2013年3月31日日曜日

栃木・茂木町⇒茨城・大子町(袋田の滝)⇒日立市(震災巡見)へ

 3月18日(月)、栃木県茂木町にお住まいの大学の同級生が骨髄癌で亡くなった。72歳である。
昨年の京都での同級会には、ご夫人の介添いで参加され、「定年後の農作業で腰を痛めてしまった。その後、身長が5cm、縮んだ!」と笑っておられたが事態は、もっと重かったらしい。
 29日、細君を連れて、仏前に観音様の写仏と写経を捧げ、「般若心経」を音読申し上げてきた。私は一応、身内だけ供養できる「知客職(ちかしょく)」と言う在家僧侶の資格を持っているので、一寸拡大させていただいて、供養を申し上げてきた。
 ご夫人のお話では、亡くなる直前、ようやく編集出版できた「みろく」と言う同級生誌をベッドで読んでいたとお聞きし、涙が出るほど感激した。
 旧家のご出身で、ご夫妻で地元の中学校の教員をなさっていたと言うことです。家屋は100年以上経っているので、新盆が過ぎたら建て替えるということでした。
 折角、栃木までやってきたので、帰りは、念願であった「袋田の滝」を見、日立市辺りの海岸に行き、震災の様子を見てみようということになった。
 しかし、茨木の海岸は福島と違って、直接津波が押し寄せなかったのであろうか?波にさらわれた痕跡は見つけることが出来なかった。福島のいわき市とは雲泥の差である。人々の生活も平常に戻っていると思われた。
同級生宅の大黒柱(お孫さんがシールを張ったと言う)
日立市には大山の「石尊信仰」を勧進した「石尊山」がある。震災前、訪問したいと思い、市役所の係員と連絡を取っていた。大子町にも石尊山があると聞いた。そもそも、大山信仰の盛んな武蔵国には「石尊山」と名づけられた400m級の山が、47か所のあると聞いている。しかし、これらの山は参道があるわけでなく、「石尊山」と書かれた石碑が山頂にあるだけで、立ち木に赤い布を捲いた道案内などがあるだけらしい。いつか、順次訪問したいと思っていたが、一人では行きにくい。同行を頼るは細君だけである。
袋田の滝



 

2013年3月22日金曜日

武蔵国だより (第2便)

 権田直助の生誕の地、「埼玉県毛呂山町」の町田美雄さんからの第2便です。
 第1便は日高市からの、感動的な大山山影でした。
 今度の第2便も大山参詣が盛んだった日高市の情報で、権田直助の詠んだ歌が立札に掲示されている樹齢300年と云う高麗神社の「ひがん桜」の花だよりです。
 最近知ったのですが日高市からは「日高道」とよばれる「大山道」があり、武蔵からの大山道の大半は、この日高道に収斂されて大山まで続いているようです。
 以下、その写真とお便りです。

 権田直助大人(うし)が詠んだ「ひがん桜」が開花しましたのでご紹介いたします。
 










場所は
埼玉県日高市 高麗神社境内です
写真1 樹齢300年のひがん桜です
写真2 高麗神社
写真3 権田直助 詠 
撮影 平成25年3月21日午後3時30分

2013年3月20日水曜日

北町・南町奉行所跡、見っけたぞ‼

 今日は大学の同級会幹事会が東京駅であったので、復元された東京駅の撮影ができると心を弾ませた 。その上、かつて、大江戸検定の学習時、発見できなかった「南町奉行所跡」の発見再挑戦や皇居の尚蔵館で初公開されている「明治初期の皇室や政府の高官」等の若き日の肖像写真が見れるというので勇んで出かけた。
東京駅
幹事会は午前中終了したので、昼食なしに歩きまわった結果、「尚蔵館」は公開終了、「八丁堀与力同心組屋敷跡」は今一歩で、探し損ねた。しかし、町内会地図を撮影してきたので次回の東京訪問時は必ず探し当てる予定。
今日の結果は次のとおり。

 成果①東京駅の復元に関する情報と撮影。

 成果②北町奉行所跡。ポリスボックスと大丸の受付嬢に聞きまわり、ようやく探し当てる。


成果③八丁堀。発見したのは「八丁堀交差点」と「堀部安兵衛の記念碑」と「同心屋敷跡の町内案内図」


 成果④南町奉行所跡。ぐるぐる、ネット情報(実は古かった)で歩き回ったがダメ。郵便屋さんに聞いても不明。ポリスボックスを探し当て、ようやく、何回も行き帰した有楽町の中央口直ぐ前で発見


東京駅2階・喫茶店「虎や」の店内の旧駅舎煉瓦仕様
店長は美人女性!店員は皆やさしかった!


