2012年10月10日水曜日

権田直助没後125年企画展 (毛呂山町歴史民俗資料館)

 明治期、霊山大山の阿夫利神社祇官として赴任し、神社復興に尽力され、また、大山の地で、国文学者として、句読点学のバイブルとも言われている「句読点考」を出版した「権田直助」の、『没後125年企画展』が生誕の地、埼玉県毛呂山町歴史民俗博物館で、次のとおり開催されます。
 伊勢原の地では、今年、9月20日、「伊勢原郷土史研究会」の総会の記念講演で、初めて、「権田直助」について語られました。これは、記念すべき出来事で、医師、国学者、草莽の志士、阿夫利神官など、激動の幕末・明治期を駆け抜けた権田直助ですが様々な事情により、生誕の地も含めて、余り語られることはありませんでした。

次のブログ記事及びHP参照。
http://www.blogger.com/blogger.g?blogID=7772138261115382047#editor/target=post;postID=3837615582817920064
 
http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page22

しかし、この度、二つの関係市町が呼応すように、「権田直助」を語り始めました。

毛呂山町歴史民俗資料館のHPのURLは次のとおりです。

http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1346840216506/index.html


 権田直助没後125年企画展
『郷土に残る国学者権田直助の足跡』
 平成24年10月14日(日)~11月16日(金)まで

  

幕末から明治の激動期を駆け抜けた毛呂山の偉人権田直助

医師・国学者・勤皇の志士・神官・国語学者といった多彩な活躍ぶりを地域に残された資料からたどります。
 権田直助肖像画
☆関連講座郷土歴史講座
「権田直助の残した足跡」
                   
激動の幕末を駆けぬけた郷土の偉人・権田直助の実像について学びます。

日 時 平成24年10月28日(日)
    午後1時30分~3時30分
講 師 小林晃枝 氏(国学院大学特別研究生)
定 員 先着40人
参加費 無料
 
申込み 電話又はFAXで10月26日(金)までに歴史民俗資料館へ
     


開催日:2012年 10月 6日 から11月 16日


 
 

2012年10月6日土曜日

生命に関する話題二つ!!

 我が街に、(財)伊勢原市みどりのまち振興財団と云うのがある。何処の街にもあるらしい。(http://www.isehara-midori.net/pages/index.htm
 妻が緑化ボランティアに参加していて、昨日、職員の方が栽培している「観賞用カボチャ」を頂いてきた。少し早いが、娘の職場の交流イベントのハロウィンに使って欲しいと思ったらしい。しかし、娘には見事に断らfれていたので、私がここに投稿して、陽の目を見させることにした。

 しかし、云いたいのはそう云う事ではなく、財団で展開している市内の西部由太郎さんが改良したという新種の「テッセン伊勢原」の、増殖もねらい、一般市民にも増やす楽しみを分け与えていることです。(http://www.isehara-midori.net/pages/tesen01.htm
  現在、私と一緒の合唱団に所属している、ご子息の康雄氏が接ぎ木の講師となられており、昨年、私も参加し、5本接ぎ木したが1本も成功しなかった。
 康雄氏は我が町内会に温室を持っていて、植物の新種改良にも努力している。彼の温室は花粉がねらっていない花につくので、やたら歩きまわるのは困るらしい。いろんな新種を頂いたが一冬で、全部ダメにしてしまった。

 これは、植物の話で、気楽な話であるが二つ目の話は、気楽とは言えない。
 昨日(H24・10・4)、読売新聞に掲載された「新型出生前診断」のスペシャル版論壇の記事の事である。
 私はこの診断に、最初から疑念を持っている。それを的確に表現してくれたコメントを見つけたからである。記事中の産婦人科医、大野明子氏の「障害への寛容さを失う」と云うコメントである。「ダウン症」の次に「何がターゲットにされるのか!?」と疑義を呈している。
 私も、障害児教育の現役時代から、「弱い人間を排除して行ったら、仕舞には、自分が一番弱い立場になり、排除されちゃうよ!」と云うのが持論で、「人間、助け合う量の度合いが違うだけであるので、その人の力量をとやかく言わずに、皆で、助け合って生きて行くのが一番良いではないだろうか?」と言い続けている。
 障害者がいる事がそんなに困ることとは思えない。却って、様々な場面で、力を頂く事がある。
 「新型出生前診断」から目を離せない。

