2015年1月22日木曜日

「神奈川・伊勢原・大山情報館」はYahoo!ぶろぐに移動しました。

「神奈川・伊勢原・大山」情報館」は【新編】神奈川・伊勢原・大山情報館として、Yahoo!ぶろぐに移動しました。
 URLは次のとおり。

http://blogs.yahoo.co.jp/saiseigo2/64858810.html


長い間、ご愛読ありがとうございました。
平成22年から足掛け6年にわたり、掲載してきましたがこのブログの画像処理が不具合になったので、Yahooに移動しました。
今後とも、よろしくお願いします。

2015年1月12日月曜日

伊勢原・東成瀬地区の「どんど焼き」行事見学記

 平成27年1月12日(月)、 成人式の日ですが、いせはら歴史解説アドバイザーの田口多喜造氏のご紹介により、今日は、東成瀬地区の「どんど焼き」行事を見学させて頂きました。
 山形、置賜地区生まれのブロガーには、伊勢原の「どんど焼き」については全く分からず、興味津々。今年から、あちこち見学させていただくことにしました。
 東成瀬地区は田口さんのご紹介通り、商工会が主催し、伊勢原一の「どんど焼き」で、市長さんほか、国会議員、県会、市会議員さんなど駆けつける、1000人以上集まった、大掛かりな「どんど焼き」でした。びっくりしました。
 同道して下さったのは、会員の覚知氏、及び参与の宮崎氏、西部氏。途中、蛭田氏も駆けつけてくださいました。
 覚知氏には本筋の子ども会育成会との橋渡しをしていただき、感動でした。特に、この地域の会長さんは伊勢原市全体の子ども会役員をされていると言う事で、「伊勢原市の子ども会全体に話が通るかもしれない」という嬉しい場面も作ることができました。
 「I・おもてなし隊」の活動が子ども会に繋がる絶好のチャンスととらえ、期待しています。
その他、嬉しかったのは昨年、権田直助の弟子、高林謙三の件で結びついた、厚木から駆けつけて下さった「煎茶インストラクター」の上原美奈子さんとの邂逅でした。昨年、川越市で手に入れた、高林謙三展の特典冊子をお渡しすることができ、ホッとしました。
 いろいろ、お知らせしたいことが一杯ありますがそれは後日HPで報告しますので、ここでは、スナップ写真だけを記載します。した。また、何か、一緒にやりましょう!!
 

 











 


 
 

2015年1月11日日曜日

伊勢原・新屋(あらや)集落の「どんど焼き」行事見学記

 平成27年1月10日(土)、 いせはら歴史解説アドバイザーの和田氏のご紹介により、小稲葉地区新屋集落の「どんど焼き」行事を見学させて頂きました。
 山形、置賜地区生まれのブロガーには、伊勢原の「どんど焼き」については全く分からず、興味津々。今年から、あちこち見学させていただくことにしました。
 同道して下さったのは、会員の覚知氏、及び参与の宮崎氏、西部氏。
 和田氏及び新屋地区の自治会、子ども会育成会の皆さん、ありがとうございました。また、甘酒や尊いお団子ありがとうございました。
 いろいろ、お知らせしたいことが一杯ありますがそれは後日HPで報告しますので、ここでは、スナップ写真だけを記載します。








2015年1月9日金曜日

茶湯寺・「◯キ」地蔵に新情報                   お茶の水「ニコライ堂」の「キ」(複十字)は???

