2013年5月2日木曜日

念願達成!「靖国参拝!」

感動の鳥居
靖国神社への参拝は、学生時代からの念願でしたが何故か、できなかった。
 理由は、叔父の「孫栄」がガタルカナルで戦死しているからです。戦死と言っても、5000人以上亡くなっているガタルカナルの場合は、討死ではなく、その大半が逃亡の果ての、「病死か衰弱死」です。退職後、一寸調べたのですが、その惨状たるや人間の世界ではありませんでした。

正面からの撮影は禁止だそうです。
巫女さんが通りかかりました。
孫栄叔父は、傷を負って、日本軍のいる港へ向かいます。しかし、傷口は腐敗し、ハエが産卵し、蛆虫が湧いてきます。仲間に会いますが皆同じような状況です。疲れ切って、切り株に腰を下ろします。切り株と思ったら、日本兵の死体です。叔父は死体に重なって、死亡します。蛆虫はハエとなって飛び立ちます。以上、想像ですが大きな間違いはないと思います。
 「ご苦労様でした。」と声をかけてあげたかったのです。
 それで、今年3月町内会の皆さんと千鳥ヶ淵の花見に出かけたのを切っ掛けに、4月30日、改めて、細君と参拝してきました。
 千鳥ヶ淵の戦没者墓苑にも行ってきました。孫栄叔父は昭和19(1944)年亡くなっていますので、68年ぶりの墓参りでした。





「ガタルカナルの戦い」のネットURL
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84













千鳥ヶ淵の戦没者慰霊塔










献花用菊花が100円でした。


2013年4月29日月曜日

佐渡金山の夜桜・受信

 送信者、伊勢原観ボラT・Kさんのコメント
<4月は、富山、三春、会津、と毎週桜満開に恵まれましたがこれが最後、佐渡金山跡の桜です。これも満開ですが、表示の日時データどおり、平日にこんな山奥に誰も来ませんで、、客は我々ツアー客16名のみ、電気代が勿体ない。
 金山最盛期の往時を偲んで夜桜を堪能しました。 >
 

 <My Comment>
 30歳代、佐渡出身の方の「佐渡おけさ」の踊りを見てから、私の「佐渡おけさ」の歌で踊ってもらいたいとずっと思っていましたがまだ、成就していません。 「おけさ」の静かな情緒が歌っていても涙が出ます。
 

2013年4月28日日曜日

「KAZESAYAGE」:3冊、伊勢原図書館蔵書棚へ

 先日、「KAZESAYAGE」(平地編)8号と14号が伊勢原市立図書館に寄贈したところ、受け入れる旨の葉書を頂きました。すでに、一昨年、「KAZESAYAGE」(平地編)5号を受け入れて頂いていますので今回で3冊目となります。
3冊とも、世田谷にある出版社「風人社」のご厚意により、大山に関する拙著が掲載されているので、何とか、後に残したいと思っていたので、とても満足しています。
3冊の調査研究の内容は、次のとおりです。

①「KAZESAYAGE」(平地編)第5号 2010年5月20日発行・発行所 風人社
 
   「その山影を見てみたい」各地から見える大山  著者 斉藤勢吾

<第2期歴史解説アドバイザー養成講座の卒業研究として取り上げた「関東各地から見える大山の山影」をまとめたもの。仲間の皆さんの協力を得て、埼玉県からの貴重な山影が掲載されています。>

②「KAZESAYAGE」(平地編)第8号 2011年4月13日発行・発行所 風人社
 
   「津久井大山道・日向川~石倉橋・再探訪ウォーク検証報告」  
                                    著者 高橋憲治・斉藤勢吾共著

<日本中の歴史街道を歩き尽くし、その記録をネット上に公開している高橋氏が、「津久井からの大山道の一部が分からない。」という疑問に応える為、斉藤が、「アドおおやまみち」の皆さんの指導の下、高橋氏とともに検証したその報告書。風人社さんや道研究家の参加も得て、貴重な記録となっています。>

