この日、8日(日)岡崎神社から真田城跡を経て、第1国道から小田原を経て佐奈田神社に着いたのは11時頃か? 国道から右手の石橋山の中腹にある佐奈田神社 、駐車場に車を置いて、ここからは徒歩。みかん山の舗装された
農道に与一の「討たれた」という碑があった。(この辺りを「ねじり畑」と云うらしい。)
山の中腹の道端であるが当時は何も無い山中であったろう。
その後、家来の陶山文三が駆け付け、8人を討ち取ったと云う。
そこを一寸進むと山手に30cm程の大きさで造られた石垣が続く。その中の一つに、周囲と馴染まない、2m程の大きな自然石がある。
諏訪間氏の説明によれば、この辺りは江戸城の石垣用の石の採掘場で、採掘した石は傾斜を利用し転がし、海岸迄運んだと云う。そう云えば、山の傾斜にそんな風情の石があちこちにあった。
しかし、感動したのは、その石に「四角」が掘ってあり、下の方に鏨を打ち込んだ跡があった事である。(岩石写真の中央部に四角がめるでしょう!?) 「もしかしたら江戸城の石垣用に掘りだされたのでは・・・?」と思っていたら、その通り、諏訪間氏は説明した。
感動である。
江戸城で見るなら感動などしない。ここで見たから感動である。
岩石の事は詳しくないが甥っ子に住宅地の地震判定士がいる事や「大江戸検定試験」で江戸城の石垣は相模湾沿いの真鶴や熱海からの石が多く使われた事、そしてその石には提供した藩の刻印がある事や運搬用の運河の構築などを、「神奈川検定試験」では神奈川の良質の石と云えば「真鶴石」である事、いせはら歴史解説ボランティア講座では日向石を、箱根の地球博物館では丹沢・大山の凝灰岩の事などを学んだので、この石の刻印につては想像できた。
しかし、その作業途中の石を見る事ができた事には、まさに、いせはら歴アドと諏訪間氏に感謝である。だが、神奈川検定と大江戸検定の1級への挑戦には目覚めて来ない。
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