日の丸が翻っている‼感動‼

右上の京橋スクエア辺りに「八丁堀与力同心屋敷跡」があるらしい?

北町奉行所跡プレート
右は大丸百貨店で、奥のコーンポストの右下にプレートがあった。右のコーンは映っているもの。

大丸百貨店に沿い右に曲がった突き当たりが奉行所跡

南奉行所跡のプレート
説明文

有楽町中央口を出た直ぐの円形屋根の壁面
(女性が腰かけている場所)

◆南町奉行所跡プレート所在地図


◆北町奉行所跡に関するネット情報


◆南町奉行所跡に関するネット情報


2013年3月19日火曜日

大山新道:オカメザクラと一の鳥居移転道標

上粕谷村名主「山口作助」江戸出府の道を歩く、「作助ウォーク」の第3回目は藤沢市である。その最初のガイド場所である四ッ谷の「一の鳥居」のガイドに当たって、古い道標を見せたいと思った。
しかし、以前撮影した道標は不鮮明なので、再度撮影に行ってみた。この日はくもり空で、最高の撮影日だったからである。
 この道標は高さは約27m、素材には静岡の小松石が使われている。造立は1661年(万治4年)と記されている。1835年(天保6年)に再建され、関東大震災などでも修理・再建されているが痛みが激しく、新調された。その古い道標を大山新道に移転したもので、最初は古いままだったが今度行ってみたら、文字が赤く染められている。道標を辿ってみると結構、赤字で染め直されているのを見てきたが、余り好印象を受けていない。地元の方々は「文字こそ命」と思われているかもしれないが何だかケバケバし過ぎる。
  しかし、ウォークのガイド材料には最適である。この写真をスタッフの皆さんに提供することになっている。
まあ、それはそれとして、周囲は最近植えられた「オカメザクラ」が満開だ。気分が良くなって、周囲を散歩までしてしまった。

 

2013年3月17日日曜日

Chieさん‼ 【Chie's Birthday Latin Live】 おめでとう‼


智恵さん!
  第3回目の誕生日ライブ、おめでとう!
 しかし、第1回目は東日本大震災の当日で、出来なかったんだよね。正直、残念でした。
 震災を乗り越えて、去年は会場の「HEY JOE」一杯のお客さんで盛り上がったよね。一緒に行った仲間も、知恵さんの迫力とラテンのリズムに酔いしれ、皆、若さを取り戻し、昂奮して帰宅しましたよ!


「小和田あきこ」には今年も参ったよ。動画にしたつもりだったが写っていなかった。残念。来年は必ず動画でUPしたい。
 また、去年は古文書の解読で、学芸員さんへの橋渡し役などお願いして、お世話になりました。お陰で、又レポートができそうです。また、今夜は元県立歴史博物館の元館長さんや管理課長さんに会えて、勤務当時の懐かしい話も出来たよ。
 バンドも最高!身体が自然に動いたよ。
去年、パーカッションの松井さんとはHPで交信。学校訪問等活躍してるようですね。



Gの軽妙な合いの手、Dの笑顔、Bの真剣な表情。皆去年と同じ。Keyの方だけ初めての方だったかな。しかし、ピアノと、Keyボードと鍵盤ハーモニカを左右の手に分けて演奏する姿には驚いた。彼は酔ってるね!彼のライブに行ってみたい。
 と云う事で、風人社にも報告しなければなりませんので、今年も私のブログにUPさせてもらいます。
 伊勢原でライブしてもきっと集まるよ。カラオケはもう1回行きたいね。



◆一緒に行った仲間の声です。
昨日は大変お世話になりありがとうございました。ラテンミュジックは全身でリズムにのりテンポよくバンドと一体で歌い上げているということが改めて分かりました。主役は5楽器演奏に負けない声量と歌唱力の我らのチエ、ボーカル。これを自ずと全身で聴きうけ圧倒され酔いしれる。それは身近で体験できるライブの魅力でした。特にキーボード奏者の3ウエーでピアノ・キーボードとピアニカの演奏切り替えの見事さ・狂いのない指運び・旋律を奏で、ギター又はボーカルに寄り添い、付き、離れ、飛はね、躍動し、強く・弱く・軽快に響かせる。目の前で踊るように弾く姿が印象的でした。
ブログの記事を見させていただきました。昨日の興奮がよみがえります。ありがとうございました。
   3月17日 庄司


2013年3月7日木曜日

我が家の菜園の「アサツキ(浅葱)」・・・今が旬!!今が美味!!

