2014年9月25日木曜日

「千石堰用水路」に「ザリガニ」帰る!          大山道保存活動団体「アド・おおやまみち」             宮崎武雄氏の情報と決意!!


標記、石倉橋に近くにある大山街道沿いの「千石堰用水路」は「アド・おおやまみち」が平成19年度より、清流を取り戻すべく取り組んできた用水路です。

「ISEHARA・おもてなし隊」も遅まきながら、最近お仲間に入れて頂き、お手伝いを申し込んでいました。しかし、これと言ったお手伝いも出来ずにいましたが今回、「ザリガニ」が戻ったと言う情報を頂き、嬉しさも100倍です。

「アドおおやまみち」の皆さん、良かったですね!

千石堰用水で鴨を見たよ!

「アド・おおやまみち」は他にも、伊勢原市市民協働事業として現在進められている「道標等他文化財の説明看板の設置活動」も順調に進展していると言う事で、「I・おもてなし隊」の憧れです。

 

以下、宮崎武雄氏の情報文をそのまま掲載します。



皆さんへ

 

「大山街道の千石堰用水路に鴨が飛来しました。」と言う情報を伊勢原タイムス(平成24年頃)にも掲載させていただきました。
 

今度は子供たちが、ザリガニを捕って遊んでいる写真を撮りました。

小さい頃を思い出しませんか!?

昔の伊勢原が失われていく現在、ここにはまだ、昔の大山道と千石堰用水路が残ってます。特に最近はトンボや蛙等の小動物が帰ってきております。

鴨がいます。右側の赤い札には「大山道」と書かれています。
宮崎さんが世田谷の大山道保存会と連携して
取り組んでいる大山道の案内札です。

 古くから農業灌漑用水路として造成されたこの用水路は、つい最近(昭和30年代)まで、農業用水の他に野菜や農具を洗ったり水をまいたりするなど生活用水として使われていました。その時は汚水は流してなかったので、小魚が泳ぎ、ホタルも飛び交っていたといわれています。しかし、その後下水化が進み汚水が流れ悪臭を放つようになりました。しかし最近、土地の人の環境美化の意識啓発も進み、清掃も定期的に行われ少しずつですが綺麗になってきたような気がします。そんな環境を敏感に反映したのか、別添写真のように鴨の飛来に続いてザリガニも帰ってきました。

今後下水の普及を推進し、もっともっと水流の美化に勤め、。この歴史ある千石堰用水路を昔のように、きれいな美しい渓流に戻し、永久に残したいものです。           宮崎武雄提供


 

板橋区 新田坂 成増・川越街道で            「大山灯籠」を発見!!                   ブログ「Gakenchi」(毛呂山町 町田氏)だより②

 標記の件、毛呂山町の町田氏より、次のとおり、「大山灯籠」発見情報」の情報を頂きましたので、お知らせします。

 

斉藤勢吾 様

おせわになります。

久しぶりに、大山燈籠を取材しました。

今月いっぱいの予定で東京の成増で仕事をしています。

その時に偶然見つけた大山燈籠です。

よろしかったら見てください。

また、よろしくお願いいたします。

町田美雄

2014年9月24日水曜日

「火防(ひぶせ)のイチョウ」のご子孫を移植   

実生の苗

 神奈川宿ウォーク時、樹齢400年、大火や大空襲にも負けず、生き残ってきた「熊野神社の大銀杏」がありました。「火防(ひぶせ)のイチョウ」として、大切に守られていました。大きな狛犬さんがいたので、覚えていると思います。

 その銀杏の実から芽だしした末裔の銀杏苗を植え替えました。9月は植え替え時期ではありませんが水さえ十分与えれば、枯れることはありません。


 我が家の銀杏も樹齢は40年ですが新鉢はまだ「樹齢0年」です。

新鉢
樹齢40年(そろそろ植え替え時期です。)


小稲葉地区大山灯籠調査報告書」             渡辺のりゆき県議に贈呈


平成26923日(火)、「岡崎城跡探索ウォーク」時に、駐車場を集合場所に使わせて頂くなど、何かとお世話になっております「渡辺のりゆき県議」にも、標記「灯籠報告書」を贈呈し、「登録文化財」指定へ向けての取り組みのご協力をお願いしてきました。

