2011年12月10日土曜日

「石倉中遺跡発掘現場見学記」その1調査の概要と成果、建物跡

<埋蔵文化財発掘調査の概要>

1、道路整備事業に伴う発掘調査

伊勢原市上粕屋石倉橋近辺の遺跡発掘調査は現在工事中の(第二)東名高速道路から厚木秦野道路(国道246号線バイパス)のICへ接続する道路となるための「埋蔵文化財の記録保存」としての発掘調査で、今年の10月のブログにも掲載したように、神奈川考古学財団の手で、2010年1月から始まっている。

写真は「都市計画道路西富岡石倉線」及び「伊勢原北IC(仮称)接続区間」整備事業計画の平面図と完成予想図である。























2、調査区域の全体図と成果

調査区江戸時代に賑わった大山裾部に位置し、石倉橋とは江戸時代に賑わった大山道に沿っ


呼ばれ、各地域と大山を結ぶ街道が合流し、三の鳥居を経て門前町に至る経路で、帰路の江の島や鎌倉に至る分岐点として古くからの交通の要所でした。        これまでの調査の結果、大山道に沿った江戸時代の建物跡や道状遺構、奈良、平安時代の円形土抗や縄文時代(8000年前)の落とし穴等が発見されている。                      (以上、パンフより)

 要は、縄文期からの遺跡であるが、主な成果は江戸期の建物跡と道路遺構の二つであるという事らしい。
 しかし、私が面白かったのは江戸期の大山道の遺構は当然であるが江戸期、明治期の磁器や縄文土器などもとても興味をそそられた。                   
 
右写真の説黄色の部分は道状遺構明。空色の部分は住居跡。 橙色の部分は溝


<建物跡遺跡の概要>

建物跡は主に現在の大山道に沿って点在している。今回の主な成果となった江

戸期の建物跡からは陶磁器などを中心として、かなりの裕福層の建物跡と思われる。(全掲の地図参照:空色部)

 この地域の名主である石倉何某の分家であったと云うのが通論らしい。家主は明治期に自由民権運動にもかかわった方らしく、地元では有名らしいが良く分からない。出土した陶磁器から見ても元禄期の備前焼などが殆どで、中には庶民には手の出ない、大名級の磁器もあると云う。





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