2月8日、「伊勢原の遺跡、大山子易地域の新東名高速建設予定地に大型建物跡を発見」と云う情報を仕入れ、早速、翌日しか無いと言う「見学会」に参加。子易地域は親戚や知人が住んでいる所であり、立ち退いた方々も知っているので、見逃せなかった。
大山行き、「明神前バス停」で下車。大山に向かって左側の農道に入ると、大山新道の建設の現場があり、発掘現場はその右上の棚田であった。この棚田、10年ほど前、市農政課の「市民オーナー制度」で稲作を体験した棚田で、改めてこの地域との縁を感じた。
報告は写真中心で行いたいが解説員によれば発掘跡は、13c末から14c始め(鎌倉時代後期から南北朝時代)の「民家跡」ではなく、「武家屋敷跡」だと言う事が大きな話題であると言う。今まで、大山は宗教の山として話題になっていたが武家との関連は無かったからであろう。しかし、御師達の一部は足利尊氏の下に駆けつけているので武力とは関係なかったわけではないと思われる。
また、新聞によれば「鎌倉以外の地域で、これだけ良い状態で建物跡が発見されるのは珍しい。中世の伊勢原を探る上での貴重な発見である。」と云う。
「武家屋敷」である理由として、厩跡があること柱が頑丈で、角柱に削るなど建設様式が頑丈で細工されていることを挙げていた。
また、周囲の状況が谷(南はゴルフ場下の谷、北は鈴川、西は山地、南は伊勢原市街地を見渡せる扇状地)で囲まれている事等、武家屋敷(城郭)としての条件も備わっていると言う。
大山が良く見える。手前のブルーシートが発掘現場 |
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