2013年11月12日火曜日

大山寺本堂の壁面の彫り物の手は複数あり・・・。    <相模大山・・・今日の話題①>

 平成25(2013)年11月12日(火) 西部周子氏より、大山寺訪問のお誘いあり。
  大山寺まで裏道を通り、自家用車で、大山寺まで登ると言う。
  道が狭いので、小型車で出発。期待に胸が膨らみ過ぎて、助手席でのおしゃべりが止まらない。半分の舌では、何を言っているのかわからないだろうが、同乗者は合いの手を入れてくれたり、念入りに説明してくれたり。こう言う所が、嬉しい方々である。
土産店「清水屋」さんの駐車場を突っ切り、3mほどの舗装された道に入る。この道が大山寺まで続くと言う。途中、来迎院やイヨリ峠への看板などがあったがそれは次回に譲り、「バブル期に余った予算で作った。」と宮崎氏が嘆く、斜面に沿った林道を走る。紅葉した山の中に阿夫利神社下社も銀色に輝いて見えた。10分も走ったろうか。小型の業者用の車やユンボ等があり、大山寺の裏にでるトンネル前で駐車。外に車が5、6台。
 ここからの眺めは初めてである。大山寺を下に見て、その向こうに相模湾が見える。
 
 反対側からか入った境内では、やはり最初の建造物が目につく。いつもは、チラッと見るだけの「6躰の倶利伽羅像」や「伯耆坊大天狗碑」等興味をもって撮影。
 「伯耆坊」の話は気に入ったので、後日調査し、このブログで報告します。
 今日の話題の一つ目は本堂の壁面の飾り物の「彫工」の件。
手中明王太郎の彫り物
正面、右上部の「獅子の彫り物」の手は「手中明王太郎」であると西部氏はその署名を指さしながら説明して下さった。
 問題は、件の「納め太刀」が展示してある壁面の「獅子の彫り物」。
像の左下に手中の署名が見える
ご住職は、山梨県東野町の「後藤系」の彫師であると言う。山梨には「後藤系」という彫師の家系があって、仁王門など手掛けていると言う。これは、後日調査し、このブログで報告したい。
 その他、茨城県や栃木県の彫師も来ていると言う。特に、茨城からきた彫師は、地元では「欅で山車を作った」と言う有名人らしい。これも、このブログで必ず報告したい。
 大山寺は明治六年、借屋が建てられ、本尊が安置された。それから、周囲の村々の寄進や浄財により、完成したのは明治18年。建設が始まってから9年かかったと言う。その間に、宮大工や彫師が各地から参集した様子も想像できる。
「納め太刀」側の上部彫り物
拡大写真
帰り際、「関東三十六不動霊場」のテキストブックを1500円で購入した。「ISEHARA・おもてなし隊」の心意気も、空回りし始めたら、「不動霊場」巡りも面白いなとと思ったので



・・・。
 

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