クルーは仮設住宅の高齢者孤独死防止活動で、大島と深い関係を持つようになった元教員のM女史がリーダーで、伊勢原ライオンズクラブのAさんが配車と運転担当、私は付き人のような関係の3名です。
気仙沼港。高い建物は女子高。 津波は女子高の床下辺りまで来たらしい。 |
前回と同じ様に、気仙沼についたのが朝、6時ころ。気仙沼はあまり変わっていなかったが道路は嵩上げされており、少しは動いているように見えた。7時のフェリーで大島へ。大島の港もあまり変わっていないが船の数は増えていて、活気が戻ってきたように見えた。
島の復興活動の拠点になっている「明海荘」へ。朝食をとり、花植え。雉が「ケーン」と鳴いて、私たちを応援してくれた。花植え終了後は入浴と睡眠。身体が未だ車中のように、浮いている感じがするが何とか眠る。
分かりにくいが昨年植えた水仙が咲き終わり、グラジオラスが芽を出している。 |
花壇 |
大島の漁港も船やトラックが多くなっていた |
「明海荘HPアドレス」 http://www.k-macs.ne.jp/~akemiso/
明海荘の娘さんの新聞掲載作文。全文ではないが一端は伺えます。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