訪問したのは、原、庄司、秋田、斉藤の4名。県議には、店舗の事務所内で、ゆっくりお話しを聞いて頂きました。県議は大山についての歴史的経過に詳しく、大山振興の現在の課題や将来の目標などもきっちりと把握され、大いに元気づけられました。

「大山灯籠」についても、埼玉県上尾町の文化財指定の件もご存知で、大きな力を得たような気分になりました。今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 

 

その後の、四人のお茶会で盛り上がったのは、サポセンフェスタ時の、「ISEHARA・おもてなし隊」のキャッチフレーズの件。

伊勢原を盛り上げるのは、これしか無い!!

 

「相州大山を世界遺産に・・・・!!」

 

「大田道灌を大河ドラマに・・・・!!」

 

このフレーズを、現物展示の灯籠に書くことに決めました。

2014年9月21日日曜日

「作助ウォーク」二人だけの下見              女性二人組 励ましの応援参加            

 気温18℃、秋寒むの朝となった21日(日)、原氏との、作助ウォークⅦの下見。

こう言う看板を見ると文化財を
大切にしている市民の心が見える。
 

 いつも二人だけの覇気のない、仕方ない下見だったが今回は、原氏の同僚の若い女性職員2名の参加を得て、元気百倍、伊勢原駅を一電車早く乗車。しかし、待ち合わせ駅の相鉄線海老名駅のホームは何か変だ。人が少ない。聞いてみると、小田急線で電車が止まっていた。

 何という運の無さか!と嘆いたが何とか、小田急線も動き、四人が集合。

 九時半には、青物横丁駅に到着。海雲寺で準備運動をして出発。

 すぐに驚かされたのは、何事にも見られる彼女たちの素早い反応。

 動きだけでは無い、説明板の読みから地図の解読まで・・・。私たちはボヤボヤとしている内に、あっという間に説明書を読み、地図を読む。そして、質問。タジタジ! 

 「若さ」と言う力は、やはり素晴らしいものだと気づかされた。

 しかし、我々も負けてはいられない。お寺の話、お墓の話で盛り返す。嬉しいのは、この年寄りの話に、「そうなんですか?知らなかった!」としきりに関心してくれた。

 今日は、礼儀もきっちりとわきまえた素晴らしいレディと同行でき、充実した一日をおくらせて頂いた。

(写真はクリックするとおおきくなります。)

 

品川神社階段前で記念撮影





 
 
 
東禅寺の前で原さんのガイドを受ける二人の女史。




東禅寺門前で・・・・。

2014年9月20日土曜日

「師走に響く第九の調べ」チラシ出来ました。            伊勢原第九合唱団出演

 標記チラシができました。

 

 合唱団員には、「ISEHARA・おもてなし隊員」が

5名も入っています。

 ソプラノ、西部・杉山。テナー、庄司・斉藤。

バス、秋田の諸氏です。

 まだ、オーケストラとの音合わせもしていませんが

練習はバッチリです。

 

円熟の歌声で「十五の君へ」素晴らしかった!                女声合唱団「伊勢原コールえれがんつあ」演奏会            

 伊勢原では草分け的存在であった標記女声合唱団の15回記念発表会に行ってきました。

 「ISEHARA・おもてなし隊」の参与、西部女史が歌うからでもありますが・・・・。

 昔は団員が50人ほどで、豪快だったが、今回は30名程度で、行く年波を感じさせられた。しかし、その歌声は、ますます、円熟期を迎え、低音部のハモリもしっかりと聞こえ、何とも言えない「安心感」があった。若い方々の合唱も元気があるが皆一様に聞こえ、指導者に一寸不満を感じていた時なので、とても気に入った歌声になっていました。

 これから、どうなるかわかりませんが頑張ってほしい。


2014年9月19日金曜日

「小稲葉地区大山灯籠調査報告書」           伊勢原市 鍛代文化財課長さんに手渡しで贈呈!!                   

