2013年1月11日金曜日

初仕事は、市内小学校へ出前授業「縄文土器焼き」

 昨年11月30日、縄文土器づくりの出前授業を行った小学校の校庭の一隅で、昨日、年明けの正月10日、卒業を控えた子どもたちが作った縄文土器の野焼きを行った。
 この小学校では「縄文土器づくり」の野焼きの出前授業は初めてで、先生方も熱心に取り組まれたようで、8時45分、学校についた時は、既に子どもたちが近くの工務店から頂いた「木端」が円形に、山と積まれていた。土器はこの木端の中央に運ばれ、全体に乾かされたのち、火をかぶせ、3時間ほど焼成する。
 子どもたちは別教室で乾燥させていた自分の作った土器を大事そうに抱え、注意深く、「木端」の輪の中央に並べていた。
「木端」の輪の中央に並べられた土器
 この日は0度に近い寒い朝で、サブリダ―のいせはら歴史解説アドバイザー、6人も厚着をして控えていたが点火と同時に、火の熱さに耐えかねて、セーターを脱ぎ棄てていた。周りから燃え上がった火は、やがて大きな火柱となると、子どもたちは興奮した叫び声や歓声となり、校庭の一隅は興奮の坩堝のようになっていた。
焼きあがった土器
子どもたちとの合同授業はここまで。一旦別の学習をした後、午後にまた集まり、焼かれた土器の手渡しが始まる。ここからがこの授業の正念場である。焼成の段階で割れたり、小さい物は炭に埋もれてしまう事があるので、アドバイザーたちは、それを補完するために、必死になって、副作成した小さい土器や割れた土器の欠片を探す。火箸を使い、炭や砂を1cmづつ掻き分けて、探し回る。
 この日は、釘などの危険物も含め、5cm程の土器が4,5個、発見され、子どもたちに戻った。底が抜けたりしたのもあったが、可愛そうなのは30分以上、7人で10m四方を探したが見つからなかった子の欠片があった。先生方は「これも記念だ!」と慰めていた。
 私は土器作成で一緒だった促進学級の子どもたちの作品を発見し、デジカメに納めた。一人の男の子は別の土器に入っていた円形の3cm程の粒土器を「自分のだ!」と見極め、さっと自分の土器に戻していた。子どもたちにとって、どんな小さな粘土団子でも、自分で作ったもので「大切な土器」なのだ。
 アドバイザーたちはこの事を良く知っているので、どんな小さなものも無沙汰にはしない。だから、這いつくばって、熱い残り火をかき分けて必死に探すのである。
ハートが出るか心配だった土器
最後の集会では、先生方が「この授業は沢山の方々のお陰でできたのですよ!」と教えていたことが印象に残った。
数字が良く出ていて大満足
聞けば、「木端」を提供してくれた工務店の店主もこの小学校の卒業生で、ご子息3人もこの小学校卒業生であったと言う。こう言う話は結構、子どもたちの心に残るものである。
マテュリューシカも一緒の作品
  終了したのは3時過ぎ。馬渡の自宅に戻った時は4時半になっていた。

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