そのことをようやく知ったのは、皆、「腹が減ったなあ!!」と言い始めた12時近くで、新道となった「県道大山板戸線」に入り、少し下った所でした。その辺りに、農業用水の取り入れ口があるという。地図では26番「梅原用水取り入れ口」で、堰でもあるのかと思ったら、「トンネルを掘ったのだ。」と言う。「まさか!?」と思ったが1m位の穴が見えた。しかし、この穴は写真に撮り損ねた。
明治期、子易地域の用水確保のため、地元の農民が掘ったのだと言う。トンネルの大きさは人が中腰で歩けるほどの大きさで、人力で掘るための最低の大きさのような気がする。
取水口は三つあり、残り二つは、29番の「トゲノ用水取り入れ口」と「33番の大坪用水取り入れ口」という。この三つの取り入れ口から、トンネルは、鈴川の山側に沿った棚田の、その山側の農道に沿って、水が流れるよう、トンネルも続いている筈である。途中には、トンネルの内部が詰まった時の、作業用の穴も所々に開いているという。
全く思ってもいない用水路の話に、ついて行けず、理解も記録も十分できなかった。しかし、自分なりに地図上に黄色の線で、水路の道をつけてみた。しかし、多分に見当違いかもしれない。
トンネル内作業用入り口 |
この用水トンネル掘削に関わった地権者は、かつて10名ほどだったが現在は4人であると聞いた。
10年ほど前、伊勢原市の」農政課で企画した「棚田オーナー制度」に参加したときも、このあたりの棚田であった。そして、最近、この棚田の下から、厩を持った武家屋敷跡が発掘されてもいるので、古くから人々が住み始め、居心地がよかった地域かもしれない。
とにかく、このトンネル掘削による農業用水の確保には驚かされた一日であった。
トンネルから地上の樋へ |
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