 我が家の菜園で、30年来栽培されているものに「アサツキ(浅葱)」がある。「アサツキ」はネギ属の球根多年生植物で、馴染みは少ないが我が生誕地「羽前の置賜盆地」では早春の新鮮野菜として、古くから食されて来た。
今朝採りの「アサツキ」。根がしっかりしている。
母親が残雪残る畑から掘り出し、「ヌタ」にして食卓に上げた。まだ日光を浴びてなくいので、光合成されてなく、葉は黄色である。春を待つ子供たちには、わくわくする食べ物であった。
 それが「原体験」となって、菜園を作り始めた時から栽培している。しかし、相州では、2月頃から食せるが「黄色」の時期は土中だけで、芽が出るとすぐ緑になる。逞しく冬を越すので「根」はしっかり張っていて、掘り起こすのは大変である。(写真参照)
 この「アサツキ」を食べさせたい方が現れた。「ISEHARA・おもてなし隊」の西部氏とその友人K女史である。K女史は羽後生まれの同級生で、言葉や生活習慣や民謡等で共有するものが多く、お互いに気が合い、嬉しい関係を保っている。
 K女史は、1月「歌好き我ら」と一緒に「スパ・リゾート・ハワイアンズ」に同行し、「いわき市」の復興状態を視察。2月には、得意の秋田料理の「しょっつる鍋」パーティーを開いてくれた。是非、彼女にも食べて欲しいと思っている。
 写真はその時の「お品書き」です。この「お品書き」も「歌好き我ら」のS女史が書いてくれたものである。普段は、そんな凄い能力を持っているとは思えないような、やさしい、歌好きの女性である。世の中には隠れた能力を持っておられる方が沢山おられる事を、改めて知らされた。
  5月の山菜期には「蕨料理パーティー」を開いてくれるそうだ。待ちきれない!!

お品書き。この他「あけび」の料理は苦味が全くなく、素晴らしかった。
なお、「アサツキ」は、ネギりも色が薄く、食用とされるユリ科植物の中では最も細い葉を持つ。流通量が非常に少ないので葉ネギを「アサツキ」と称して店頭に並んでいる場合があるが、元は野草であり、現在も「野蒜(ノビル)」と同じ様に、山野で自生している。アサツキという名は、ネギ(葱)に対して色が薄い(浅い)ことからきている。

2013年3月4日月曜日

文化財ウォーク「出府諸用控に見る江戸への旅」             地代官山口作助の歩いた道・第2回目無事終了

   平成25年3月2日(土)「NPO雨岳文庫を活用する会」主催の、表記の文化財ウォークの第2回目が無事終了しました。
 第2回目は「田村の渡しで、相模川を越える」と云うテーマで、安政6(1859)年4月3日(新暦5月12日)、作助が歩いた道の、平間から寒川迄の約6kmを辿りました。
 朝9時、平間入り口に集合。この朝は、藤沢から歩いて来られた若い、ウォーカ―もおられ、スタッフも驚いている中、参加者31名、スタッフ17名、3班に分かれて出発。
出発前の諸注意
正福寺→御霊神社→田村宿場跡→妙楽寺(山門)→田村の館跡→田村の渡し跡→相模川渡川→一之宮不動堂(大山道道標)→学習センタ―→梶原景時館跡→一之宮宿跡→景観寺と巡り、2時30分ごろ、ここで解散。
 その後、スタッフは伊勢原に戻り、大原児童
館で反省会。申込方法の改善や次回の案内地図に「作助が実際に歩いた道」も、参加者が把握できるよう工夫することや次回も、参加者中心の楽しいウォークを実施したい旨確認し、5時過ぎ解散しました。
以下、写真で様子をお知らせします。(写真提供:庄司さん)
正福寺ご本尊、薬師如来様と十二神将(特別御開帳)
田村継立場跡

田村の館跡

田村の渡し場跡
不動堂ご本尊。不動明王と脇眷族二躰(特別御開帳)






不動堂前の「大山道標」
























梶原景時館跡




























◆主催者「雨岳文庫」報告HP


http://www.ugakubunko.com/htdocs/?page_id=27


◆第2回目参加者記録    「全部假的」氏ブログも、是非ご覧ください。
 兎に角、詳しく、写真も素晴らしい。第3回目にウォークする藤沢の内容も入っています。

<ヒッキーハイク、伊勢原の第2回文化財ウォークに行くお(^ω^ )

http://jia4de.exblog.jp/19548553/