2012年12月17日月曜日

「中国王朝の至宝」(国立東京博物館)特展観覧してきました。

 細君が「押し花教室の研修会」で、小田原に終日出かけると言うので、私は上野に出かけることにした。目的地は表題の特別展。
 予定では、上野の会場まで2時間。ピッタリに博物館に到着。会場は「平成館」。
 しかし、そこで待っていたのは、手荷物検査。ザックを開けるよう指示され、内容物をチェックされた。多分、現在の尖閣諸島の一件で、トラブルを警戒をしているのであろう。文化交流に、この様な心配をしなければならないのは悲しい。しかし、これが現実であろう。
 私の最の関心事は、「夏」の出土品。しかし、会場で出合ったのは、夏や殷と同時代とされる「蜀」の出土品であった。思い起こせば、四川省で出土した「蜀」の青銅器の出土品は、今までにない形状と模様で、世間にデビューしたのは、何時であったろうか!?その事を、すっかり忘れていた。
 昭和30年、高校生の頃、受験と云うので覚えさせられた中国王朝名は、「夏・殷・周・春秋・戦国・秦・漢・三国・両晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国」であった。「蜀」は無かった。
日本史と中国史はこんな漢字が嫌で、カタカナで良い世界史に走った。
 そこで、「カルタゴの名将ハンニバルは、10万の兵と37頭の象を従えて、ピレネー越え、ローマに攻め入ったが、ローマの騎兵に、如何ともしがたく、遂に、自滅!」と広島大出身の伊賀仁先生の名調子に出会い、西洋の古代史にのめり込んだ。
 伊賀仁先生は所属した山岳部の顧問でもあり、部歌は広島大山岳部の部歌をそのまま引用。しかし、その歌は、芹洋子さんが歌っている「坊がつる賛歌」でした。
  そんな青春の一時期を思い出した。
 しかし、この朝、駈け込んだ新宿行きの急行電車で、初めて若い女性から、「席」を譲られた。誕生日から、72年9ヶ月後の事である。
 まだ、ゴルフでは、ドライバーを持てば、250ヤード飛ぶんだけどね。
 29年ぶりの師走の衆院選挙も、朝、投票を済ました。
 政治に期待するのは、景気浮揚以外は、今の所ない。


 




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