2011年11月12日土曜日

道子窯体験ツアー報告(焼成開始・先ず素焼)


6月、煤が谷・道子窯体験ツアーで成型した作品が1110日(木)からいよいよ焼成段階に入りました。                        私の経験では成型後、乾燥したら釉薬をかけ、焼成に入るという順序ですが今回は素焼から入ると云う事で、10日の10:3011日の2:00迄かけて、素焼を行ったそうです。                    なぜ素焼を入れたのかお聞きしたところ、以下のようなご回答を頂きました。                                                                                                                                                                                       本焼の前に、敢えて素焼きをすることで、次のような効果が得られます                  
 ①作品を乾燥させた状態で、液状の釉薬を掛ける(生掛け)場合、作品が割れたり、変形しやすいので、一般的には、生掛けを しないのが、主流のようです。                             800度程度で、素焼きをすることにより、水分が抜け切り、土の成分も変化し、ある程度の強度が  保たれ、壊れる心配も少なく、水分が抜け切っているので、液状の釉薬の吸い付きが良くなり、ムラなく釉薬が掛けられます。                                                素焼きをすることで、割れや大きな傷などが分り、本焼では更に、割れや傷も大きくなりますので、素焼きの時点で、選別する事ができ、本焼での失敗が少なくなります。                              

  写真は素焼焼成に参加した斉藤健吾兄の撮影。良く撮れています。                  
                
    


2011年11月4日金曜日

浄心寺(平塚市城所)と城所城との関わり

 当サイトブロガ―は、来年(2012年)の2月頃、伊勢原市岡崎にある「さくらの家福祉農園」の利用者と職員に、地元にある「岡崎城」の話をする事になりました。 
 「岡崎城」は平塚と伊勢原の岡崎地区にまたがる大きな地域で形成されており、さらに、その出城と目されている所が「城所」にあります。
 「城所城」と云い、浄心寺の背後の城所山の上にあったと云う事です。

  この裏山は昭和41(1966)年に新幹線設置の盛土の採土により切り崩されて、「城所城」の遺構は壊滅しましたが、浄心寺の墓地の一部に土塁らしきものが見られると書いているサイトもあります。しかし、浄心寺のご住職に伺った所、そう云う事実はなく、土塁とされている盛土はずっと後世のものだそうです。
 もともと、「浄心寺」は観應年間(14世紀)、平安時代に権勢を誇った藤原氏の末裔が館を築いた城所氏の館跡に建立されたと言われているが良く分かりません。今後、ご住職に教えを乞いたいところです。












  と云うのも、浄心寺は7年前からブロガ―の兄者の菩提寺となり、その関係で、当寺が地元の方々に開いておられる写教会のお仲間に入れて頂き、在職中の3年間の管理職時代に逝ってしまわれた11名の子どもたちの供養のため、一霊100枚、合計1100枚の写経を発願、今日でやっと310枚目。寿命まで、残りの写経を成就させるため、邁進させて頂いている大切なお寺なのです。
休憩時のお茶の席で、写教会の皆さんの話によりますと「平塚市城島」という地名はもともと「木島」という文字だったそうです。とすれば、「城所」も「木所」で樹木が繁栄していた小山であったとも云えそうです。地元のご婦人方の、岡崎城に関する新情報も入手できました。
岡崎城の事は来年掲載します。
 11月4日、いつものように写教会の例会に参加させて頂き、ご住職と写教会の皆さんにお願いし、写教会の様子と浄心寺の裏手辺りを撮影し、uploadさせて頂きました。
 浄心寺の近くにある貴船神社には、頼朝が正室政子の、安産祈願を命じたと言われる三面大荒神があります。これは知りませんでした。
 先日、平塚市北豊田の新幹線近くの荒れた木立の中に、岡崎義實の宿敵、大庭氏の墓跡を見つける等あり、岡崎城の調査研究には、平塚市史に深く立ち入る必要を感じました。

  写真説明
  1枚目☛城所城要図(中世城郭事典より転載)
  2枚目☛浄心寺の裏手。城跡の小山が採土された所。
  3枚目☛浄心寺の墓地。上部に見える丘が続いていたらしい。
  4枚目☛写教会の様子(この日は参加者が4,5名少なかった。)
  5枚目☛貴船神社(三面大荒神社)