 

2012年10月1日月曜日

H24/10/1 伊勢原市広報誌「3題」

 毎月朔は広報誌の発行日です。
 今月は、「雨岳文庫・文化財ウォーク」の広報もあると思い、紙面を広げる。

 一面は、秋山里奈さんのパラリンピック金メダル写真。            
  新市長や新県議当選者の話題も押しのけた。
  秋山さんは県立平塚盲学校卒業生。昭和37年、平塚盲学校に、新採用教員として赴任した頃を思い出す。
  プールはあったが防火用水と兼用。

 注目した記事の二つ目は、「障害者虐待防止法」が施行された記事。
  この9月から、平塚にあるNPO法人の障害者施設の第3者委員に着任したばかりだからである。
  障害者への差別行為や虐待らしき行為は些細な行為も見逃してはならない。
 平成21年度、伊勢原市の「人権施策推進委員会」、市民委員の着任時から2年間、このことを言い続けてきた。とにかく、誰かが言い続ける事が大切です。


  三つ目は、文化庁が補助金を出して入る雨岳文庫主催の「地代官山口作助が歩いた、地頭の間部詮昌の館のある江戸、両国迄の文化財ウォーク」の記事。
 昨日、近所の方にチラシを配ったら、今朝、家庭菜園で「参加する!」との嬉しい話を聞き、飛び上るほど嬉しかった。舌癌で舌を半分切除され、発音障害から、ガイドは諦めていたが、江戸まで歩くと言うこの度のウォークにワクワクし、我慢できず、迷惑覚悟の上で、始めて文化財ウォークガイドに挑戦する事にしました。舌足らずの私を応援して下さる仲間に、早く報告したい。
 江戸と云う言葉に反応したのは、「大江戸検定2級」に挑戦し、合格した興奮を思い出したのであろう。因みに、「神奈川検定2級」のライセンスも取得できました。

2012年9月29日土曜日

さくら福祉農園(伊勢原・馬渡)の地域開放イベント「オープンデー」の稲刈り参加

 本日(H24・9・29)、社会福祉施設・さくら福祉農園(伊勢原・馬渡)の地域開放イベント「オープンデー」の稲刈り参加しました。
 さくら農園が水稲栽培を始めてのは4年前(?)からだろうか?
 「地域と共に歩く施設づくり」や元同僚教員だったS氏の着任もあって、強力な応援者となりたかったが、地域住民参加イベントの田植えや稲刈りは天候の関係で殆ど参加出来なかった。
 しかし、今年は上天気!参加者は14,5人ばかり。
 地域のお子さん連れの若い方々の参加が多く、始めての稲刈り鎌使いや稲田での迷路作り、ザリガニ発見など親子で楽しそうに参加していました。
賑やかに稲刈り開始
最後は文明の利器で

 当ブロガ―も、昔取った杵柄、稲刈りは上手いものである。参加者の若者に、動画に撮ってもらったのでユーチューブに投稿しました。見事な腕前を見て下さい。


2012年9月24日月曜日

縄文土器焼きのお手伝い・・・・伊勢原市立竹園小学校へ

  今日、9月24日(月)。
  今年も、学区である竹園小学校へ、いせはら歴史解説アドバイザー、7人の仲間と、縄文土器焼きのお手伝いに行ってきました。
  昨日は終日雨だったので、今年は残暑も少しは楽かなと思っていましたが30度近くの暑さの中、汗だくで、火守りや土器並べを頑張りました。
  今年は土器つくりをお手伝いできなかったが、子どもたちの元気な様子を見て、私たちも元気を頂いて帰りました。
  この様子は、次の竹園小学校のHPで紹介されています。

http://www.isehara.ed.jp/takezono-e/子どもたちの様子/1年生-5/#



2012年9月20日木曜日

伊勢原郷土史研究会総会で「権田直助」の話をさせて頂きました。

 今月の8日(日)伊勢原郷土史研究会の総会が行われ、その後の記念講演会で、会員の西部周子氏の「権田直助の生涯」についての記念講演がありました。
 権田直助については当ブロッガーも調査研究し、西部氏等と意見交換していた関係で、私も少しお話をする機会を得ました。
 「権田直助」に関して、こう言った公の場でテーマになる機会は少なく、伊勢原市では初めてではないだろうかと思われます。


