2013年11月16日土曜日

出前授業のスタッフとして、頑張っています。          「市内小学校で縄文土器の野焼き」<写真集>

平成25(2013)年11月13日(水) 
◆縄文土器つくりと野焼き体験授業<小学校6年生の社会科授業の一環。>
◆市文化財課の出前授業。・・・・サブスタッフとして「いせはら歴史解説アドバイザー」10名。
◆この記録を「清川村の道子窯」の「すえろまる氏」に見てもらい、コメントをもらいます。
◆写真はクリックすると大きくなります。
始めの集会

始めに地面と作品を乾かす為の空焚き。
周囲にあるのは作品。
児童が自分で並べています。
乾いた中央の地面に作品を並べる。専門家の助言により、
ここで急激高温にすると割れが多くなるので、
30分以上かけ、ゆっくりと加熱するよう提言しました。
しかし、結果は不明!?。



いよいよ周囲から火力を上げて行きます。この時の薪の入れ方には年季がいります。
歴史アドバイザーの経験者が助言します。


作品を炎で覆わなくとも焼けているようです。
風上も色が土器色で調子が良い様だ。
                             取り出した作品。
 板の上にあるのは欠けた欠片。作品が欠けた場合子供たちがやってきて、必死に破片を探します。子供達に取っては、どんな些細なことでも、大切な作品なのです。
 アドバイザーはその事をよく知っており、灰を掻き回して必死に破片を探しまわります。

最高の焼き上がりの作品
これも良く焼けている

作品を返す前に今日の焼き具合を報告。

2013年11月15日金曜日

大山御師・蓑毛宿・初訪問。                  <相模大山・・・今日の話題③>

 平成25(2013)年11月12日(火)大山寺訪問時の話題、三つ目。
 家康の裁断で、蓑毛に下った「大山御師」の宿坊街を初訪問。蓑毛の宿坊が並んでいるのは県道702号線沿いの蓑毛地区。
蓑毛宿坊街
この地区の手前、寺山にある「東京カントリークラブ」までは、いつもプレーで行っており、その先までも何回も車で登っているが関心が向かなかった所為か、歴史的事情については、全く知らなかった。
 しかし、宮崎・西部氏の案内で、散策してみると興味ある話題がぞろぞろ。
 特に、西部女史の深い知識には感服。もう、○○十年と言う観光ボランティア活動で得た知識と記憶力は物凄い。その知識を一気に話すので、聞く方も覚悟をして聞いている。しかし、忘れても怒らないのが助けの神。彼女のもっと凄いのは何回同じことを聞いても、いつも真剣に教えてくれること。パソコン操作もそうだが高齢者には、こういう方が貴重である。大切にしたい。
蓑毛宿坊の前で
この蓑毛宿坊に来たのは、もう一つ目的があった。宮崎氏が今度出版する大山紹介本に、蓑毛の宿坊の写真を掲載するための撮影でもある。大山山頂で撮った私の写真も掲載されるらしい。
蓑毛宿坊でも、私と西部女史をモデルにしたスナップ写真を撮っていた。これも掲載させるのだろうか。そうだったら記念になり嬉しいが・・・。


大日堂へ続くみのげ橋
大日堂から大山山頂への蓑毛道
大山山頂での二人に写真

宮崎武雄さんの『相州大山今昔史跡めぐり(仮称)』出版  タウンニュースで紹介

 このブログに度々登場頂いて来たブロッガーの友人であり、相模大山に関する師匠でもある「宮崎武雄さん」が今日(2013・11・15)のタウンニュースで記事になっています。
 記事では、今度、宮崎さんが出版する大山の紹介・案内本、「相州大山今昔史跡めぐり(仮称)」(風人社出版 1800円)が紹介されていました。
 この本は、前回出版した大山案内本『相模大山』(500円 2000部)が完売した後を受け、再度、山頂登頂やウォーク、調査研究を行い、内容をバージョンアップ、ボリュームもアップして出版に漕ぎ着けた、大山に対する思いのこもった一冊です。
 一昨日も、この書籍の取材で、蓑毛宿坊探訪をご一緒してきました。
  (相模大山…今日の話題③参照)
今年中に出版予定です。出版されたら、「出版記念サイン会」などやりたいと思いますので、ご案内がありましたら、ご参集下さい。


