2014年6月16日月曜日

毛呂山・越生・圏央道・弾丸ツアー200㎞<その1> 「ISEHARA・おもてなし隊」2回目の県外視察旅行     權田直助・太田道灌・高林謙三を訪ねて


標記、平成22(2012)年第1回目のツアー終了後から、ご都合で参加できなかった知人の要請で、第2回目を計画していたが、それから2年後の昨日(平成26年6月15日)、ようやく、実現した。

 昨日は、すでに2年前とは違い、圏央道の延長により、1時間と近く所要時間が短縮されたお蔭で、長時間の見学が可能になり、その分、お世話になった方には申し訳ない気持ちです。

 と言う事で、今回もいろいろな方にお世話になりましたので、長目を承知で、一番効果的なこのブログで報告させて頂き、関係者の方々に、謝意を申し上げたい。

なお、毛呂山町の町田氏のブログ「gakenchi」でも詳しく報告されています。


http://blogs.yahoo.co.jp/urayamagakenchi/11618919.html

 

早く着きすぎ、時間調整(毛呂山資料館)

ツアーキャラバンの一行は、馬渡を朝6時に2人乗り、出車。沼目で3人合体。計5人で129号線から、圏央道へ。日曜日の早朝は車の進行も絶好調。毛呂山町歴史民俗資料館には8時頃到着してしまった。東京から参加する電車組の小野氏、出版社「風人社」の編集員小菅氏、さらに今日のメイン案内役、毛呂山町郷土史家 町田美雄氏との待ち合わせ期間、9時まで、近隣のドライブ散策。



 9時半頃、全員集合。学芸員の佐藤さんを交え、朝の集会と名刺交換。この時、初めて、町田氏が1級建築士さんで多忙の時間を割いてくださったことを知った。町田氏とは大山情報館の「メル友」一度、下神崎荘でお会いしただけで、御顔は分からなかった。その点では小野さんとも、大山情報の「メル友」で一度宮崎武雄氏から紹介いただいた程度であった。
板碑(設置方法の解説)

今回、資料館の特展は「板碑」であった。昨年の発掘で大量の板碑が出土したそうである。秩父に近い埼玉県は板碑の宝庫であることは、20年前の埼玉県立博物館の見学で知っていたが展示されていた板碑は埼玉で1,2を誇る3m以上の板碑であった。私たちは「板碑」の種字読みなどで盛り上がった。

二つ目は「流鏑馬」である。伊勢原の「道灌祭り」的なイベントとして、毎年2回行われていると言う。


流鏑馬の像

この「流鏑馬」行事を何十年と世話されてきたのが町田氏で、「流鏑馬」展示前で、飛び出す言葉を抑えきれずにガイドする町田氏に、圧倒されつつも、聞き入った。驚いたことは騎乗するのは子供達であると言う事であった。町田氏によれば、これは珍しいことであるが元服の行事と考えて頂ければ納得できるでしょうと言う事であった。

3つ目は、はやり、「権田直助」である。毛呂山町では2年前の「没後125年の企画展」から、直助の功績を再認識し、毛呂山町の偉人に一人に加えている。確かに、権田直助については、草莽の志士として、西郷隆盛と組んだ武力闘争の部分もあり、また、明治政府の神仏判然政策の時期の活動などの、人によっては語りにくい部分もあるが、大山阿夫利神社の祠官となって大山の地に移住してからの、国文学者として著作本や、また、神道布教のために書いた「神教歌譜」の功績を見直したと言う。確かに、明治20年、権田直助が大山の地から出版した「国文句読点考」は、現在の句読点学の第一人者大類雅敏先生から「句読点学のバイブル」と評価されている。また。「神教歌譜」は東大教授で、ドイツからやってきた讃美歌研究者のヘルマン先生により、「日本の唱歌」の出発点と報告されている。

これらを総合し、志士の部分は大声で語らずとも、文章に基礎である「句読点」については、もっと誇っても良いのではないかと判断。その年から小学校6年生の副読本に掲載。また、学芸員がパワーポイントを作成し、出前授業もし始めたと聞いた。そのパワーポイントは私も所有しているので、是非、伊勢原市民にもみて欲しい。


