K子さんはダウン氏症候群(ダウン症)と言うハンディを持って生を受けました。ダウン症とは、21番目の染色体が三本あることによりおこるハンディで、どんな民族でも、つり上がった眼、幅広く扁平な鼻、内眼角贅皮などの特徴的な相貌と知的障害や心臓疾患などの障害を共有して生まれ、日本では1000人に一人の割合でみられる症候群ですが、皆さん、穏やかで、愛想が良く、陽気な性格を持っています。従って、世間を余り困らせることもなく、上手に世間に溶け込んでいる場合もあります。しかし、昭和期は20歳までの命とDrから宣告されるのが常でした。しかし、現在は50歳と言われています。
中野理事長のご挨拶 |
私がK子さんに出合ったのは、今から35年前。彼女の就学相談の時でした。彼女は母親に連れられて来校し、相談室では母親から余り離れることもなく、元気に動き回っていましたが年齢の割に小柄で、幼く見えました。
母親は開口一番、「先生!私は市からこの学校に相談に行くように言われたので、来ただけです。この子を学校に上げるつもりはありませんから・・・?」と平然と、そして毅然と宣言しました。母親は昭和期の通常の学校教育を受けています。しかし、障害を持って生まれたお子さんのご家族は、大抵、世間と対峙しています。「世間の方には分かってもらっても仕方ない。」と。
さらに続けます。「だって、そうでしょう?この子は5歳まで生きられれば十分と言われているんです。もう過ぎました。残りの時間を一緒にいたいんです。」
「そうですね!」と私は言うだけで、就学義務等のことは決して言いません。
私は即座に、小学部低学年の教室にK子さんを案内しました。K子さんは教室に入るなり、他の子のおもちゃに飛びつきました。取られた子はひっくり返って、反抗しますが、K子さんは得意満面で、奪ったおもちゃで遊び始めました。そんなことの繰り返しです。
相談室に戻ると私は母親に話し掛けました。
「K子ちゃんはお母さんといるときが一番幸せそうですね。でもね、お友達からおもちゃを取った時も嬉しそうでしたよ。お母さんもお覚えているでしょう?小さい頃、友達と喧嘩したり、仲良くしたり、どっかへ出かけたりしたことなんか。とても幸せでしたよね。K子さんも同じです。短い命かもしれないけど、友達と一緒にいる喜びや幸せをK子さんにあげましょうよ!」
その日、母親はそのまま帰りましたが後日、学校に行かせるとの報告を受けたと、市教委から報告がありました。
母親と再び出合ったのは33年後の1昨年でした。「花」に入所したK子さんの保護者として活動していました。「合唱のイベント」で訪問していた私が駆けよると、大きな笑顔で握手し、叫んでくれました。「K子は30歳を過ぎましたよ!あの時が嘘のようです!」と。
5年の命と言われていた子が40歳近くなっても元気です。平均寿命なんて、もう誰も言いません。
今年もK子さんに会いました。ハワイアンダンスを、生真面目な顔で踊って見せてくれました。彼女の笑顔を見ることが私の「生きがい」の一つにもなっています。障害を持っている方は「他人の援助はできない邪魔者だ!」と言う方がおられますが、私は、障害を持ったK子さんに「生きがい」を戴いています。障害者が「人と人との間」に位置すると言う言葉を実感しています。
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