 平成26(2014)年9月19日(金)午前10時、「ISEHARA・.おもてなし隊」会員の笠原、庄司、秋田、斉藤の4名が、伊勢原市役所5階にある文化財課を訪問し、標記報告書を手渡しで贈呈し、内容のご感想も頂きました。

 鍛代課長さんは何かとご多用中、私たち4名を事務局ソファーにご案内下さり、にこやかに受け取って下さったのが嬉しく、4名、感動して帰宅しました。

 また、この報告書に関するご感想や修正点などもご指摘いただき、恐縮しました。

 ご感想では、「詳しくて、よくできていますね!文化財課も把握していない灯籠が一件ありますね!」など、褒めて頂いた内容で、市民の心を上手に扱っていただきました。

 

 誤植に関しては、一点は、日本の年号と西暦との不一致、二点目は「灯籠」と「灯篭」の齟齬などのご指摘です。会員は皆、高齢者なので、年月日には弱かったのでしょうか。




 いろいろ、ありがとうございました。

 このブログの記事や掲載写真も、「本日の件」を県外の仲間に知らせたいためと言う説明を聞いて、快く応じてくださいました。

  毛呂山町の町田さん、世田谷の小野さん!「大山灯籠サミット」の開催も夢ではなくなりそうですよ!!!応援お願いします。

 11月15日(土)と16日(日)に開催される伊勢原市民活動サポートセンターのフェスティバルに参加し、「大山灯籠報告書」を市民の方々にご披露いたします。

 大山灯籠の実物も展示する予定です。 小野さん、応援に来てください!


2014年9月16日火曜日

講演会「石橋供養塔と大山道」に出席          於:小田原・報徳館                       講師:県立平塚盲学校教諭 津田守一氏


「おアドおおやまみち」の情報提供により、標記の件を「I・おもてなし隊」の方々にもお誘いしました。

 

期日は平成26914日(日)、7名ほどで、表記講演会に出席しました。写真記事参照。

演題は「石橋供養塔の造立と大山街道の関連性について」ですが私の最大の参加理由は石倉橋近くの「三所石橋供養塔」の話があると言う事でした。しかし、今回は「石橋供養塔に関する」2回目の講演であり、「三所石橋」については、昨年の1回目で話されたようです。

しかし、講師の津田守一さんは私の元同僚であったことから、最後の名刺交換時に、前回の話のエキスを頂くことができました。台久保の「三所石橋供養塔」の部分だけ提示致します。

今回の講演会に参加された伊勢原組は、西部氏が言われるように「想定していた論点と違っていましたが、斬新な切り口でしたね。大山道の本はいくらでもあるが、石橋供養塔に着眼したものは初めて出会いました。」と言うのが大方の感想です。私も、「石橋供養塔」に着目した着想点は高く評価したいと思います。

津田氏の今後の活躍を期待しています。

2014年9月13日土曜日

お待ちしていました!大山眺望写真          高森の村山氏より                      細町の大山灯籠から大山を望む

 二年ぶりであろうか!? 「I・おもてなし隊」副会長の村山氏が細町の大山灯籠付近からの大山眺望写真を提供してくださいました。「I・おもてなし隊」が現在取組中の大山灯籠調査に合わせて、提供して下さったと言う事です。

 この写真の特徴は、一つ、写真がきれいなこと。二つ、灯籠から大山を望んでいること。つまり。江戸期、ここを通過した大山講の方々が、大山参詣の安全祈願ともなっている灯籠と大山の二景を同時にみて、感動一入であったろうと思われるからです。

 11月15日、16日の二日間にわたって開催されるサポセンフェスタに始めて参加しますが写真展示の一枚として展示します。

 

 

 