権田直助肖像画

私自身、その年、毛呂山町広報室から「いせはら歴史解説アドバイザー」のライセンスを所有する伊勢原住民としてのコメントを求められ、「当面、負の部分は小にして、傑出した部分を大いに語りつぎ、彼の偉業を先ず、知らせるべきではなかろうか。」という、拙い一文を寄せた。

肖像画の裏に書かれた文字
(「生死堺」慶応元年サツマ屋敷 直助)と書かれている。
西郷の呼びかけに立ち上がった頃の写真であろう。

 それが、広報誌によって全町に伝わり、毛呂山町における、直助研究文の象徴的な説として、引用も求められるようになっている。



生誕地でもなく、神仏判然令で何かと話題の多かった伊勢原では、同じような立場で語るのは難しいかもしれないが、大学の研究による評価にもう少し目を向けても良いのではなかろうかと思っている。一部の市民の間とはいえ、伊勢原のシンボルでもある阿夫利神社の境内に座像が建立され、墓地が公園化されているよな著名な権田直助の「誇れる功績」を、負の部分だけで語り継がれないのは、少し狭量では無いだろうか。

 伊勢原市民が早く、このことに気が付き、「権田直助」の名が市民の間に知れ渡るよう、今後も努力を根気よく続けて行きたい。

なんでも屋で、何にでも反応する「ISEHARA・おもてなし隊」と言う噂も伝わっているらしいが元々の目的が噂のとおりですので、問題なく、この噂がもっと広がって欲しいと思っている。(写真はクリックして下さい。)

今日はここまで。次回は、石尊山と不動堂の件を報告します。


自己紹介
「山女」以上の「大山女」だそうです。
解説開始













2014年6月15日日曜日

文化財ウォーク「出府諸用控に見る江戸への旅」    地代官山口作助の歩いた道・第6回目無事終了

 平成26(2014)年6月14日(土)、標記ウォークが無事終了しました。
 今回は、本番の7日(土)が雨のため、この日に延期され、やはり、梅雨時で、この日も雨が心配されたが、昨日からの暑い日差しが続いて、一寸、暑い実施日となったが、大成功であった。
 ただ、予備日のため、参加される方も、スタッフもご都合が悪くなり、人数も3分の1に減りましたが、これは、仕方ないことです。
 今回からスタッフに加わっていただき、初ガイドされる方もいて、お互い、心を引き締めあって、引率しました。しかし、洲崎神社では、やはり、お祭りが延期され、今日となっていて、下見では、静かだった商店街が屋台で賑わい、山車も飾られているという滅多に無い、スペシャルなウォークとなった。社殿も開かれていて、興味津々だった神棚も拝見することができた。ただ、下見の時とは違ったせいで、コースを外れてしまった班もあったようだ。
 私も、2回ほど、コースを外れてしまったので、それ以後は、コースを辿るのに集中しなければならなかった。 しかし、コースの間違いは仕方ない。きちんと覚えていても、その時の状況で、思考から外れると、土地勘のない道なので、はっと、コースが消えてしまうのである。これは、是非理解してほしい。歩行からガイドまで、安全とトラブル対応に気を使っているチーフの立場に立たなければ決して理解できないでしょう。今日初めてチーフとなられた方の様子を拝見し、普段なら考えられない失敗をされるのを見て、わが身を安心させて頂いた。
 また、「成仏寺」では、ペルーの方々の集会もありました。尋ねてみると「このお寺のご住職さんは、優しいです!親切です!」と答えてくれた。多分「ご住職」がペルーの方々を応援されているのだとおもました。
 延期になったお蔭で、横浜市の、否、日本の普段見られない一角を見ることができ、よかったと思っています。
 なお、途中ご質問のあった「準用河川」とは一級、二級河川に指定されなかったが市町村長段階で、判断して指定できる河川のようです。亀や鯉の泳いでいた川です。勉強になりました。
 (スナップ写真を掲載します。クリックすれば大きくなります。写真は順不同。)
 
ジョイナス前に集合。
文化財課課長さんもご挨拶されました。

宮前商店街の祭り屋台


洲崎大神のご神殿。

慶運寺(浦島寺)前

成仏寺(ペルーの方々の集会の様子)


ペルーの演奏者

ペルーのコーラ

熊野神社

小学校塀に書かれた「絵図}


最後の長延寺跡(この後、解散!)