  昨年末、標記「◯キ」地蔵の不思議解明のため、澤田美喜記念館を訪ねてきましたが謎を解く方向には進みませんでした。
 その後、座間の「キヌバリサマ」馬頭観音にも、まだ、行っていません。
 しかし、「I・おもてなし隊」の毛呂山町支部員 町田さんより、次のような情報を頂きました。
 
 
 今日から3月末まで、東京都お茶の水に有る東京医科歯科大学の仕事をすることになりました。
 今日は第一回目の打合せで早く終了しましたので近くを散策中に昨年末から話題になっていた茶湯寺の「〇キ」印のお地蔵さんと関係が有るかは不詳ですが基督教に関係したキ印を発見いたしましたのでご連絡いたします。
 アーチの下に有る街灯にも角度の違ったキ印が4面に描かれています。街灯に有る文字の方が
カタカナのキに良く似ています。写真を添付いたしますのでご確認してください。
                       毛呂山町 町田美雄
 
 








 
 







町田さんへ
 お知らせありがとうございます。
 確かに、「キ」ですね。
 ただ、キリスト教の宗派で「ギリシャ正教」は「キ」を旗印とする複十字(ダブルクロス)という十字架をシンボルにしています。
 また。「キ」は、現在、世界の結核予防のシンボルマークとして、公益財団法人「結核予防会」の会章になっています。(次のURL参照)
 従って、新しい旗印ですので、お地蔵さんが彫られた江戸期は使われておりません。
 また、ギリシャ正教(東方正教会)の十字架は複十字を使っています。しかし、この教会は明治以降に日本に入ってきたキリスト教なので江戸期には使われていないと思います。
 また、「ロレーヌ十字」と呼ばれ、フランス東部のロレーヌの紋章ともなっています。
 さらに、古くはハンガリーやスロバキヤの国章にもなっています。やはり、「東ローマ帝国(ビザンティン帝国)」の影響を受けたせいでしょう。東ローマ帝国はローマからキリスト教を引き継ぎましたがローマ教会とは違ったコンスタンチノーブル教会を中心として独自の発展をとげ、「ギリシャ正教会」と言われるようになった宗派です。ローマ法王を頂点とはせず、皇帝を頂点とした組織となっています。
 
 お茶の水の「ニコライ堂」はギリシャ正教の教会です。
 
 また、「ギリシャ正教」は「東方正教会」とも呼ばれ、一国、一組織のようです。
 従って、「ニコライ堂」は「ロシアにあるロシア正教」のニコライさんが建てたけれど、「ロシア正教」の系統ではなく、独立して、「日本にあるギリシャ正教」となります。解説書では、その辺りが分りにくく書いてあります。

(URL参照①http://nikolaido.jp/
 ネットによれば、ギリシャ正教の教会は日本に60か所くらいあると言う事です。
 私は「ニコライ堂」のことを良く知らなかったので、新しい情報ですが中東の国々の「複十字=ダブルクロス」の国章については知っていました。
 今回、それが確認できたことは、凄いことです。
 ありがとうございました。
 写真はしっかりキープしておきます。
斉藤
 
 


2015年1月3日土曜日

謹賀新年!     「関八州見晴台」(埼玉県)からの大山眺望写真をお送りします。

  明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。
 年頭に当たって、伊勢原のシンボル「大山」の眺望写真をお送り致します。
 この写真は、埼玉県毛呂山町の郷土史好きの仲間、町田美雄氏より、13日にメールで頂いた写真です。元日、伊勢原市では9年ぶりに雪が降りましたが埼玉県では3日の今日も午後は雪になりそうなので、その前に撮影したそうです。
 

 なお、毛呂山町は明治初期、大山阿夫利神社中興の祖でもあり、現在の句読点法を提    唱した「句読点法」の著作を伊勢原から初出版した国学者の権田直助の生誕地です。

「国学の祖」と銘がある権田直助の座像は阿夫利神社境内の、本殿に向かって左側の
奥にあります。また墓地は「良弁の滝」の奥に「權田公園」として祀られています。

 



    
  

  
  
 
 
  



 明けましておめでとうございます。
 今日、雪が降る前に大山を撮ろうと思い「関八州見晴台」から大山を本日(3日)撮ってきました。山頂は北風が強く、とても寒かったです。
 関八州見晴らし台は埼玉県飯能市と入間郡越生町の境目にある高台で相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野の8か国が見晴らせます。
              毛呂山町 町田美雄
 

 



2014年12月30日火曜日

この1年間を振り返って・・・!              隊員の皆さんへ!! 感謝!!! 


