◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。 ◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」は、「伊勢原市の歴史や文化財を守り、育てる」と言う理念を元に、欧州のツアーリズムから発生した「ホスピタリティー hospitality」の精神を受け継ぎ、伊勢原市民は勿論、何らかの理由で伊勢原市を訪れる皆さんを「無報酬で、最高のおもてなしの方法」を提案したり、実践したりしたいという方々の集まりです。 ◆写真はクリックすると大きくなります。
2013年11月27日水曜日
2013年11月22日金曜日
小春日和の大山<下谷:渋田川の流れから撮影>
2013年11月18日月曜日
伊勢原・小春日和・午後の散策 ・・・クルリンちゃんに会いました
平成25年11月17日(日)。
農業祭りのこの日、小春日和になった。
伊勢原野菜の舟盛り |
展示トラクターは子供達に大人気 |
帰りがけ、2Fで「骨密度検査」をしていると言うので、参加。初めての経験である。細君は骨密度が悪いので2年前から牛乳を飲み始めたが変化はなかった。私は正常値。
その他、大山小学校の学校農地で作ったと言う作物展示が関心を引いた
移動中、「クルリンちゃんがジャンケン大会をやっているよ!」というアナウンスで、「サポートセンター・フェスタ」に足を向ける。
学校菜園の収穫物 |
初体験骨密度診断書 |
近くには、沼目地区で大活躍されているアドバイザー仲間のアイさんも「ビオトープ」展示の案内係をされていたので、この辺りは「世間話」で大騒ぎになっていた。沼目の川縁に植栽した「桜」は見事に育ち、今年の
「ビオトープぬまめ」の展示場 |
自宅から農協本社迄片道4㎞はあるだろう。途中で、細君が「みどりの町基金財団」の ボランティアをして、栽植したと言う「スーパーOK」前の花壇の見事さを誉めたり、コーヒーなど嗜んで、8㎞の道のりを楽しんだ。
サポセン会場 |
会って見たかった クルリンちゃん |
「アドおおやまみち」の展示場 (活動内容がパソコンのスライドショーで紹介されている。) |
スーパーOK前の花壇② |
スーパーOK前の花壇① (みどりの財団のボランティア植栽 |
2013年11月16日土曜日
出前授業のスタッフとして、頑張っています。 「市内小学校で縄文土器の野焼き」<写真集>
平成25(2013)年11月13日(水)
◆縄文土器つくりと野焼き体験授業<小学校6年生の社会科授業の一環。>
◆市文化財課の出前授業。・・・・サブスタッフとして「いせはら歴史解説アドバイザー」10名。
◆この記録を「清川村の道子窯」の「すえろまる氏」に見てもらい、コメントをもらいます。
◆写真はクリックすると大きくなります。
◆縄文土器つくりと野焼き体験授業<小学校6年生の社会科授業の一環。>
◆市文化財課の出前授業。・・・・サブスタッフとして「いせはら歴史解説アドバイザー」10名。
◆この記録を「清川村の道子窯」の「すえろまる氏」に見てもらい、コメントをもらいます。
◆写真はクリックすると大きくなります。
始めの集会 |
始めに地面と作品を乾かす為の空焚き。 周囲にあるのは作品。 児童が自分で並べています。 |
乾いた中央の地面に作品を並べる。専門家の助言により、 ここで急激高温にすると割れが多くなるので、 30分以上かけ、ゆっくりと加熱するよう提言しました。 しかし、結果は不明!?。 |
いよいよ周囲から火力を上げて行きます。この時の薪の入れ方には年季がいります。 歴史アドバイザーの経験者が助言します。 |
作品を炎で覆わなくとも焼けているようです。 |
風上も色が土器色で調子が良い様だ。 |
取り出した作品。
板の上にあるのは欠けた欠片。作品が欠けた場合子供たちがやってきて、必死に破片を探します。子供達に取っては、どんな些細なことでも、大切な作品なのです。
アドバイザーはその事をよく知っており、灰を掻き回して必死に破片を探しまわります。
|
最高の焼き上がりの作品 |
これも良く焼けている |
作品を返す前に今日の焼き具合を報告。 |
2013年11月15日金曜日
大山御師・蓑毛宿・初訪問。 <相模大山・・・今日の話題③>
平成25(2013)年11月12日(火)大山寺訪問時の話題、三つ目。
家康の裁断で、蓑毛に下った「大山御師」の宿坊街を初訪問。蓑毛の宿坊が並んでいるのは県道702号線沿いの蓑毛地区。
この地区の手前、寺山にある「東京カントリークラブ」までは、いつもプレーで行っており、その先までも何回も車で登っているが関心が向かなかった所為か、歴史的事情については、全く知らなかった。