2014年6月13日金曜日

本年度初「出前授業のお手伝い」              市内比々多小学校6年生                  縄文土器づくり(成形)

 「いせはら歴史解説アドバイザー」となって五年目。伊勢原市教育委員会文化財課が行っている市内小学校への郷土史授業の「出前授業のお手伝い」を今年もさせていただいた。
 比々多小学校へ伺うのは初めてで、教室にたどり着くまで、マゴマゴしたが、帰り道は一人でできたので、案外、わかりやすい校舎かもしれない。
 6年生は4組(1組はほぼ30数人らしい)あり、市内では一番大きい。
 比々多小学校の子ども達とは、比々多神社の「まが玉づくり」で一緒になった子供たちもいるなど、待ち遠しかったが、現在取り組んでいる「作助ウォーク」の作助さんとは、比々多小学校の山口校長先生の高祖父で、江戸末期のお代官さんである。そのことを知っていたので、一度お会いしたいと思っていた。今日は、たまたま在校され、親しくお話しできたので、とてもうれしかった。
 肝心の土器つくりは、指導案も配布され、担任の教師とのコンビも良く、時間通り、素晴らしい作品が出来上がった。
給食時、子ども達が板書してくれたお礼書(嬉しかったよ!!)
ただ、いつも様に、子どもたちの発想の豊かさと粘土細工技量について行けず、感心するばかりであった。しかし、その分、10月の「野焼き」のときの「欠け」や「折れ」、「破損」、「消失」など、気になることばかりだが、そこは担任の先生にお任せすることにして、「突起」や「取っ手」「小物」などを作った子供たちには、「野焼き」の時には注意して作業するが、「万が一破損したときは勘弁してね!」と話し合った。
 と言う事で、支障のない範囲で、写真を記載します。作品は子供たちの許可を得て、撮影した。素晴らしでしょう。「「野焼き時」の扱いには十分留意し、心して作業をし、子どもたちの心に「お返し」したい。

最後まで頑張り、素晴らしい作品dとなった

既に大人の現代彫塑の分野である

縄文土器そのもの

2014年6月3日火曜日

「大山講・富士講・高尾山講」は繋がっている。    関八州は一つの大きな民衆宗教圏か?


昨日、本ブログに掲載した大山登山の動画(修験装束で大山登山をしている高尾山講中の皆さんの様子)をご覧になり、昨年、知り合った東京の小野さんと言う方から、次のようなメールを頂いた。
 彼は、とても、好奇心と体力の旺盛な方で、様々な情報を寄せていただき、何かにつけ、心強い仲間のような存在になっています。

◆以下、その時の小野さんのメールです。

先般、貴ブログ「神奈川・伊勢原・大山情報館」で、高尾山講中が大山参詣をする様子を見ました。
 そのことに関する事柄を調べているうち、高尾山には富士信仰があって、浅間神社に参詣した足で富士山に詣でて最後に大山に向ったこと、高尾山中に相州大山につながる大山みちがあったことなどがわかりました。
 先日(30日)、高尾山の浅間神社と修験道場跡、大山みちに架かっていたと云われる大山橋を確認するための現地調査に行ってきました。
 そんな折、昨日、いいタイミングで、江戸町民による富士講中が、高尾山、富士山、大山に参る様子についての情報が書籍から得られました。

ご参考になれば・・と思い、調査内容を簡単にまとめ、添付しました。

貴ブログの情報が、大山と高尾山の関係を探るきっかけとなり、いい勉強をさせていただきました。
                                  東京都世田谷区  小野