2011年10月28日金曜日

石倉橋第2東名予定地の発掘調査目撃




本日午後、妻の用事で大山、這い子坂に向かう途中、石倉橋交差点の右側東名建設予定地で、何やら工事をしている一団を発見。年寄の見学者がいるので、「もしや、発掘では・・・!?」と夫婦で会話していたら、やはり発掘現場だった。
 見学は、5個300円の柿を買っての帰り道、元話題の不動尊を頂いた道標があった場所に車を止めて、しばし見学。
 「もしや、友人のご子息さんが担当しているのではないか!?」と期待し、探してみたがそうではないらしい。看板には「かながわ考古学財団」と書いてあった。3年はど前、この財団はなくなりそうだということで、職員から存続の署名を求められたことがあったがまだ大丈夫らしい。
 発掘しているのはパートの方々らしいが、測量やパソコンでデータ整理をしているのは若い女性である。
 この辺りは大山の麓であり、古くからの主要道路の通過地なので、何か発掘されるだろう。
 「縄文期の呪術用具」など発掘されたら最高である。

2011年9月27日火曜日

稲刈りを手伝う(「さくら福祉農園」田んぼ)


 朝、稽古事に行く途中、馬渡交差点近くにある「さくら福祉農園」の田んぼで稲刈りが始まっていました。「稲刈り」はオープンデーというイベントで、市民に呼びかけて、みんなでやることになっていたのではと問いかけると、稲が倒れてきたのでそれまで待てないということでした。



 そこで、午後稽古終了後、手伝いに出かけました。利用者はまだおらず、担当の職員だけで機械刈りをしていましたので、まだ束ねてない稲等を束ねる作業から手伝いました。

 途中、利用者もやって来たので、棚掛けや稲運び、機械の入らない部分の稲刈りなど、思うに任せて好きなことをやらせていただいた。多少、迷惑な点もあったろうが私自身は稲刈り鎌でざくっと株を切った時の感覚が嬉しく、とても豊かな気持ちになってしまった。

 手伝ったのは2時間ほどですが今度は脱穀作業も誘ってくれるということなので、期待して待っていたい。

 「さくら福祉農園」の水稲栽培は近所の脱農家の田んぼを1枚(360坪?)借りて、2年ほど前から始めています。担当者はこの稲作をしたいがために、定年前に教員を退職し、やって来た静かな男である。かつて同僚だったので、何かを手伝ってあげたいといつも思っているが寄る年並みにはかなわず、思う通りにはならない。5年前までは半日「さくら」で畑作業を手伝ってもどうってことなかったがなあ!!

 写真はまだ、人のいない稲刈り中の田んぼの様子です。

2011年9月26日月曜日

東成瀬ミニサロンで講演<ISEHARA・おもてなし隊>


> H23・9・26(月)、<ISEHARA・おもてなし隊>は東成瀬ミニサロン(高齢者の地域サロン集会)で「日向薬師の話」の講演を行ないました。この講演の依頼は、隊の一員である西部女史の友人から依頼があったもので、過去にも、「各地からの大山眺望」の講演もさせていただいています。






 依頼を受けて、改めて、パワーポイントで内容をまとめ、図書館からプロジェクターを借用し、ようやく実施できたものです。器具操作は斉藤、講師役は西部さんが担当し、暗幕もあり、設備の整った公民館の一室で、快適に終了することができました。 



 西部女史は観光ボランティアも長く勤められており、その話し方、内容など場に応じ、当意即妙に語られる話術は確かなもので、みなさんに教えてあげたいという純な気持ちが表れ、好感が持てました。



 終了後も、話は尽きないようでしたが次のストレッチ体操の予定もあるということで、会場を出ました。



 しかし、前回の「大山眺望」の話を聞いてから、折に触れ、「大山を眺めるようになった!」と話しかけてくれた方の笑顔を見て、とてもうれしく帰ってきました。



 この地域は20年ほど前のマンション建設で入所した方が多く、伊勢原にはあまりなじみがなかった方が多いようで、伊勢原の古い話にはとても感慨を持って聞いてくれるようです。

2011年9月17日土曜日

縄文土器の野焼きを行いました(竹園小へ出前授業)

 9月8日(木)午前9時から1学期の出前授業で作った縄文土器の野焼きを行いました。
 日本中、残暑が厳しく、あちこちの学校で熱中症事件が起こっている中、6年生の三つの組が桜の木の下の日陰に集合し、私たちを待っていました。授業者は市職員の他、歴史解説アドバイザーが5人。手早く、キャンプファイヤーのように中央に薪材を積み、周囲に板を並べて子供たちの作品を並べる準備をし、授業が始まりました。


 子供達は自作の土器を大事そうに抱え、周囲においてゆきます。一度戻ってから、自分の作品を確かめに来る子もいます。





 点火から30分ほどして、地面が温まった頃、焚火の中央を開け、作品をその中に入れ替えます。そして、外側から作品を温めるようにして、焼きに入ります。子供達は周囲に薪を継ぎ足し、校舎に入り、別の授業を受けます。
 私たちは焼けるまでの1時間以上、火守です。

 私は土器つくりのとき2組に入ったが私を覚えていてくれた児童がいて、親しげに寄ってくる。何くれとちょっかいも出してくる。皆、その光景を見て、喜んでくれた。

 30度を超す残暑の中、さすがに火の側は熱い。1秒と火の近くにはおれない。去年も熱かったが今年はそれ以上である。学校の都合でこの時期しか、こういった出前授業はできないらしい。


