2013年4月11日木曜日

相州大山(阿夫利山)異聞                   <その3、四の銅鳥居と豆腐坂>

 先ず、この写真を見ていただきたい。地図8番の、大正期まで存在した「四の銅鳥居」付近の様子です。この写真は明治期の絵葉書にある「相模大山・良辯の銅鳥居」で、『鳥居付近は広場となっており、道の両側の石積みの台座の上には、谷に突き落とした子獅子の様子を見守る石彫りの唐獅子があった。道の両側にある「良辯滝」「良辯堂」は、右側にある鈴川を渡った先にある。』と説明されている。
 鳥居を潜り、右に上っている石段は、現在は舗装されている通称「豆腐坂」である。この石段は、先ず、6段あり、その上にある宿坊が「大住山荘」です。この山荘の先導師さんはアドバイザー講座の講師で何度も大山に関するお話をお聞きしたものである。
 この日も、お孫さんを連れて通りかかり、この写真の説明を、じっくりとお受けすることができた。
 


現在のバス道路はこの鳥居の右側の畑地帯だったそうである。旧道は現在のバス通りの左側に沿って1mほどの部分だったようです。
 私は、旧大山道と現在の様子とが、何度同じ話をお聞きしてもわからなかったが、今回の巡検ウォークで、胸の支えが取れたように、ストンと理解でき、十分説明できる能力を持ったような気分になった。
 また、この鳥居は現在はないが両側にある唐獅子像は、持ち主の「村山坊」さんの庭先に移設されている。
村山坊に移設されている唐獅像

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