2014年8月30日土曜日

<気仙沼・大島復興支援>その3             3・11 津波の様子とこれからの大島は?

大島の写真3題。

①翌8月30日(土)は帰宅の日。初めて、明海荘の3階から海を眺める。湾内の「小前見島」が見える。この島を襲うように津波はやってきたと言う。「写真」を見ながら、想像してください。

                                      

 

 

 

◆中央の島が「小前見島」。波はこの島を覆うようにやって来て、ここから見える家々を押し倒したと言う事です。                                                                                                                                            





 

 

②これからの大島については、様々な方々のお話しをお聞きした。一番の話は、3年後の完成をめざし、本土とトンネルで結ばれる事。この残土を使って、大島の嵩上げ用に使うのだと言う事。嵩上げの前に、島の海岸は2M以上の高い防波堤で囲まれるらしい。海岸であった漁師の方は、「反対だよ。津波が来ても、海が見えないから、分りゃしない。階段を一杯つけてもらわにゃ。役所に押し切られちゃったよ。」と思案顔。しかし、いずれにしろ、津波が来たら、どうしようもないのだからと言う思案顔である。 




◆右の写真の新しいコンクリート壁は    嵩上げされた防波堤。2m以上になり、確かに、海は見えない。

  








散歩の帰り道、水辺で、作業している女性にお会いした。2年物のホタテ貝に付いたムール貝のひっかいて取っていた。「こいつが悪さをするから、取り除いて、もう一度海に戻すのです!」と教えてくれた。ホタテの3年物は、明海荘の夕食で食べたばかりで、味は最高であるがこんなに手のかかる物だとは知らなかった。

大島にも少し、普通の生活が戻りつつあるのかなあ!と感じられた。





<気仙沼・大島復興支援>その2              復興イベント当日

大学生のコケ玉作り

翌8月29日(金)。イベント当日。このイベントをプロジェクトしたのは、大島の復興を陰で支えている「母ちゃんたち」。これから、柚子を始めとする山の幸を商品化して、大島を元気にし、母ちゃん自身をも「キラキラ輝かせよう・・と言うのがこのプロジェクトの趣旨。


 柚子の産地、先日の豪雨で大変だった高知県の馬路村からも8名の応援参加者もやってきた。農協の職員であるという女子方は、柚子を使ったお寿司で島民を接待し、小学校の先生やALTの方も含めた男性陣は大島小学校訪問し、子ども達を激励。


 「ISEHARA・おもてなし隊」は持参した「押し花アート」や漫画本、花瓶などを並べて、気に入った品々を島民の方々に差し上げた。壁には「おもてなし隊」を紹介する張り紙。
提供品展示会場

その他、龍のひげと水コケを使った「苔玉作り」と「抹茶でのご接待」。


 地元の大島は伝来の「ハット汁」で歓迎の接待。「ハット」と言うのは山梨県の「ほうとう」が訛った者らしい。「お盆」に作って仏さんに備えるのが主らしく、最近はほとんど食しないので、若い島民の中には初体験の方もおられたらしい。


 昼ごろ、元気にやってきたのは大学生5,6人。震災時、子ども達の勉強を見てくれた大学生たちと言う事。彼らは慣れない手つきで、「コケ玉」つくりに挑戦したり、襖の取り付けを手伝ったりと、会場を賑やかにしてくれた。


 

ハット汁でお喋り


「おもてなし隊」の提供品展示場
「ISEHARA・おもてなし隊」の掲示板

「ISEHARA・おもてなし隊」道標募金をお渡ししました。
 
夜は、島民を招いて、馬路村の方々の合唱。ユーミンの飛行機雲や復興の歌「花が咲く」等混声の見事な合唱を聞かせてくださいました。

 


<気仙沼・大島復興支援>その1               島民自身による復興イベントに参加

新しい新幹線に感動

8月28日(木)朝。9時30分、標記イベントに参加するため、伊勢原駅から乗車。一ノ関駅で、小田原、横浜から参加の2名の女史と合流。

同日、17時30分、大島港着。約8時間のかかって大島に到着。大島復興基地の「旅館 明海荘」は大忙しで、迎えは無し。3㎞、歩いて、ようやく到着。
気仙沼市のあちこちに波の来た印が・・

 

待っていたのは、目黒区区立中学校から宿泊研修に来ている中学生女子20名ほど。食堂に集まって、今日の日記を書いていた。「何やったの?」「ビン玉作り!!」「ビン玉」とは海の「浮き球」の事。小さい「ビン玉作り」を体験したらしい。夕食の後は、宿の女将さんの「津波体験の話」。子供たちは真剣に耳を傾けていました。
まだ津波の残骸が・・・。



中学生を前に、明海荘の女将「かよさん」の津波の来た時の話

2014年8月27日水曜日

鈴川沿い大山道で「お下り」を撮影しました。


 大山第2駐車場石垣の「朝顔」を撮影しての帰路、お下りの行列に出合いました。
 大山御霊の「お下り」に関しましては、男坂を下る勇壮さが売りですので、山路の撮影が多いですが今回は、山から里に下り立った神々の、社務所までの行列です。
 滅多に無い機会ですので、路肩の広場に駐車して、動画も撮影しました。

次のURLは「お下り」の動画です。

夏の風物詩と言えば、大山の「朝顔」           そんな報道記事を目指そう!!

