2014年2月7日金曜日

朝倉守男氏伊勢原市社会福祉協議会「会長表彰」受賞 気仙沼大島復興支援の同志                大山道標絵はがきの販売支援者

 馬渡にある「さくらの家福祉農園」の役員で、気仙沼大島の復興支援で知り合った、伊勢原駅南口に「時計・宝飾店アサクラ」の社長、朝倉守男氏がこの度、標記の「会長表彰」を受け、2月7日のタウンニュース「人物風土記」で紹介されています。
 朝倉氏は、また、大島復興の一助となるべく展開した「ISEHARA・おもてなし隊」の「大山道道標絵はがき」販売にも積極的に支援下さった方でもあり、隊員は皆感謝していました。
 表彰の話は以前から伺っていましたがその後の様子が分からず、今回の記事で知らされましたので、お祝いの言葉と同時に、大島の「明海荘」や同志の飯田氏にも、この件を伝えたいと思い、ブログUPしました。

2014年2月5日水曜日

「相模岡崎城跡文化財探索ウォーク」のお誘い 

 




































念願であった「相模岡崎城跡文化財探索ウォーク」が実現しました。
 「ISEHARA・おもてなし隊」の皆さんのご協力もあり、子ども達も参加できるようにし、ゆっくり、じっくり見て回れるようなコースです。
 今までに無い最大のポイントは「数か所にわたるビューポイントの設定」です。伊勢原台地の高台から、矢崎方面を眺めると「縄文海進」時の潮騒が聞こえてきそうです。
 ぜひ、ご参加の上、楽しんでください!!!
詳しくは HP「ISEHARA・おもてなし隊」を見てください。
 

http://www4.hp-ez.com/hp/saiseigo1/page16

相模「岡崎城跡」  雪の野陣台を望む

 2014(平成26)年2月4日、夕刻より、関東一円雪となり、相模、岡崎に雪が降った。雪は夜半に止んだようだが夜が明ければ、一面の雪野原になっていた。
 かつて、天神下と呼ばれていた伊勢原市岡崎地域から、古城「岡崎城」の野陣台に続く上り坂道にも雪が残った。この坂道を登り切った右側が「野陣台」になります。
中央右の木立の右側、屋根の向こう側が野陣台
この野陣台辺りは、伊勢原に移り住んだ40年前には、幹線道路が延びてくるという話でしたが、今はその話もすっかりなくなって、相変わらず、一面の畑になっています。一度、桜の木なども植樹されましたがそれも何時の間にか、切られていました。 
 相模湾からの風が吹き抜ける、見晴らしの良い台地で、中世の武士たちは、ここに集まり、戦術や剣術の鍛錬に励み、出陣時には、「鬨の声」を挙げ、一斉に雲霞のごとく、動き出したことであろう。
 雪の朝、そんなことを思い浮かべながら、雪野原を眺めた。

2014年2月3日月曜日

いわき市「塩屋崎灯台」復活しました。 読売新聞(2014・1・29)

 昨年(2013)1月、美空ひばりの「みだれ髪」で唄われているいわき市の「塩屋崎」を訪れ、震災後の様子を見てきましたが復興はまだまだと言う感じでした。
 私たちは、「みだれ髪」の記念碑がある場所から灯台を眺めてきましたが今回、ようやく「復興」したようです。
 あの時、記念碑から流れてくる「美空ひばりさん」の「みだり髪」に合わせ、どなたかとファルセットでデュエットしたのを思い出します。ほかに観光客は誰もいなかったので、迷惑はかかってないと思いますが、復興したあの場所で、もう一度歌ってみたいなあ・・・。

2014年2月2日日曜日

「相州大山今昔史跡めぐり」が読売新聞の               全国版読書紹介欄に掲載されました。

 宮崎武雄さんの著された「相州大山今昔史跡めぐり」が読売新聞の全国版読書紹介欄に掲載されました。
ご本人曰く「出版社に言わせるとたかがガイドブックでは非常に珍しいことなのだそうです、本も寄贈しないのに載せてくれたのは光栄です。全国から注文が来そうだと風人社はよろこんでいました。」と言う事です。友人一同、大喜びです。    全国版ですよ!!!!!

 
また、厚木市の「市民かわら版」にも紹介されています。

http://www.fujinsha.co.jp/books/shohyo/soushucom.html(クリック)

毛呂山町の「石尊山写真」届きました。            武州・長瀬のM・美雄氏撮影

 昨日、埼玉県の小川町の「石尊山」の写真を送って下さった毛呂山町のM・美雄さんから、昨年実施された「毛呂山町、石尊山ウォーク」時に撮影された「毛呂山町の石尊山」と不動堂及び木太刀三振りの写真が届きました。
 興味津々で見させていただきましたが「木太刀」が堂の外にあるのに驚きました。しかし、大山寺の木太刀も堂壁にあり、外ですので、これが通常かもしれません。
 「相州大山今昔史跡めぐり」の著者、宮崎武雄氏や西部氏、SUWAMA氏に見せたいので、急いで、ここにUPしました。
 長栄寺の不動堂に掛けられてある木太刀の説明をする
 毛呂山町歴史民俗資料館の職員

 不動堂には、木太刀が三振り掛けてあります。大きいものは、
茎を含む全長三七三糎、長さ三〇三糎、刃幅一七糎、
厚さ五、五糎くらい有ります。
 また中段の木太刀には目釘穴が開いています。


 長栄寺から20分ほどで石尊山頂上に着きます 。
 頂上には富士仙元大菩薩の石碑のみが建っています。
 今は石尊権現の遺構は何も残っていません。


石尊山の全容です。右上の三角形の屋根が長栄寺です。

2014年2月1日土曜日

初めての「石尊山写真」(埼玉県小川町)          武州・長瀬のM・美雄氏から届きました。


 毛呂山町から届いた「石尊山」の便りの2便です。
 昨年の「石尊山ウォーク」に参加されたM・美雄氏から記事へのコメントがあり、ご要望申し上げたとおり、毛呂山町の石尊山ではありませんが小川町の「石尊山」(334m)の写真が届きました。
埼玉県小川町の石尊山
 「石尊山」の事を知って以来、実際の姿が想像できなかったので困っていましたがこの写真を見て納得!石尊信仰は全国でも数が少なく、ほとんどは相模の大山の石尊信仰に帰着するようです。
多分、写真で、左に見えるのは「不動堂」で、山頂は石で、固めてあります。
しかし、このように典型的な姿で現存しているのも珍しく、茨城、栃木などでは、原生林の中を掻き分けて山(2,300mの低山)を登り、藪の中に隠れるように祀ってある「石尊様」を見つけるのが大変なようです。勧請した当時の信仰心が少し薄れてきたのでしょうか。とにかく、管理はされていないのが現状のようです。しかし、役所の文化財担当者は状況を理解し、一応は把握しているらしい。問い合わせに対し、一応の情報は頂けます。
毛呂山町の石尊山の写真も頂けるともことですので、楽しみに待っています。


小川町の地図です