②「KAZESAYAGE」(平地編)第14号 2013年1月11日発行・発行所 風人社
 
   「権田直助 波乱の生涯」      著者 斉藤勢吾共著

<医師、国学者、草莽の志士として活躍し、晩年、大山・阿夫利神社の祠官となり、大山復興の祖と称されるほどの貢献をした権田直助の生涯を追った記録。世間では様々な理由で、権田直助のことは話題に上ってこなかったが大山の地から出版した「国文句読考」という著作は、我が国初のの句読点の著作として、後世に大きな影響を与えている。>
 

2013年4月25日木曜日

福島より、満開の鶴ヶ城の桜の写真を受信しました

福島・鶴ヶ城の桜
平成25(2013)年4月25日(木)、突然、福島、鶴ヶ城の桜満開の写真を受信しました。送信者は伊勢原観ボラのT・K氏。今年1月、いわき市のスパリゾートに連れていいてくれた方で、9月には、ゴルフ仲間8人とのスパとゴルフを引率してくれる方で、元気なシニアです。現在、その打ち合わせ中ですので、見事な桜を見せたくて、送信していただいたのだと思います。驚いたと同時に嬉しかった。
 なんでも、スパリゾートがお好きで、いわき市の震災復興にも尽力されている方だそうです。
 福島の花だよりは盛んに報道されているが私だけの花だよりは初めてです。勿体ないので、歌仲間やゴルフ仲間に見てもらおうと、直ぐ、ブログにUPしました。
9月の参加者も10名と、超満足な人数になったので、今日、途中経過を報告しようと思っています。
T・Kさん、よろしくお願いします。
 

2013年4月23日火曜日

「天空・頭上の虹」に73年目の驚愕!!

 「天空・頭上の虹」と言っても、直ぐにはご理解いただけないかも知れない。虹と言えば、西か東の空の端にかかるものと思っていたが、今日の虹は、頭上の太陽を囲むように架かっている。
 発見したのは、家庭菜園で一緒に草取りをしていた細君。米軍の戦闘機が3機、厚木のほうに物凄い爆音で去って行ったのを見届けていると、「アッツー!!虹!!」と細君が叫ぶ。同じ方角を見やると、太陽の下半分を囲むように、空の真上に「虹」がかかっている。二人とも「初めてだ!!」と会話。「写真!写真!」と大急ぎで自宅に駆け込み、玄関先で撮影。
 電信柱があって思うような画面にならなかったが撮影に成功。「70年間、見たことが無い!!初めて!!」と細君は興奮気味。
 と言うことで、季節に関係あるかどうかわからないが、NHKのニュース番組の「季節の写真」に投稿。我がブログにも投稿。
 昨年の金環食も投稿したので、一寸した「天体ショー」を撮影したような、高貴な気分です。

2013年4月19日金曜日

第10回「歴アドゴルフコンペ」報告<東京cc>

南8番富士の眺めが最高のホール
「歴アドゴルフコンペ」と言うのは、「いせはら歴史解説アドバイザー」第2期生のゴルフ好き仲間のコンペである。現在会員は14名。歴史解説アドバイザーは6名であるが友人、知人を巻き込んで、ルーズなルールで、ゴルフを楽しんでいる。遠くは、横浜・藤沢から参加。スコアは83~115迄と幅が広い。一応、優勝者は減らし、最下位者は増やすという独特なハンディ戦で遊んでいる。5年目を迎えた今回は東京cc(パー72、6111m)で行い、63歳の、若い仲間も加入があり、言いたい放題のにぎやかな大会となった。ベスグロは83。

東INスタートホール
次回は、「五周年記念大会と東北大震災復興支援」の企画として、いわき市の「スパリゾートハワイアンズ・コレストヒルゴルフ倶楽部」で開催予定。
 期日は9月25日(水)~26日(木)の宿泊で行い、1日目はハワイアンダンスショウー見物。2日目はゴルフ。バイキング2食付の、込々で、15000円。株主さんの引率で、格安の企画。すでに、1組と女性軍の参加もあり、実施が可能になった。うれしい限りである。
 もう2,3人参加して欲しい。