 特に、直助の生涯については、「その切り口によって、評価が分かれる事」も多いので、生地の埼玉県毛呂山町も含めて、余り、公に語られる事はありませんでした。
 しかし、幕末から明治期の、世界史で云えば、ルネサンスと産業革命が同時に来たような時代にあっては、その業績の評価は急激な変化を伴うのは当然であるので、一概に、勤皇・草莽の志士としての行為と、また、神仏分離に積極的にかかわった直助を、かつての繁栄した文化の破壊者として、負の人として扱うのは危険のような気がします。ただ、同じ地域に、神仏双方が居住していたという事で、お互いその話題に触れないようにしたと言う気持ちは理解できます。


  しかし、国学者として、明治20年、彼が亡くなった年、この大山の地から出版した「句読点考」は、純然たる学術書として評価に値すると思っています。
  その事では、昨日、「権田直助の生涯」というテーマで、世田谷にある風人社と云う出版社の、小冊子KAZESAYAGEに掲載させて頂く事になっていた原稿について、テーマ追求不足なので再考を願いたいと言うメールを頂いた。
 その原稿については、直助の「句読点考」に関することをメーンテーマにせず、人間権田直助を書く事になっていたが、「切り口云々」をテーマにしながら、最後まで、全くその事に触れていなかった。
 編集者はその事を鋭く指摘して下さった。
  


  文章は「テーマに沿って、簡潔明瞭、そして分かりやすく。」書く。この事を再認識させて頂いた、最高の機会でした。


私は、相手の人格を大切にされ、きちんと大人の対応して下さる風人社のこの若い編集女子社員に、何時も元気を頂いている。

2012年9月19日水曜日

ベートーヴエン第九「合唱付き」コンサートの合唱団に             入ってしまいました。


 先月、第2回 ベートーヴン第九「合唱付き」コンサートの合唱団に入ってしまった。
 「入ってしまった。」と云うのは、「思わず」と云う意味であるが、そこには、己の老人生活を快適に過ごすための、「攻めと逃げ」の一手を感じ、意を決したら、現在の合唱団の師でもある木下先生に電話をしていた。
 しかし、余りにも、入団時期が遅すぎた。既に、全体練習に入っていた。団員は昨年歌っているので既に暗譜も済んでいる。私は何もできていない。「これは無理だ!」と後悔したが後戻りはしたくない。皆、歌の技術の向上に必死なのに、私は、譜面を追っているだけ。歌うどころでは無い。それでも、先生は拒否せず、受け入れて下さった。
 私の担当は「テナー」。最近、裏声も上手く出るようになり、オクターブ上の「ラ」まで出るようになったので、完全に覚えてしまえば、きっと楽しい一時が過ごせると思う。
 昨年誘われた時は、全く興味が湧かず、敵意さえ覚え、にべもなく断ったのに、何故急に歌いたくなったのか!? 問われれば理屈はあるが答えたくない。
 ただ、今日の読売新聞の編集手帳に、こんな言葉が掲載されていた。「第九合唱団員」加入の意味を最大限に生かすために、改めて、この最後の越後瞽女(ごぜ)小林ハルさんの言葉を胸に刻みたい。
春に頂いたチラシ
   『いい人と歩けば祭り。
       悪い人と歩けば修業』

先生が印をつけてくれた楽譜
 










H24・8・16 裕ちゃんの「ブランデーグラス」を弾く


 そして、これをバージョンアップするために、昨日頂いた「夏の大人のコンサート」に出演した時のピアノ演奏の写真を掲載した。
  「やると思えば、どこまでやるさ!」 
村田英雄さんの歌の一節を追求して見たいからである。