 そんな中、作業も順調に進み、作品を取り出す午後までの間に、給食もご馳走になる。アドバイザイーの諸氏は皆65歳は過ぎていると思われるが小学生当時のパンとジャム給食の話など出て、現在の米飯給食に時代の変化を見、感慨一入と言った感である。相変わらず、栄養士さんの優しい心使いのこもった我々だけへの給食献立カードを頂き、感動した。



 出来栄えはまあまあである。割れたり、欠けたりした作品も4,5個あったがその場で市の担当者がセメダインでくっつけて、完成させる。今年のヒットはその修理を担任の若い先生も手伝い、完成させている姿であった。20年前頃、小学校教員の平均年齢は低くて40歳くらいであったが現在は若い先生方が多く、活気に満ちている。子供達を指導しているというより、共に育つという雰囲気である。なんだか、外から見ていても嬉しくなる。


 子供達は土器よりも火の熱さに感動したり、土器修理に関心を示したりと自由な雰囲気でこの出前授業を楽しんでいた。

 最後のあいさつで、「この出前授業の体験は貴重な体験であること」を強調したかったが、出た言葉は「又会いたいが来年は中学生だからもう会えない。残念だ!」というたわいない言葉になった。歴史の授業であることをすっかり忘れ、学区の年寄と子供達の交流の場であるような勘違いをしていた。

 最後に、担任の先生方が門のところまで見送ってくれたのが嬉しかった。大方、こんな時は管理職の先生が儀礼的に見送ってくれるだけが普通であるのに・・・・。

 私の学区の小学校は素晴らしい指導をしていると誇らしくなった。

 写真は野焼きの様子と出前授業者6人のためだけに作ってくれた「給食の手作りカード」です。


 なお、土器作りの様子は学校で発信している次のURLでご覧下さい。


2011年9月13日火曜日

市民ゴルフ大会で13位!!(伊勢原ccで)





 9月11日(日)伊勢原市の大山地区にある伊勢原カントリー倶楽部で、「第23回市民ゴルフ大会」が開催されました。参加者は男女合わせて300人近く。ブロガーは2回目の参加ですが今回13位に入り、10000円相当のダンロップのメーカーシャツを賞品として獲得し、最近のスコアに悩んでいた憂さを一気に晴らしました。
 参加者にはお隣さんや伊勢原歴史解説アドバイザーの方々もおられ、大いに盛り上がりました。
伊勢原ccは昭和48年8月、丘陵コースですがゴルフ場の先鋒としてスタート。
 「眼下に、東名高速や伊勢原市、平塚市の街々、遠く相模湾や湘南江ノ島の大パノラマの展望など、総坪数700坪に及ぶ豪華な雰囲気のクラブハウスから観る景観は、訪れるプレーヤーの方々に充分ご満足いただけます。諸設備も充実。合理性と機能性をとり入れユニークなデザインとともに好評を博しています。」というゴルフ場側の宣伝ですが 「あそこはゴルフ場じゃなくてスキー場。二度と行くか」「どこ打っていいかわからない。トリッキーにも程があるだろ」というゴルフ場側にも、プレーヤー側にも課題が多いゴルフ場です。
 ブロガーもINでは、トリプルもありましたがバーディも2つで、39と言う初めて40を切ったという物凄いスコア。午後の大山コースではOBが3個と言うみじめなスコア。なじむのが攻略の基本のようなゴルフ場です。
 しかし、トータル86、ハンディ14がついて13位。今季最高のスコアとなった。
 伊勢原ccのもう一つの目玉は、1957年、日本で開催されたカナダカップ(現ワールドカップ)では小野光一プロと組み、サム・スニードを擁した米国などを振り切り団体初優勝。自らも個人優勝を飾り、日本にゴルフブームを巻き起こすきっかけをつくった中村寅吉プロゴルファーのマネージメントを受けていること。中村氏は72年から伊勢原市に住み、コースマネジメントを手掛けた伊勢原カントリークラブでチャリティーゴルフ大会を開催し、同市の福祉基金に多額の寄付をしてきた。97年、名誉市民に選ばれている。
 現在、伊勢原ccの2階一室に、中村さんから優勝トロフィーなどの寄贈を受けた伊勢原市ゴルフ協会(坂本一夫理事長)が、同市や同クラブの支援で「中村寅吉ゴルフギャラリー」を開設しています。数々の優勝トロフィーや愛用のゴルフクラブなど120点が展示され、中村さんの輝かしい足跡をたどることができます。
中村寅吉ゴルフギャラリーについては次のURLを見て下さい。
http://www.knga.org/kanagawa/topics/267.htm