神奈川台「田中屋」で案内板を見る。 竜馬の妻おりょうが働いていたと言う。 「田中屋」は文久年間、浮世絵に書かれた茶店の 「さくらや」を買い取りそれ以来、 「旅籠」を経営している。 |
原氏は、啓子氏のフットワークの良さに関心し、「心強いお仲間ができた!!」と喜んでいました。
と言う事で、今回は横浜市の案内板の「浮世絵」や「写真」を中心に撮影しましたので、紹介します。
海を埋め立て、鉄道を引いた様子がよく分かる。 権現山の土をモッコで運んだのだろうか。 |
明治30年代の「お台場」の様子。今は駐車場になっていた。 |
開港当時の横浜港。「手前の岬」から下方の湾が神奈川宿台。 向かい側の岬が「ペリー上陸の場所。 |
開港当時の横浜港と現在の鉄道の位置。 分かりにくいが湾の向こう側の沿って書かれている黒い線が 現在のJR。その下にかすかに見える青い線が「みなとみらい線」 その上の陸に見える線が京浜急行。 絵をクリックすると絵が大きくなります。 |
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