今年(平成26年)は、春の「相模岡崎城跡探索ウォーク」から始まり、夏の「大山灯籠行事の調査研究」や秋のサポセンフェスタ時の展示まで、精力的に取り組むことができ、また、新しい仲間の加入、さらに「大山灯籠行事調査」に関しては、産能大との提携など、将来の活動に明るい兆しも感じられる一年でした。
特に、私にとっては、この1年、いかなる時でも、一緒に頑張って下さった仲間との絆が感じられ、これからの老いの生き様の励みになりました。今年も、希望を持って、若い世代に活動を繋げながら、励んでゆきたいと思っています。

この心情を、次の「かいだん」と言う一篇の詩歌で皆さんにお伝えします。

この詩歌は、「I・おもてなし隊」会員の飯田美枝子氏(神奈川教育臨床研究会代表)の著された「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」と言う書籍の中の一編です。詩歌を書かれた方は体躯のがっちりした青年です。私も何度かお会いしましたが丁寧な言葉遣いで挨拶もきちんとされ、半日の講義にもきちんと対応される方です。

従って、この青年が社会生活への不適応症状でフェードアウトされた方とは思えませんでした。

しかし、彼はアスペルガー症候群と戦ってきた青年でした。

 アスペルガー症候群とは、知的には問題ないが、興味、関心やコミュニケーション、パーソナリティーに特異性があり、大人の集団になってから集団になじめず、うつ病や強迫性障害などに陥り、成人生活が無理になる場合が多く、「大人の集団不適応症候群」と呼ばれている症候群です。現実的には、「空気を読めない」、「考えが拘っている」「感情を表現できない」、「多動で落ち着きがない」等の症状があります。以前は、社会不適応人格として一蹴されて来たようですが最近ようやく症候群として医療や教育界で取り上げられるようになって来ました。

 知的には問題ないので、この青年も高等学校まではクリアできました。子どもの頃は上記の症状は「個性」として認められるので、卒業はできます。しかし、社会に出、プロとして他人と仕事をするとなるとそうは行きません。彼は、悩み続けて、飯田美枝子先生の元に駆けつけたようです。今は、落ち着いて、福祉関係の事業所で働いています。

 説明がくどくなりましたが上記の詩歌はそんな彼が書いた一編です。そして、この一篇に私の思いも重ねられているのです。

 「わたしは 十歩がおそいと思っていた。でも、おそくないよと言ってくれる人がいた。」

 この行の「階段の一歩」は私の「私の発する一言」と重なります。「歩くのがおそい☛発音不明瞭」と差し替えれば、そっくりです。そして、「おそくないよ!」とおっしゃって下さった方々が私にもたくさんおりました。

 伊勢原市文化会館大ホールで開催された男声合唱団「マイスタージンガー」の発表会舞台で「ソロ」を担当させてくださった先生や仲間、その発表会を、わざわざ、聴きに来て下さった舌ガン切除Ope執刀医、東海大学病院口腔外科のDr、作助ウォークで「ガイド」をさせてくださった主催者や仲間、私の話を聞いて下さる「社会福祉関係の方々」や議員さん、近所の方々、そして「ISEHARA・おもてなし隊」で陰になり日向になり支えてくださる隊員の方々です。

その方々のためにも、この詩歌のように、来年も「これからも じぶんのかいだんを 自分の歩数で歩いてゆきたい。」と思っています。

 皆さんも無理のない範囲で、一緒に歩いて下さい

 なお、書籍「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」はサポートセンターの書棚に、宮崎武雄氏の「相州大山」の書籍と一緒に、「貸し出し本」として、並べられています。また、国会図書館の書棚には既にならんでいますが、来年には、伊勢原市図書館の書棚にも並びます。一度、ページを開いて見てください。

 

 

 

2014年12月28日日曜日

「◯キ」を訪ねて澤田美喜記念館へ                       大山・茶湯寺・地蔵様の光背に彫られた刻印を探る          昼食は国登録有形文化財「大磯迎賓館」


