今年のみろく会は、関西勢の会員の方々のお世話により、関東勢10年来の念願であった「若き良寛さん(関西では良寛様)」の修行寺「備中・圓通寺とゆかりの寺院」を訪ねてきました。
世話人の柴口成浩氏は、最初の訪問寺である「大通寺」の方丈(住職)さんで、山陽道宿場町「矢掛」前観光協会長でもあったと言う事で、人脈、地脈を生かして、滅多に無いガイドをして頂きました。
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矢掛本陣石井家 |
最初の訪問地は、NHK大河ドラマ「篤姫」の放送時、篤姫の宿泊記録を新発見し、篤姫の出府コースを変えたことで有名になった矢掛の本陣。東海道の本陣に関しては「作助ウォーク」で、ガイドしてきましたが、東海道の場合、その形跡はほとんど感じられませんでした。然し、山陽道矢掛宿の本陣跡はそのまま残されており、台所の「かまど」まで真っ黒のまま残されていました。これには、大感動でした。
山陽道には、幕末から明治期を通して、関心を呼びそうなポイントは一杯ありそうである。東海道も良いが山陽道も「売り」になるよと、風人社の編集長、小菅さんに伝えたい。
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圓通寺本堂 |
良寛の修行寺「円通寺」はまだ茅葺の僧堂であった。第一日目は夕刻の、雨の訪問であったが翌日早朝の訪問では、やはり、茅葺の良寛堂や庭先の良寛像と合体して、山間の禅寺を、美しく映し出していた。
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良寛像 |
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角塔と書者大通寺和尚柴口氏 |
秋の圓通寺の庭先は落葉も多く、近隣の女性二名が落葉掃きをされていたので、記念撮影のシャッターを押していただくと同時に、方丈の仁保哲朗和尚も呼んできてくださり、親しくお話をすることもできた。
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中央:圓通寺方丈:仁保哲明和尚 |
また、庭園中央の垣根近くの「角塔(記念祭等の際に建立する塔)」の文字は、書家でもある大通寺の方丈が請われて書いたものだ言う。(写真)
翌日、幹事さんの案内で訪れた倉敷美観街にある「大原美術館」でも、良い目の保養をさせて頂いた。
大学生時、映画で見たモジリアニの作品があった。感動した。また、別館では、北魏時代の遺物を間近にし、目を凝らして、展示物に穴をあけてきた。
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エル・グレコも「受胎告知」とモジリリアニの「肖像画」 |
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倉敷美観地区水路 |
感動の連続であった。
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イベントではありませんでした。 |
若い頃から文字や写真で蓄積してきた知識が次第に実物の近づけるという夢のような老人生活に万歳を言わねばならないであろう。老後の「生きがい」を「老いがい」と言う新語もあるそうです。この旅は、私の「老いがい」を満足させてくれました。
天上もこうあって欲しいがそうは行くまい。