2014年12月24日水曜日

下平間の庚申塔(道標)に説明板設置                        折れた石柱の掘り上げと接着作業は大成功 思わぬ三猿像の出現に感動!

 本日(平成26年12月23日)、雨天順延であった標記、下平間大原の畑地にある庚申塔(石柱の道標)への説明板設置作業を実施。急な日時設定だったが田中氏、宮崎氏、川上氏、西部氏、飯島氏、斉藤の6人が集合。
レスキュー三脚とチェーンブロックで道標を釣り上げる作業中

作業は折れた石柱の下部(長さ 112cm、各辺19cm)の堀り上げから取り掛かったが石柱は思ったより深く沈み込んでおり、人力では不可。急遽、川上・斉藤で川上邸に打ち戻り、レスキュー三脚とチェーンブロック等、(お犬様に吠えられながら)詰め込みとんぼ返り(重かった!!)。同時に、「この種の工事には、酒と塩で、お祓いをせよ!」との通りががりの土地の方の助言により、川上氏は奥方に頼んで「酒と塩」を用意して持参。
大山と富士山をバックに記念撮影

その後は、最高齢の田中氏まで加わり、力を合わせて、土中の石柱を釣り上げ、大歓声。

そして、土中の石柱の長さに合わせて埋め戻すのだが堀穴の中が柔らかすぎるので、堅い石片が必要と判断され、これまた、今度は、飯島・宮崎で飯島邸に打ち戻り、洗濯竿支柱の使う土台石を運び込んだ。その間、接着剤で張り付けると言うので「折れた石柱面」の両面を水で清掃。
左 や者多(やはた・赤字)道

それからは、「ビオトープ活動」で河川工事経験者の飯島氏の手順と田中氏の計測情報に従い、土中への60cm埋め込みに成功。そこには、隠れていた「道・塔」の文字などがはっきりしたがその下の「三猿」の彫り物には誰も気づいていなかった。気づいたのは西部氏。大急ぎで水洗いすると文字の刻んである三面に、それぞれ顔に手を当てたと思われる猿の絵が見えた。これには、皆、感動!!この活動の喜びと、「老いがい(甲斐)」を実感した。
右 かなひ(赤字)道
再び、チェーンブロックを使って、上部の石柱(長さ62cm。各辺19cm)を持ち上げ、接着作業。石材接着の経験のないメンバーは、「本当に付くの?」と疑いの姿勢。しかし、「結果をご覧じろ!」と石柱の4角に鉄棒を差しこみグルグルと針金で石柱を固定し、作業終了。
 立て 看板も支柱をしっかりと打ち込み、設置。石柱の刻字も赤字に塗ったので、目立つことこの上なし。





これで、通りがかりの方々も気が付いて、注意してみてくれるであろうとニコニコ顔で帰路の途についた。

泥を洗い流したら出てきた「聞かざる(猿)」
しかし、この庚申塔(道標)の位置はおかしい。そこには何処の石造物にもある設置場所の移動があったと思われる。その事情とは道路や住宅建設等で、移動されたと言う事情である。
そこで、この庚申塔はもともと江戸期はどこに設置されたのか?見当がつかなかったが西部氏の説明で理解できた。
地図を参照されたい。
なお、下の地図に関して、西部氏自身の今昔が分る説明文を頂きましたので、追加します。

<道について・・・・写真説明文字の「桜台小学校」は原の宿(関蓮道標がある)へ向かっている道で、原の宿、竜神通と続く「田村通大山道」に合流する道です。

 「馬渡方面」とあるのは岡崎村(大句信号下道標。年代は合わないが道はこの道でしょう)から大畑橋経由の金目観音道。「やわた」は大島の十輪寺、下島の霊山寺(関連道標あり)を通り、いわゆるパイロット通りに出る道と思っています。>


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