◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」の情報交換のブログです。 ◆ 「ISEHARA・おもてなし隊」は、「伊勢原市の歴史や文化財を守り、育てる」と言う理念を元に、欧州のツアーリズムから発生した「ホスピタリティー hospitality」の精神を受け継ぎ、伊勢原市民は勿論、何らかの理由で伊勢原市を訪れる皆さんを「無報酬で、最高のおもてなしの方法」を提案したり、実践したりしたいという方々の集まりです。 ◆写真はクリックすると大きくなります。
2014年9月19日金曜日
2014年9月16日火曜日
講演会「石橋供養塔と大山道」に出席 於:小田原・報徳館 講師:県立平塚盲学校教諭 津田守一氏
「おアドおおやまみち」の情報提供により、標記の件を「I・おもてなし隊」の方々にもお誘いしました。
期日は平成26年9月14日(日)、7名ほどで、表記講演会に出席しました。写真記事参照。
演題は「石橋供養塔の造立と大山街道の関連性について」ですが私の最大の参加理由は石倉橋近くの「三所石橋供養塔」の話があると言う事でした。しかし、今回は「石橋供養塔に関する」2回目の講演であり、「三所石橋」については、昨年の1回目で話されたようです。
しかし、講師の津田守一さんは私の元同僚であったことから、最後の名刺交換時に、前回の話のエキスを頂くことができました。台久保の「三所石橋供養塔」の部分だけ提示致します。
今回の講演会に参加された伊勢原組は、西部氏が言われるように「想定していた論点と違っていましたが、斬新な切り口でしたね。大山道の本はいくらでもあるが、石橋供養塔に着眼したものは初めて出会いました。」と言うのが大方の感想です。私も、「石橋供養塔」に着目した着想点は高く評価したいと思います。
津田氏の今後の活躍を期待しています。
2014年9月13日土曜日
お待ちしていました!大山眺望写真 高森の村山氏より 細町の大山灯籠から大山を望む
2014年9月7日日曜日
“マイスタージンガー” 伊勢原男声合唱団の演奏会鑑賞 「I・おもてなし隊員」2名所属
標記合唱団は曾て、私が所属していた合唱団で、とても懐かしくお聞きしました。
3年前、切除した舌の調子が思わしくなくなり、退団して、治療に励みました。お蔭で、今は回復し、ウォークガイドもできるようになり、歌も歌えるようになったので、また、歌も頑張ろうかと思うようになっています。
指揮者の木下先生には、いせはら「第九」合唱団でお世話になっていますので、違和感は全くありません。ただ、団員の皆さんは、皆、上手になり、就いて行けるかどうか不安になっています。
「ISEHARA・おもてなし隊」協賛団員の庄司氏や秋田氏も、様々なパホーマンスで活躍し、会場を沸かせていました。
会場には、隊員の美香さんもお出でになり、「秋田さん!庄司さん!凄いね!」としきりに感心していました。
渡辺県議さんも来ていましたので、ご挨拶はきちんとしておきました。
2014年9月6日土曜日
第14回「歴アドゴルフコンペ」開催 於:「大厚木CC・さくらコース」
標記、「いせはら歴史解説アドバイザー」ゴルフコンペは次の日程で開催され、無事終了しました。
1、日 時 平成26年9月5日(金)
2、場 所 大厚木GCさくらコース
3、集 合 10時04分第1組 スタート
4、参加者 9名
このコンペは、高齢者が多いので、安全第1、スコア第2で開催。ルールも安全に配慮し、かなり緩くしてあります。会費も1000円で、ケーキパーティのみ。
賞品は、無いに等しいがかつて「宝くじ」などあり、当選すれば3億円のケースもあったが今回は別メニュー。
優勝カップあり。もうかなりの数のペナントが下がっている。
今回の優勝スコアは82(ベスグロ)で、ぶっちぎり。大厚木のメンバーさんで、今度はハンディ6になったが次回も勝てるメンバーはなさそう。因みに、小生は91で第3位。
次回の予定は12月4日(木)東京カントリーCC。
第3期生、第4期生受講者も、希望者はメールください。
オープンですので、誰でも参加OKです。
宛先 saiseigo2@yahoo.co.jp
出前授業「縄文土器つくり」 市立竹園小学校へ
私の居住地、馬渡学区の竹園小学校で行われた、文化財課主催の「縄文土器つくり」出前授業のアシスタントに出掛けた。学区なので、毎年参加している。近隣の子ども達の見かけた顔もあるが、どこのお宅のお子さんか等は全くわからない。
アシスタントではあるが、この日は、「歴史解説アドバイザー」3名だけで、授業を展開した。皆、何回も指導を経験しているベテランである。子供たちの特徴を捉え、どんな作品でも決して否定することなく、指導することを打合わせ、実践に臨んだ。その結果、様々な形に自分を表現していた。
その一部を紹介したい。
我がふるさと「置賜盆地」は アジアのアルカディア・エデンの東 イザベラ・バード「日本奥地紀行」(明治11年)情報
久しぶりの東北新幹線乗車で手にした常備の「旅情報誌」で目にした記事は、我がふるさと「米沢・置賜盆地」の素晴らしさでした。標記、イザベラ・バードの記述。バードが置賜盆地に入ったのは7月13日。梅雨時の季節。板谷峠の嶮しい山路を幾つも越えた後、置賜(米沢)盆地を見下ろして、ホッとしたに違いない。 帰国後まとめた「日本奥地紀行」の中で、「晴れやかにして豊穣なる大地であり、アジアのアルカディア(理想郷)であると称賛している。民俗学者の赤坂憲雄さんは、「バードを感動させたのは、荒々しい原初の風景と言うより、人間が細やかに手をかけ、隅々まで人間の思いが行き届いた風景なのです。」と解説している。
私は少年の頃、まさに、バードの理想郷の中で育った。父母や祖母、兄弟姉妹、集落の大人たちに守られて、人生で最も幸せな時期であった。その象徴は「郭公の鳴く声」である。 そんな置賜盆地をバードは「世界で最も汚い子どもに出合った。」と書いているのだけ覚えている。しかし、全く気にならなかった。「私の祖父母の事だ。私の事だ!」と思っても、この幸福な時代の象徴として自慢もしてきた。しかし、この記事は全く違った内容を紹介している。「本を読む」ことの難しさを知った。
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