駐車場入り口に育てられている「朝顔棚」
伊勢原市上粕屋にある産能大学情報マネージメント学部の勝間教室では、平成大山プロジェクトに参画し、学生さん達と一緒になって、様々な活動を展開している。
 その中でも、「大山花いっぱい計画」は、大山を花いっぱいにして、沢山の方々に大山に来て頂こうと言う計画です。学生さんの発案らしいが、昨年から、大山第2駐車場近くの「土産物屋」さんの一角をお借りして「朝顔を育てた。
 今年は、第2駐車場の石垣を利用し、上から垂らすように蔓を延ばして、咲かせることに成功した。
 夏も終わりの今日、まだ花が咲いていると言うので、見学に行って来た。花は過ぎ、葉も枯れ始めたものもあるが、盛んだった時期を思い出させてくれた。
 当初、私も参画したいと申し出ていたが、駐車場前の土産物屋さんと駐車場の方々が水やりをしてくださると言うので、世話が省けたので、援助は不用となったとの事。
 今日、その土産物屋さんの女将さんと駐車場の方にお話しを伺ったら、勝間先生は、頻繁に訪れ、花の世話をさせておられたとか。何かをすると言う責任の重さを感じられ、一生懸命、大山の為に尽されているお姿が浮かんできます。
 先生の専門はパソコンでの情報処理技術(?)らしく、「ISEHARA・おもてなし隊」が今取り組んでいる「大山灯篭の調査研究」の強力な助言者である。





駐車場石垣の朝顔の懸崖加

観光案内所から見た朝顔の懸崖











2014年8月26日火曜日

勝間豊先生<産能大・情報マネージメント学部>の 大山プロジェクト情報を頂きました。

本日(8月27日)、一年ぶりに、勝間先生からメールを頂きました。本当は、「小稲葉地区の大山灯篭行事調査報告書」ができたので、データベースとして情報提供したかったので、当方から連絡したかったのですがメールアドレスを消去してしまい、困っていた時なので、天にも昇るほど嬉しいメールでした。半年ぶりのメールです。


と言う事で、メールの要点だけ、箇条書きで、書かせて頂きます。

◆上尾を中心とした大山講灯篭の調査が今年度は台風のため中止となってしまいまし た。次年度は是非、調査を行いたいと思いますので御支援をお願いします。

◆今後は、他の地域の灯篭についても調査を進めて行きたいと考えています。    消え行くものが多いと思うので、できるだけ多くの情報を収集して残したいと考  えています。

◆学生による「大山あさがおプロジェクト」のアサガオもやっと満開の時期となりま した。大山観光案内所の皆様に多大なご助力を頂きながら何とか運営しています。 アサガオらしくAM10:00頃にはしぼんでしまいますがお越し頂けますと幸いです。

 アサガオは、添付させて頂きましたようにやっと咲き始めました。 

今週と来週辺りが開花のピークかと思われます。                もしお時間のございます時に、ご覧頂けましたら幸いです。           場所は、大山市営第二駐車場の石垣になります。





 




 



キャンペーン用「伊勢原市の団扇」            今年のジャズフェスティバルで頂きました。


 標記ジャズフェスティバルに関しましては、先にアップしておりますが写真の「団扇」は、その時頂いたものです。 絵柄は、大山に関する浮世絵になっており、いずれも、伊勢原市教育委員会所蔵の「浮世絵」と書かれています。しかし、皆どこかで見たような気のする「浮世絵」です。それほど、伊勢原市民に馴染んでいる「浮世絵」と言う事でしょう。

 また、この団扇の特徴は、反対面に書かれている「ようこそ大山へ」の呼びかけが、英語・中国語・韓国語の4か国語で書かれていることです。しかし、これは単なる観光用ではなく、伊勢原市にも多くの国の方々が来られて、働いておられる状況があるからです。 この状況は、私が退職した平成12年当時で、平塚・伊勢原線を歩いている外国の方が大勢見たものです。現在は、あまり見ませんが5年程前「伊勢原市人権施策推進委員会(正式には?)」の市民委員を務めさせていただいている頃は、南米の国々から来られた「スペイン語圏」の皆さんの為、市からの配布物には、スペイン語も加えて欲しいと言う要望があったのを覚えています。また、当時、様々な形でトラブルもあったようです。多分、今もどこかで発生している筈です。 


 私の最近の経験からお話ししますと、先発組(日本の方々)がルールを説明するの当たっては、それが如何に世界の正当な、正義のルールであっても、ただ、説明するだけだは、馴染んでいない後発組(外国の方々)には、一方的な押し付けになり、それが何度も続くと、パワハラやいじめのように感じられると言う事です。そんな時ほど、悲しく、怒りに震えることはありません。 「あなたは間違っている。私たちの会(日本国)ではこうなっているんだ。ちゃんと覚えろ。」と言われるのは辛いものです。「あなたは、まだ、私たちの仲間ではない。」と言われているのと同然です。 日本では「学校でいじめ」にあっても「転居」等の方法もあります。私はこれが最善と思っていますが、外国の方々はそうは行きません。不満が暴動になります。現在の世界の地域紛争の原点は案外、そんなところが発端かも知れません。では、どうすればよいか?やはり、先発組の後発組に対する「おもてなしの心」しかないと思います。紛争になったらお手上げです。国家に任せましょう。