スパリゾートハワイアンズURL  http://www.hawaiians.co.jp/

2013年4月14日日曜日

「大山・石倉・不動尊道標の最初の設置場所を探る!」―伊勢原郷土史研究会講演会を聞く。             



講演する宮崎氏
 413日(土)表題のような講演会が開催された。講師はいせはら歴史解説アドバイザー1期生の宮崎武雄氏。宮崎氏とはお互いの調査研究発表会で参加し合い、研鑽を高めてきた仲であるので、今回も勇んで聞かせていただいた。
 表題に関することは、既に「石倉の不動尊座像道標について・・・大山道の変遷と不動尊座像のあった場所」と題して、「KAZESAYAGE<平地編>第13号」(風人社 2012727発行)で発表されていますが直にお話を聞く機会がなかったので、楽しみであった。



石倉自治館前にあった道標
(H22頃西部氏撮影)
鈴川に移された現在の道標。
(H24・4斉藤撮影)
 「KAZESAYAGE」という冊子をご存知ない方も多いと思いますが世田谷にある「風人社」という出版社の、A6版、15P、1冊300円のミニコミ誌である。「風人社」は、地図関係の出版も手掛けており、その関係で「道」に関する出版物も多く、その中でも、「大山道」に関する地図や書籍に力を入れている。
石倉自治館前の道標紹介文
   




                                                          表題の「不動尊座像道標」は各地からの大山道が収斂する「石倉三差路」にあった地域の自治会館の前にあり、関係者ならだれでも知っている大山道道標としては有名で、大山道を象徴する道標であった。日向石で作られていたのか、傷みも激しく、すでに両腕もなくなっていたので少なくとも江戸期に作られたであろうと、だれでも想像していた。さらに、この道標はその後の道路拡張などで、ここに移設されたものであることは皆承知していたが最初、どこに設置されたかについては、誰も知らず、あまり追及する研究家も少なかった。

  いせはら歴史解説アドバイザーの一期生で、大山研究に集まった「アドおおやま」の仲間たちは、このことを手掛け、議論し合ったが結論は出ず、今回の講師の宮崎氏が継続案件として、頑張っていたらしい。




参照地図(道標の移転場所の変遷)
 このブログでは、研究成果の詳しい内容は書けないが、要約すると、次の推論から結論を導き出したという。

   地図の検証☛古地図(山口家に伝わる古地図の検討)・明治期(軍事用)・大正期(東海道線鉄道設置に伴う参詣道の変化)等の検討と比較。

   写真の入手☛当該道標の写真を入手し、看板や文字の書き方、町村合併の変遷などから年代を推定。
最初に設置された場所(大正期) 
(写真提供:山口靖之氏)

   道標の文字の検討☛「おおやま」という地名が書かれていないことから「山帰りのための道標である。」と推論。☛道標に書かれた案内先の地名から不動尊座像の向きを検討。☛移設の度に、座像の方向が変わっている。

以上のことなどから、「参照地図」のように結論付けている。

宮崎氏は「全く、個人的な見解であるがこの地図の位置であるとすべての疑問が解決する。」と謙虚に話されておりますがそこには、伊勢原市大山で生まれ育った土地勘や世間話が大きな役割を果たすと同時に、郷土を思いやる強い心が感じられ、とても好感のもてる講演でした。

 結論はどうあれ、資料収集、解釈、推論などの過程は、推理作家を思わせる見事な腕前で、すっかり感心させられた。

 その後、同道した昼食時、「神奈川県では鎌倉、箱根に続く観光地として、<大山周辺>を取り上げ、キャンペーンを始めているがそれには、<大山や大山道の表現化(案内板や説明版)の工夫>が大きな役割を果たす筈なので、案内版等で個人的にも努力したい。」と話されていたが当ブロガーも協力したいと思っている。

 なお、詳しい内容は次の風人社のHPを見てください。