舟形光背に「◯キ」と刻まれている。
 年末の何かと慌ただしい中、宮崎武雄氏、執念の茶湯寺(ちゃとうでら)の「◯キ」地蔵(写真参照)の謎解きのヒントを探しに、歴史解説アドバイザー(「ISEHARA・おもてなし隊」とアドおおやまみち」合同チーム:男女4名)のクルーで、大磯駅前にある澤田美喜記念館(隠れキリシタン資料館)に行ってみた。
 
         
この記念館は、三菱財閥の子女として出生した澤田美喜が戦後、混血孤児救済の為に建設したエリザベスサンダースホームの敷地内にあります。美喜は岩崎家の別荘があったこの地、大磯でキリスト教と出会い、信者となり、キリスト教信者の弾圧から逃れて、信仰を貫いてきた「隠れキリシタン」の信仰の証を現在に伝えようと私財を投じて、全国から「隠れキリシタン」の仕掛けを持った「祈りの形(像)」を収集し、展示しているのものです。
 





 
館内には、「隠れキリシタン」が信仰を貫くために工夫した像や生活道具などが展示されていて、帰る頃には、仏教徒である我を忘れて、己が迫害を受けているような錯覚さえ感じた。最後に、行ってみた礼拝堂には、祈りたいと言う敬虔ささえ生まれそうであった。写真を参照してください。















 

 私は、現役の頃、サンダースホームの子ども達とお付き合いがあったが担任ではなかったので、訪れる機会がなく、「何時かは・・・!?」と思っていたので一際感情を高ぶらせて、拝見させて頂いた。
地蔵尊の刻印
しかし、「◯キ」に結びつく展示物やお話を発見することができなかった。参観途中、宮崎氏はご案内頂いた館員の方に例の地蔵尊の写真を見て頂き、助言を求めたが首を傾げるだけであった。ただ、ここにも、ネット情報以上のヒントは無い解くことだけ知ることができたのは収穫であった。
 
係員が食材を説明しながら取り分けてくれた
昼食は年末と言う事もあり、大磯で商売をして大儲けした商人の別荘「大磯迎賓館」(国登録有形文化財)で取ることにしたファミレスと違った雰囲気で、一寸戸惑ったが高齢の図々しさで、セット料理とビールで大喋りをさせて頂いた。料金もそうだが無礼も含めて、「贅沢な時間」を過ごさせて頂いた。

 
昼食時話題になったのは、ヨーロッパの宗教革命を境にしたキリスト教の伝播状況や「◯キ」のキはキリシタンのキなのか、日本の歴史でカタカナは現実の生活の中でどの程度使われていたのだろいうか、などと留めのない話で終始した。
その中で私が主張したのは、「舟形光背の中央の刻字は、通常、梵字など刻まれているので、も祈りの対象として刻まれていることは間違いないと思う。ただ、江戸期、「キ」というカタカナを庶民が使っていただろうか。ましてや、「キリシタン」を「キ」で表現したであろうか。隠して刻んでいたのは、「十字架」が殆どである。それを考えると、キリスト教を離れて、土地の産業や民衆の職業、講の神様や歳神様の象形として見る方も忘れてはならないような気がする。
 ネット情報であるが座間市に「キヌバリサマ」と片仮名で刻まれた馬頭観音碑があるそうだ。聞いたことが無い神様だが養蚕の神様「オシラサマ」と同じようだ。一般化していない、一部の地域民で祀られている、このような歳神様や大山土着の神様がいるかもしれない。
 この町に移り住んだ自分には見当もつかないが・・・。
また、この地蔵さんは大山地域内で移動されているらしいので、遠い地域の崇拝仏を考えなくとも良いので、もう少し、地域を広げて調査を続けて行きたい。

 再度、Yahooの「知恵袋」に投稿し、多くの意見を集めてみました。URLは次のとおり。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140030858

 
 帰り際、別室に展示されている大磯「左義長」の写真展を拝見し、「ISEHARA・おもてなし隊」が来年から取り組み始める「伊勢原のどんど焼き」現況調査に弾みを与えて頂いた。