2014年9月7日日曜日

“マイスタージンガー”                    伊勢原男声合唱団の演奏会鑑賞            「I・おもてなし隊員」2名所属

 標記合唱団は曾て、私が所属していた合唱団で、とても懐かしくお聞きしました。
 3年前、切除した舌の調子が思わしくなくなり、退団して、治療に励みました。お蔭で、今は回復し、ウォークガイドもできるようになり、歌も歌えるようになったので、また、歌も頑張ろうかと思うようになっています。
 指揮者の木下先生には、いせはら「第九」合唱団でお世話になっていますので、違和感は全くありません。ただ、団員の皆さんは、皆、上手になり、就いて行けるかどうか不安になっています。
 「ISEHARA・おもてなし隊」協賛団員の庄司氏や秋田氏も、様々なパホーマンスで活躍し、会場を沸かせていました。
 会場には、隊員の美香さんもお出でになり、「秋田さん!庄司さん!凄いね!」としきりに感心していました。
 渡辺県議さんも来ていましたので、ご挨拶はきちんとしておきました。
 

2014年9月6日土曜日

第14回「歴アドゴルフコンペ」開催             於:「大厚木CC・さくらコース」

標記、「いせはら歴史解説アドバイザー」ゴルフコンペは次の日程で開催され、無事終了しました。


1、日 時  平成26年9月5日() 

2、場 所  大厚木GCさくらコース 

3、集 合  10時04分第1組 スタート

4、参加者  9名

 このコンペは、高齢者が多いので、安全第1、スコア第2で開催。ルールも安全に配慮し、かなり緩くしてあります。会費も1000円で、ケーキパーティのみ。

 賞品は、無いに等しいがかつて「宝くじ」などあり、当選すれば3億円のケースもあったが今回は別メニュー。

 優勝カップあり。もうかなりの数のペナントが下がっている。

 今回の優勝スコアは82(ベスグロ)で、ぶっちぎり。大厚木のメンバーさんで、今度はハンディ6になったが次回も勝てるメンバーはなさそう。因みに、小生は91で第3位。

次回の予定は12月4日(木)東京カントリーCC。

第3期生、第4期生受講者も、希望者はメールください。

オープンですので、誰でも参加OKです。

宛先  saiseigo2@yahoo.co.jp

 

 

 

出前授業「縄文土器つくり」                 市立竹園小学校へ

 私の居住地、馬渡学区の竹園小学校で行われた、文化財課主催の「縄文土器つくり」出前授業のアシスタントに出掛けた。学区なので、毎年参加している。近隣の子ども達の見かけた顔もあるが、どこのお宅のお子さんか等は全くわからない。
 アシスタントではあるが、この日は、「歴史解説アドバイザー」3名だけで、授業を展開した。皆、何回も指導を経験しているベテランである。子供たちの特徴を捉え、どんな作品でも決して否定することなく、指導することを打合わせ、実践に臨んだ。その結果、様々な形に自分を表現していた。
 その一部を紹介したい。




我がふるさと「置賜盆地」は                  アジアのアルカディア・エデンの東            イザベラ・バード「日本奥地紀行」(明治11年)情報

久しぶりの東北新幹線乗車で手にした常備の「旅情報誌」で目にした記事は、我がふるさと「米沢・置賜盆地」の素晴らしさでした。標記、イザベラ・バードの記述。バードが置賜盆地に入ったのは713日。梅雨時の季節。板谷峠の嶮しい山路を幾つも越えた後、置賜(米沢)盆地を見下ろして、ホッとしたに違いない。 帰国後まとめた「日本奥地紀行」の中で、「晴れやかにして豊穣なる大地であり、アジアのアルカディア(理想郷)であると称賛している。民俗学者の赤坂憲雄さんは、「バードを感動させたのは、荒々しい原初の風景と言うより、人間が細やかに手をかけ、隅々まで人間の思いが行き届いた風景なのです。」と解説している。 
私は少年の頃、まさに、バードの理想郷の中で育った。父母や祖母、兄弟姉妹、集落の大人たちに守られて、人生で最も幸せな時期であった。その象徴は「郭公の鳴く声」である。
 そんな置賜盆地をバードは「世界で最も汚い子どもに出合った。」と書いているのだけ覚えている。しかし、全く気にならなかった。「私の祖父母の事だ。私の事だ!」と思っても、この幸福な時代の象徴として自慢もしてきた。しかし、この記事は全く違った内容を紹介している。「本を読む」ことの難しさを知った。