2013年11月12日火曜日

大山寺までの林道をクネクネ、車で初走破。       <相模大山・・・今日の話題②>

慈雲山来迎時
平成25(2013)年11月12日(火)大山寺訪問時の話題、二つ目は、車で走った大山寺までの林道。同行者は徒歩や車でこの林道を通ったことがあるらしいがブロッガーは初めて。有ることさえ知らなかった。
慈雲山観音寺
「今日の話題①」でも述べたがこの道はバブル期の産物らしい。3mの車道が大山の山肌を縫って、クネクネと続く。現在の大山道の上を通っているので、下の様子が分からず、今、どの辺りを通過しているのかさえ分からない。初めに、現在の「大山寺」の所にあった「来迎院」の移転先。近くに大山公民館に降りる道があると言う。
 帰路に立寄り、撮影。反対側に墓所がある。ここは、来迎院が移転する前にあった「大山寺末寺茲雲山観音寺の墓所だと言う。しかし、大山にあった様々な寺院の墓所でもあるらしい。撮影時、墓参に来たと言う地元の老女の墓所は「茶湯寺」だと言う。
 帰りがけ、大山公民館に下りる坂道の入り口近くにある墓所が気になった。奥にある墓石が六角柱である。その前に立ち並ぶ墓石も将棋の駒方であり、墓誌名に「○○○大人(うし)」とある。阿夫利神社の墓所である。碑を見たら、私も知っている御師の方の墓所であった。
神社の墓所。奥の墓石は六角柱
そう言えば、権田公園側の墓所も、神社の物だと聞いた。また、宮崎氏と大山に登った時に、女坂の途中にあった墓所にも、「神社館」の墓石もあった。神仏判然期、大山にお住いの仏教信徒は葬儀の依頼先を失い、神社にお願いし、そのまま神社信徒になった方も多いと聞いた。
 来迎院を過ぎて、さらに進むと、12月18日(水)にウォークする大山古道のイヨリ峠に続く道の案内板が、林道を横切る形で続いていた。しかし、この道は獣道で、「ここで、蛭に出合ったら大変だなあ!」と権田直助が箱根を抜け、三島神社に向かったと思われるこの道の難渋さを感じさせた。





観音寺墓所
大山公民館に降りる道
(白い建物が公民館)
そこから先は、右手に紅葉の大山が出たり消えたり、峠越えの観光バス旅行のような楽しさを感じた。大山寺近くなると、軽乗用車が2,3台見かけ、寺近くの駐車場広場には5,6台駐車していた。帰りにはユンボも見た。多分、役所が何かの作業をしているのであろう。
 感想としては、近い時期、清水屋さんに車を預け、誰かとウォークしなければなるまいと感じてしまった。





◆この林道地図は以下のYAHOO地図URLをクリック。

http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?p=%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8E%9F%E5%B8%82%E5%A4%A7%E5%B1%B1&lat=35.41891998&lon=139.26005041&ei=utf-8&sc=3&datum=wgs&gov=14214.6.200&ac=14214&az=6.200&layer=pa&v=3

大山寺本堂の壁面の彫り物の手は複数あり・・・。    <相模大山・・・今日の話題①>

 平成25(2013)年11月12日(火) 西部周子氏より、大山寺訪問のお誘いあり。
  大山寺まで裏道を通り、自家用車で、大山寺まで登ると言う。
  道が狭いので、小型車で出発。期待に胸が膨らみ過ぎて、助手席でのおしゃべりが止まらない。半分の舌では、何を言っているのかわからないだろうが、同乗者は合いの手を入れてくれたり、念入りに説明してくれたり。こう言う所が、嬉しい方々である。
土産店「清水屋」さんの駐車場を突っ切り、3mほどの舗装された道に入る。この道が大山寺まで続くと言う。途中、来迎院やイヨリ峠への看板などがあったがそれは次回に譲り、「バブル期に余った予算で作った。」と宮崎氏が嘆く、斜面に沿った林道を走る。紅葉した山の中に阿夫利神社下社も銀色に輝いて見えた。10分も走ったろうか。小型の業者用の車やユンボ等があり、大山寺の裏にでるトンネル前で駐車。外に車が5、6台。
 ここからの眺めは初めてである。大山寺を下に見て、その向こうに相模湾が見える。
 