しかし、宮崎・西部氏の案内で、散策してみると興味ある話題がぞろぞろ。
特に、西部女史の深い知識には感服。もう、○○十年と言う観光ボランティア活動で得た知識と記憶力は物凄い。その知識を一気に話すので、聞く方も覚悟をして聞いている。しかし、忘れても怒らないのが助けの神。彼女のもっと凄いのは何回同じことを聞いても、いつも真剣に教えてくれること。パソコン操作もそうだが高齢者には、こういう方が貴重である。大切にしたい。
この蓑毛宿坊に来たのは、もう一つ目的があった。宮崎氏が今度出版する大山紹介本に、蓑毛の宿坊の写真を掲載するための撮影でもある。大山山頂で撮った私の写真も掲載されるらしい。
蓑毛宿坊でも、私と西部女史をモデルにしたスナップ写真を撮っていた。これも掲載させるのだろうか。そうだったら記念になり嬉しいが・・・。
家康の裁断で、蓑毛に下った「大山御師」の宿坊街を初訪問。蓑毛の宿坊が並んでいるのは県道702号線沿いの蓑毛地区。
蓑毛宿坊街 |
しかし、宮崎・西部氏の案内で、散策してみると興味ある話題がぞろぞろ。
特に、西部女史の深い知識には感服。もう、○○十年と言う観光ボランティア活動で得た知識と記憶力は物凄い。その知識を一気に話すので、聞く方も覚悟をして聞いている。しかし、忘れても怒らないのが助けの神。彼女のもっと凄いのは何回同じことを聞いても、いつも真剣に教えてくれること。パソコン操作もそうだが高齢者には、こういう方が貴重である。大切にしたい。
蓑毛宿坊の前で |
蓑毛宿坊でも、私と西部女史をモデルにしたスナップ写真を撮っていた。これも掲載させるのだろうか。そうだったら記念になり嬉しいが・・・。
大日堂へ続くみのげ橋 |
大日堂から大山山頂への蓑毛道 |
大山山頂での二人に写真 |
宮崎武雄さんの『相州大山今昔史跡めぐり(仮称)』出版 タウンニュースで紹介
このブログに度々登場頂いて来たブロッガーの友人であり、相模大山に関する師匠でもある「宮崎武雄さん」が今日(2013・11・15)のタウンニュースで記事になっています。
記事では、今度、宮崎さんが出版する大山の紹介・案内本、「相州大山今昔史跡めぐり(仮称)」(風人社出版 1800円)が紹介されていました。
この本は、前回出版した大山案内本『相模大山』(500円 2000部)が完売した後を受け、再度、山頂登頂やウォーク、調査研究を行い、内容をバージョンアップ、ボリュームもアップして出版に漕ぎ着けた、大山に対する思いのこもった一冊です。
一昨日も、この書籍の取材で、蓑毛宿坊探訪をご一緒してきました。
(相模大山…今日の話題③参照)
今年中に出版予定です。出版されたら、「出版記念サイン会」などやりたいと思いますので、ご案内がありましたら、ご参集下さい。
記事では、今度、宮崎さんが出版する大山の紹介・案内本、「相州大山今昔史跡めぐり(仮称)」(風人社出版 1800円)が紹介されていました。
この本は、前回出版した大山案内本『相模大山』(500円 2000部)が完売した後を受け、再度、山頂登頂やウォーク、調査研究を行い、内容をバージョンアップ、ボリュームもアップして出版に漕ぎ着けた、大山に対する思いのこもった一冊です。
一昨日も、この書籍の取材で、蓑毛宿坊探訪をご一緒してきました。
(相模大山…今日の話題③参照)
今年中に出版予定です。出版されたら、「出版記念サイン会」などやりたいと思いますので、ご案内がありましたら、ご参集下さい。
2013年11月12日火曜日
大山寺までの林道をクネクネ、車で初走破。 <相模大山・・・今日の話題②>
慈雲山来迎時 |
慈雲山観音寺 |
帰路に立寄り、撮影。反対側に墓所がある。ここは、来迎院が移転する前にあった「大山寺末寺茲雲山観音寺の墓所だと言う。しかし、大山にあった様々な寺院の墓所でもあるらしい。撮影時、墓参に来たと言う地元の老女の墓所は「茶湯寺」だと言う。
帰りがけ、大山公民館に下りる坂道の入り口近くにある墓所が気になった。奥にある墓石が六角柱である。その前に立ち並ぶ墓石も将棋の駒方であり、墓誌名に「○○○大人(うし)」とある。阿夫利神社の墓所である。碑を見たら、私も知っている御師の方の墓所であった。
神社の墓所。奥の墓石は六角柱 |
来迎院を過ぎて、さらに進むと、12月18日(水)にウォークする大山古道のイヨリ峠に続く道の案内板が、林道を横切る形で続いていた。しかし、この道は獣道で、「ここで、蛭に出合ったら大変だなあ!」と権田直助が箱根を抜け、三島神社に向かったと思われるこの道の難渋さを感じさせた。
観音寺墓所 |
大山公民館に降りる道 (白い建物が公民館) |
感想としては、近い時期、清水屋さんに車を預け、誰かとウォークしなければなるまいと感じてしまった。
