2014年12月28日日曜日

「◯キ」を訪ねて澤田美喜記念館へ                       大山・茶湯寺・地蔵様の光背に彫られた刻印を探る          昼食は国登録有形文化財「大磯迎賓館」


舟形光背に「◯キ」と刻まれている。
 年末の何かと慌ただしい中、宮崎武雄氏、執念の茶湯寺(ちゃとうでら)の「◯キ」地蔵(写真参照)の謎解きのヒントを探しに、歴史解説アドバイザー(「ISEHARA・おもてなし隊」とアドおおやまみち」合同チーム:男女4名)のクルーで、大磯駅前にある澤田美喜記念館(隠れキリシタン資料館)に行ってみた。
 
         
この記念館は、三菱財閥の子女として出生した澤田美喜が戦後、混血孤児救済の為に建設したエリザベスサンダースホームの敷地内にあります。美喜は岩崎家の別荘があったこの地、大磯でキリスト教と出会い、信者となり、キリスト教信者の弾圧から逃れて、信仰を貫いてきた「隠れキリシタン」の信仰の証を現在に伝えようと私財を投じて、全国から「隠れキリシタン」の仕掛けを持った「祈りの形(像)」を収集し、展示しているのものです。
 





 
館内には、「隠れキリシタン」が信仰を貫くために工夫した像や生活道具などが展示されていて、帰る頃には、仏教徒である我を忘れて、己が迫害を受けているような錯覚さえ感じた。最後に、行ってみた礼拝堂には、祈りたいと言う敬虔ささえ生まれそうであった。写真を参照してください。















 

 私は、現役の頃、サンダースホームの子ども達とお付き合いがあったが担任ではなかったので、訪れる機会がなく、「何時かは・・・!?」と思っていたので一際感情を高ぶらせて、拝見させて頂いた。
地蔵尊の刻印
しかし、「◯キ」に結びつく展示物やお話を発見することができなかった。参観途中、宮崎氏はご案内頂いた館員の方に例の地蔵尊の写真を見て頂き、助言を求めたが首を傾げるだけであった。ただ、ここにも、ネット情報以上のヒントは無い解くことだけ知ることができたのは収穫であった。
 
係員が食材を説明しながら取り分けてくれた
昼食は年末と言う事もあり、大磯で商売をして大儲けした商人の別荘「大磯迎賓館」(国登録有形文化財)で取ることにしたファミレスと違った雰囲気で、一寸戸惑ったが高齢の図々しさで、セット料理とビールで大喋りをさせて頂いた。料金もそうだが無礼も含めて、「贅沢な時間」を過ごさせて頂いた。

 
昼食時話題になったのは、ヨーロッパの宗教革命を境にしたキリスト教の伝播状況や「◯キ」のキはキリシタンのキなのか、日本の歴史でカタカナは現実の生活の中でどの程度使われていたのだろいうか、などと留めのない話で終始した。
その中で私が主張したのは、「舟形光背の中央の刻字は、通常、梵字など刻まれているので、も祈りの対象として刻まれていることは間違いないと思う。ただ、江戸期、「キ」というカタカナを庶民が使っていただろうか。ましてや、「キリシタン」を「キ」で表現したであろうか。隠して刻んでいたのは、「十字架」が殆どである。それを考えると、キリスト教を離れて、土地の産業や民衆の職業、講の神様や歳神様の象形として見る方も忘れてはならないような気がする。
 ネット情報であるが座間市に「キヌバリサマ」と片仮名で刻まれた馬頭観音碑があるそうだ。聞いたことが無い神様だが養蚕の神様「オシラサマ」と同じようだ。一般化していない、一部の地域民で祀られている、このような歳神様や大山土着の神様がいるかもしれない。
 この町に移り住んだ自分には見当もつかないが・・・。
また、この地蔵さんは大山地域内で移動されているらしいので、遠い地域の崇拝仏を考えなくとも良いので、もう少し、地域を広げて調査を続けて行きたい。

 再度、Yahooの「知恵袋」に投稿し、多くの意見を集めてみました。URLは次のとおり。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140030858

 
 帰り際、別室に展示されている大磯「左義長」の写真展を拝見し、「ISEHARA・おもてなし隊」が来年から取り組み始める「伊勢原のどんど焼き」現況調査に弾みを与えて頂いた。
 

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