 反対側からか入った境内では、やはり最初の建造物が目につく。いつもは、チラッと見るだけの「6躰の倶利伽羅像」や「伯耆坊大天狗碑」等興味をもって撮影。
 「伯耆坊」の話は気に入ったので、後日調査し、このブログで報告します。
 今日の話題の一つ目は本堂の壁面の飾り物の「彫工」の件。
手中明王太郎の彫り物
正面、右上部の「獅子の彫り物」の手は「手中明王太郎」であると西部氏はその署名を指さしながら説明して下さった。
 問題は、件の「納め太刀」が展示してある壁面の「獅子の彫り物」。
像の左下に手中の署名が見える
ご住職は、山梨県東野町の「後藤系」の彫師であると言う。山梨には「後藤系」という彫師の家系があって、仁王門など手掛けていると言う。これは、後日調査し、このブログで報告したい。
 その他、茨城県や栃木県の彫師も来ていると言う。特に、茨城からきた彫師は、地元では「欅で山車を作った」と言う有名人らしい。これも、このブログで必ず報告したい。
 大山寺は明治六年、借屋が建てられ、本尊が安置された。それから、周囲の村々の寄進や浄財により、完成したのは明治18年。建設が始まってから9年かかったと言う。その間に、宮大工や彫師が各地から参集した様子も想像できる。
「納め太刀」側の上部彫り物
拡大写真
帰り際、「関東三十六不動霊場」のテキストブックを1500円で購入した。「ISEHARA・おもてなし隊」の心意気も、空回りし始めたら、「不動霊場」巡りも面白いなとと思ったので



・・・。
 

2013年10月27日日曜日

熱唱!!『新庄節』 三味線伴奏で歌うのは初めて!!    小田原:清涼会おさらい会

73才にして、あこがれの民謡教室に入り、故郷山形の民謡「新庄節」を習い始めて1か月、もう、「発表会」があると言う。
しらさぎ会館
まだ、発表どころではないが先生に勧められるまま、もうこんな機会がなくなるかもそれないと思い、恥を忍んで、舞台に立つことにした。
三味線伴奏で歌うのは初めてだ。
興奮して歌った歌は、一寸、キーが低かったなーと思うが、まあ、こんな所だ。大満足!!
演目1番「北海盆唄」で始まる

また、舞台に上がれる機会があったら、50歳代、若くして逝った長兄が良く歌っていた「最上川舟歌」に挑戦してみたい。
  
平成25(2013)年10月27日 
於;小田原「しらさぎ会館」
 ;師匠 渡邉青涼先生

YOUTUBE URL
  http://youtu.be/lx9i2YLTD5Mこれをクリックしてね!!)

2013年10月23日水曜日

大学の同級会<50年ぶり>東京で・・・・

案内通知(クリックしてね!)
東京スカイツリーと東京駅丸の内駅舎保存・復元工事が終了し、公開されたことを受けて、大学の歴史学部卒業生の同級会を東京駅近くで開催する事にした。世田谷にある大学を卒業して50年経っている。
 慣例では、会場は、持ち回り幹事の出身県が充てられ、今年は関東出身者が幹事であったので、件の場所が目的地として選ばれた。
 参加者は6名と少なかったが、学友には僧侶が多いので、年齢を重ねても多忙らしい。今年、金婚式を迎えられた同級生もおられて、目出度い会となった。
 詳しいことを書くことを止め、写真で紹介したい。
 今回、Bloggerが満足したのは、東京駅八重洲口にある「北町奉行所跡」を案内できたことと、東京国際フォーラムで、「太田道灌公の像」を発見した事であった。伊勢原市役所前と同じ姿であった。この像については、過去、どなたかに教わっていたような気がする。


大正3年12月の東京駅









天気がよく大東京の素晴らしい夜景を堪能
4階の外から
東京国際フォーラムの大田道灌像