができそうだ。

詳しくは、次のHPで。
 
 
http://napoleone.my.coocan.jp/Kanto/Kanagawa/Maruyama/Maruyama.html



大山がよく見えた

2013年5月2日木曜日

念願達成!「靖国参拝!」

感動の鳥居
靖国神社への参拝は、学生時代からの念願でしたが何故か、できなかった。
 理由は、叔父の「孫栄」がガタルカナルで戦死しているからです。戦死と言っても、5000人以上亡くなっているガタルカナルの場合は、討死ではなく、その大半が逃亡の果ての、「病死か衰弱死」です。退職後、一寸調べたのですが、その惨状たるや人間の世界ではありませんでした。

正面からの撮影は禁止だそうです。
巫女さんが通りかかりました。
孫栄叔父は、傷を負って、日本軍のいる港へ向かいます。しかし、傷口は腐敗し、ハエが産卵し、蛆虫が湧いてきます。仲間に会いますが皆同じような状況です。疲れ切って、切り株に腰を下ろします。切り株と思ったら、日本兵の死体です。叔父は死体に重なって、死亡します。蛆虫はハエとなって飛び立ちます。以上、想像ですが大きな間違いはないと思います。
 「ご苦労様でした。」と声をかけてあげたかったのです。
 それで、今年3月町内会の皆さんと千鳥ヶ淵の花見に出かけたのを切っ掛けに、4月30日、改めて、細君と参拝してきました。
 千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にも行ってきました。孫栄叔父は昭和19(1944)年亡くなっていますので、68年ぶりの墓参りでした。





「ガタルカナルの戦い」のネットURL
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84













千鳥ヶ淵の戦没者慰霊塔










献花用菊花が100円でした。


2013年4月29日月曜日

佐渡金山の夜桜・受信

 送信者、伊勢原観ボラT・Kさんのコメント
<4月は、富山、三春、会津、と毎週桜満開に恵まれましたがこれが最後、佐渡金山跡の桜です。これも満開ですが、表示の日時データどおり、平日にこんな山奥に誰も来ませんで、、客は我々ツアー客16名のみ、電気代が勿体ない。
 金山最盛期の往時を偲んで夜桜を堪能しました。 >
 

 <My Comment>
 30歳代、佐渡出身の方の「佐渡おけさ」の踊りを見てから、私の「佐渡おけさ」の歌で踊ってもらいたいとずっと思っていましたがまだ、成就していません。 「おけさ」の静かな情緒が歌っていても涙が出ます。
 

2013年4月28日日曜日

「KAZESAYAGE」:3冊、伊勢原図書館蔵書棚へ

 先日、「KAZESAYAGE」(平地編)8号と14号が伊勢原市立図書館に寄贈したところ、受け入れる旨の葉書を頂きました。すでに、一昨年、「KAZESAYAGE」(平地編)5号を受け入れて頂いていますので今回で3冊目となります。
3冊とも、世田谷にある出版社「風人社」のご厚意により、大山に関する拙著が掲載されているので、何とか、後に残したいと思っていたので、とても満足しています。
3冊の調査研究の内容は、次のとおりです。

①「KAZESAYAGE」(平地編)第5号 2010年5月20日発行・発行所 風人社
 
   「その山影を見てみたい」各地から見える大山  著者 斉藤勢吾

<第2期歴史解説アドバイザー養成講座の卒業研究として取り上げた「関東各地から見える大山の山影」をまとめたもの。仲間の皆さんの協力を得て、埼玉県からの貴重な山影が掲載されています。>

②「KAZESAYAGE」(平地編)第8号 2011年4月13日発行・発行所 風人社
 
   「津久井大山道・日向川~石倉橋・再探訪ウォーク検証報告」  
                                    著者 高橋憲治・斉藤勢吾共著

<日本中の歴史街道を歩き尽くし、その記録をネット上に公開している高橋氏が、「津久井からの大山道の一部が分からない。」という疑問に応える為、斉藤が、「アドおおやまみち」の皆さんの指導の下、高橋氏とともに検証したその報告書。風人社さんや道研究家の参加も得て、貴重な記録となっています。>

②「KAZESAYAGE」(平地編)第14号 2013年1月11日発行・発行所 風人社
 
   「権田直助 波乱の生涯」      著者 斉藤勢吾共著

<医師、国学者、草莽の志士として活躍し、晩年、大山・阿夫利神社の祠官となり、大山復興の祖と称されるほどの貢献をした権田直助の生涯を追った記録。世間では様々な理由で、権田直助のことは話題に上ってこなかったが大山の地から出版した「国文句読考」という著作は、我が国初のの句読点の著作として、後世に大きな影響を与えている。>
 

2013年4月25日木曜日

福島より、満開の鶴ヶ城の桜の写真を受信しました

福島・鶴ヶ城の桜
平成25(2013)年4月25日(木)、突然、福島、鶴ヶ城の桜満開の写真を受信しました。送信者は伊勢原観ボラのT・K氏。今年1月、いわき市のスパリゾートに連れていいてくれた方で、9月には、ゴルフ仲間8人とのスパとゴルフを引率してくれる方で、元気なシニアです。現在、その打ち合わせ中ですので、見事な桜を見せたくて、送信していただいたのだと思います。驚いたと同時に嬉しかった。
 なんでも、スパリゾートがお好きで、いわき市の震災復興にも尽力されている方だそうです。
 福島の花だよりは盛んに報道されているが私だけの花だよりは初めてです。勿体ないので、歌仲間やゴルフ仲間に見てもらおうと、直ぐ、ブログにUPしました。
9月の参加者も10名と、超満足な人数になったので、今日、途中経過を報告しようと思っています。
T・Kさん、よろしくお願いします。