伊勢原市歴史解説アドバイザーの一期生の宮崎武雄氏は大山参道で食堂と土産店を経営している「中村屋」さんのご隠居さんで、大山の歴史や文化財の研究の他、大山道保存をなどにも積極的に取り組まれている、大山ではとても大切な方です。
その宮崎さんが9月10日(土)、川崎市の溝口にある「ふるさと館」で講演をされるという話をお聞きし、お仲間の西部女史のお誘いもあったので、出かけました。
溝口は小田急線、登戸で南部線に乗換、四つ目の駅でした。「大山道」と道しるべをたどってゆくと十分ほどで到着。
江戸期交通の要所であった溝口の歴史を展示している館内を見学後、会場に入ると会場一杯の参加者で、伊勢原市の文化財課の職員や大山道の出版で有名な「風人社」の編集員や、道研究家の方々などで満員。報告では六十人以上の方が来られたということです。
講演内容は世田谷区大山みちの会の「大山道の会の活動報告」、横浜市緑区の大山街道発見の会の「双六と錦絵に見る街道の今昔」及び宮崎氏の「大山街道を語る」の三つで、パワーポイントやDVDを使った、二時間たっぷりの講演会でした。三つのお話とも行政とは一線を画し、民間の団体として活動されている方々で、その研究熱心さや活動旺盛さに驚かされました。
圧巻は北斎の「鎌倉江ノ嶋大山新板往来双六」の一つ一つの絵の場所を特定された研究の報告。懐かしかったのは北斎の絵が県立歴史博物館の物であったこと。10年前、歴史博物館のミュージアムライブラリーで館所有の浮世絵の使用貸出を担当していて、この北斎の絵は利用者がとても多かった事を覚えていたからです。
最後は宮崎氏のDVDを使った大山信仰の話。大山寺が去ってからの大山信仰の衰退は極めて激しく、門前町のありようまで問われている現状や今後の行く末を案じておられる氏の嘆きが伝わってきました。しかし、現在の大山信仰を担っている阿夫利神社の活動を熱心に語っていたのはとても好印象でした。
特に、明治以降の大山を取り仕切った阿夫利神社再興の旗手であった権田直助の話を、最後に持ってきた度胸は大したものであると思った。直助は江戸期、寺信仰であった大山信仰から見れば、アルカイダのような存在であり、大山寺信仰の破壊者でもある。その直助の阿夫利神社再興の取り組みを淡々と話している姿は信者よりも研究者としての姿に見えた。
また、さらに嬉しかったのは半年ほど前、直助の国文学者としての著書「国文句読考」が句読点に関する日本初の著書である話をした時、「その話を今度の講演会で話す」と言われたが本当だとは思っていなかった。直助は地元に余り人気がないからです。しかし、会場にいた私の名を出して、話してくれたことに感動した。私の調査研究が初めて世に出た瞬間だったからです。
その宮崎さんが9月10日(土)、川崎市の溝口にある「ふるさと館」で講演をされるという話をお聞きし、お仲間の西部女史のお誘いもあったので、出かけました。
溝口は小田急線、登戸で南部線に乗換、四つ目の駅でした。「大山道」と道しるべをたどってゆくと十分ほどで到着。
江戸期交通の要所であった溝口の歴史を展示している館内を見学後、会場に入ると会場一杯の参加者で、伊勢原市の文化財課の職員や大山道の出版で有名な「風人社」の編集員や、道研究家の方々などで満員。報告では六十人以上の方が来られたということです。
講演内容は世田谷区大山みちの会の「大山道の会の活動報告」、横浜市緑区の大山街道発見の会の「双六と錦絵に見る街道の今昔」及び宮崎氏の「大山街道を語る」の三つで、パワーポイントやDVDを使った、二時間たっぷりの講演会でした。三つのお話とも行政とは一線を画し、民間の団体として活動されている方々で、その研究熱心さや活動旺盛さに驚かされました。
圧巻は北斎の「鎌倉江ノ嶋大山新板往来双六」の一つ一つの絵の場所を特定された研究の報告。懐かしかったのは北斎の絵が県立歴史博物館の物であったこと。10年前、歴史博物館のミュージアムライブラリーで館所有の浮世絵の使用貸出を担当していて、この北斎の絵は利用者がとても多かった事を覚えていたからです。
最後は宮崎氏のDVDを使った大山信仰の話。大山寺が去ってからの大山信仰の衰退は極めて激しく、門前町のありようまで問われている現状や今後の行く末を案じておられる氏の嘆きが伝わってきました。しかし、現在の大山信仰を担っている阿夫利神社の活動を熱心に語っていたのはとても好印象でした。
特に、明治以降の大山を取り仕切った阿夫利神社再興の旗手であった権田直助の話を、最後に持ってきた度胸は大したものであると思った。直助は江戸期、寺信仰であった大山信仰から見れば、アルカイダのような存在であり、大山寺信仰の破壊者でもある。その直助の阿夫利神社再興の取り組みを淡々と話している姿は信者よりも研究者としての姿に見えた。
また、さらに嬉しかったのは半年ほど前、直助の国文学者としての著書「国文句読考」が句読点に関する日本初の著書である話をした時、「その話を今度の講演会で話す」と言われたが本当だとは思っていなかった。直助は地元に余り人気がないからです。しかし、会場にいた私の名を出して、話してくれたことに感動した。私の調査研究が初めて世に出た瞬間だったからです。
確かに大山信仰の賑わいは凋落していますが今、先導師の方々が自分たちが怠ってきた講の訪問と再編成を目指し、頑張っている姿があちこちに感ぜられ、寺と神社で支えあう霊山大山の今後が期待されます。
写真は講演する宮崎氏と権田直助の「国文句読考」の冒頭部と銅像写真です。
次のURLは権田直助の伝記です。見て下さい。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/magoemu/gonta%20frame.html
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