【添付ファイル①】
   江戸町民の富士講・参拝修行
      (高尾山が富士山の前立ち、大山が後立ち信仰)
  江戸の町で一番多かったのは富士講であったらしい。
 富士山を霊山とする講である。(中略)
富士講の場合も毎年その年の代表が富士山に登り、みんなの御札をもらって帰ってきた。
旅費としては、1両かかった。そのお金は講のメンバーが出してくれた。ただし実際には2両かかったらしい。みんなへのお土産に1両必要だったのである。それは自分で用意した。  
驚くのはその行程で、朝江戸を立ち、夕方に八王子もしくは高尾山の麓に着き、泊まる。翌日高尾山に登りお参りをする。高尾山はいまでも修験の山だが、ここが富士山に行く道筋の最初に登る霊山だった。修験の修行の旅だから歩きやすい街道をいくわけではない。霊山から霊山へと峰を歩いてゆくのである。そうやって富士山までたどり着き、登頂した後、帰りは丹沢に抜けてくる。最後にお参りする山は丹沢の大山である。その日は神奈川県の厚木あたりに泊り、翌日には江戸に帰ってきた。この行程で、1週間で帰ってきたというのだから、当時の人達の足の強さには驚くほかない。』
~内山節「共同体の基礎理論」第5章都市型共同体の記憶から一部を転載~


 
【添付ファイル②】小野さんのウォーク行程と写真

 ◆平成26530日(金)晴れ 
  <1050分~1350分>歩行距離 7.1km(①3.8km、⑥3.3km)
<高尾山登山口>
  自然研究路1号路~浄心門~高尾山薬王院(本堂・本社・奥の院)   
 ~浅間神社~高尾山山頂~自然研究路6号路~大山橋~高尾山修験 
 道琵琶滝水行道場~岩屋大師~<高尾山登山口>
●浄心門(扁額に「霊気満山」)を入ると左側に神変大菩薩
(役小角=天狗名は法起坊、修験道の開祖)を祀る神変堂(じんぺんどう)
 がある。治病に御利益とある。
●高尾山薬王院 本尊・飯縄(いいづな)大権現(本地 不動明王)
  開山・行基、中興・俊源大徳 
●浅間神社 室町時代に富士浅間神社を勧請したと伝わる。
  祭神 木花之咲耶姫、御神体 白幣
江戸町民は、高尾山浅間神社に詣でた後、相州大山に遥拝したとの
  伝えがあり、高尾山中に大山みちの一部が残っている。
  大山橋はそれを裏付けるものである。


【写真は貼付ファイル②より抜粋】
 

薬王院山門

浅間神社


大山橋
 
 

 

2014年6月2日月曜日

馬渡・みのり幼稚園に「日馬富士」がやってきた!     近隣のよしみで、ご招待されました。

平成26年6月2日(月)、みのり幼稚園に横綱「日馬富士」がやって来るという情報は得ていたが、近隣住民のご招待があるとは知らなかった。
 午後2時過ぎ、にぎやかな放送音が聞こえたので、出かけてみた。
 並んだ園児の後ろに、保護者が一杯。市長・国会議員・県会議員も駆けつけている。「みのり幼稚園」としては最近にないイベントである。我が子も卒園生であり、担任は現理事長さんの姉君であった。
 久しぶりに、園庭に入り、若い頃を思い出し、不思議な時間を過ごしてきた。


国会議員さんも駆けつけた。

県会議員も駆けつけた。

2014年5月30日金曜日

『現代押し花アート展』観覧 於:花菜ガーデン(平塚)        My wife 2点出品  

 例年、この時期、細君の所属している「現代押し花アート展」が平塚の「花菜ガーデン」で開催される。丁度、バラ満開の時期と重なり、連日沢山の方々が来園されるようである。
 なお、細君の過去の作品は次のHPに掲載してありますので、見て下さい。

          康翆の現代押し花アーと作品集

出品雪ん子





気仙沼・大島復興支援報告④              「明海荘」の女将「かよちゃん」の名刺が届きました

  今年、4回目の気仙沼・大島復興支援報告です。
 東日本大震災「気仙沼・大島復興支援募金」については、「ISEHARA・おもてなし隊ホームページ」で報告させていただいていますが、現在24,700円の募金を頂いています。
 この募金は、8月29日、四国香川県の讃岐うどん組合が主催する「讃岐うどんを食べていただく!!」というイベント時に、復興支援の拠点となっている大島の「明海荘」にお届けします。
また、このイベントには、神奈川の一隊も合流し、バザーや模擬店を出す予定です。
 25日、その打ち合わせに行かれた方から、「明海荘」の女将・かよさんの名刺つき、「わかめ」のお土産を頂きました。
 「明海荘」はこれから、ご夫婦二人だけで経営できるように、改装されるとお聞きしていましたがその後、どぷなったでしょうか!?