◆この林道地図は以下のYAHOO地図URLをクリック。
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?p=%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8E%9F%E5%B8%82%E5%A4%A7%E5%B1%B1&lat=35.41891998&lon=139.26005041&ei=utf-8&sc=3&datum=wgs&gov=14214.6.200&ac=14214&az=6.200&layer=pa&v=3
大山寺本堂の壁面の彫り物の手は複数あり・・・。 <相模大山・・・今日の話題①>
平成25(2013)年11月12日(火) 西部周子氏より、大山寺訪問のお誘いあり。
大山寺まで裏道を通り、自家用車で、大山寺まで登ると言う。
道が狭いので、小型車で出発。期待に胸が膨らみ過ぎて、助手席でのおしゃべりが止まらない。半分の舌では、何を言っているのかわからないだろうが、同乗者は合いの手を入れてくれたり、念入りに説明してくれたり。こう言う所が、嬉しい方々である。
土産店「清水屋」さんの駐車場を突っ切り、3mほどの舗装された道に入る。この道が大山寺まで続くと言う。途中、来迎院やイヨリ峠への看板などがあったがそれは次回に譲り、「バブル期に余った予算で作った。」と宮崎氏が嘆く、斜面に沿った林道を走る。紅葉した山の中に阿夫利神社下社も銀色に輝いて見えた。10分も走ったろうか。小型の業者用の車やユンボ等があり、大山寺の裏にでるトンネル前で駐車。外に車が5、6台。
ここからの眺めは初めてである。大山寺を下に見て、その向こうに相模湾が見える。
反対側からか入った境内では、やはり最初の建造物が目につく。いつもは、チラッと見るだけの「6躰の倶利伽羅像」や「伯耆坊大天狗碑」等興味をもって撮影。
「伯耆坊」の話は気に入ったので、後日調査し、このブログで報告します。
今日の話題の一つ目は本堂の壁面の飾り物の「彫工」の件。
正面、右上部の「獅子の彫り物」の手は「手中明王太郎」であると西部氏はその署名を指さしながら説明して下さった。
問題は、件の「納め太刀」が展示してある壁面の「獅子の彫り物」。
ご住職は、山梨県東野町の「後藤系」の彫師であると言う。山梨には「後藤系」という彫師の家系があって、仁王門など手掛けていると言う。これは、後日調査し、このブログで報告したい。
その他、茨城県や栃木県の彫師も来ていると言う。特に、茨城からきた彫師は、地元では「欅で山車を作った」と言う有名人らしい。これも、このブログで必ず報告したい。
大山寺は明治六年、借屋が建てられ、本尊が安置された。それから、周囲の村々の寄進や浄財により、完成したのは明治18年。建設が始まってから9年かかったと言う。その間に、宮大工や彫師が各地から参集した様子も想像できる。
帰り際、「関東三十六不動霊場」のテキストブックを1500円で購入した。「ISEHARA・おもてなし隊」の心意気も、空回りし始めたら、「不動霊場」巡りも面白いなとと思ったので
・・・。
大山寺まで裏道を通り、自家用車で、大山寺まで登ると言う。
道が狭いので、小型車で出発。期待に胸が膨らみ過ぎて、助手席でのおしゃべりが止まらない。半分の舌では、何を言っているのかわからないだろうが、同乗者は合いの手を入れてくれたり、念入りに説明してくれたり。こう言う所が、嬉しい方々である。
ここからの眺めは初めてである。大山寺を下に見て、その向こうに相模湾が見える。
反対側からか入った境内では、やはり最初の建造物が目につく。いつもは、チラッと見るだけの「6躰の倶利伽羅像」や「伯耆坊大天狗碑」等興味をもって撮影。
「伯耆坊」の話は気に入ったので、後日調査し、このブログで報告します。
今日の話題の一つ目は本堂の壁面の飾り物の「彫工」の件。
手中明王太郎の彫り物 |
問題は、件の「納め太刀」が展示してある壁面の「獅子の彫り物」。
像の左下に手中の署名が見える |
その他、茨城県や栃木県の彫師も来ていると言う。特に、茨城からきた彫師は、地元では「欅で山車を作った」と言う有名人らしい。これも、このブログで必ず報告したい。
大山寺は明治六年、借屋が建てられ、本尊が安置された。それから、周囲の村々の寄進や浄財により、完成したのは明治18年。建設が始まってから9年かかったと言う。その間に、宮大工や彫師が各地から参集した様子も想像できる。
「納め太刀」側の上部彫り物 |
拡大写真 |
・・・。
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