2013年8月28日水曜日

葛貫駐車場の「大山灯篭」が                  renewal(リニューアル)されました。

 27日(火)、東大竹の葛貫辰男氏邸に残されていた「大山灯篭」が、木製の柱を使って、本来の高さにまで嵩上げされ、リニューアルされた写真が届きました。
 8月4日(日)に実施された小稲葉地区の「大山灯篭夜間見学会」をUPしたHPをご覧になり、さらに、木製の柱を継ぎ足し、本来の高さまで高くし、火屋を乗せて撮影して送って下さったようです。
 さすが、観光ボランティアをやられておられるだけあって、粋な計らいをしていただきました。
 ありがとうございました。
 以下、メールを転記します。



 石に木を継いで昔の高さに合わせ、中に蝋燭も用意しました。普段は物置にしまってますが、見学ご希望でしたら、薄暮がよろしいと思いますが、ご一報くだされば用意いたします。


2013年8月20日火曜日

「水稲・不耕起栽培」の試み 」<出穂(しゅっすい)>   ・・・さくら福祉農園 S指導員の試み

 8月に入って、猛暑日が10日以上続いている。東北、北海道では大雨で、死者も出ていたり、四万十市では、日本の最高気温値41℃が出るなど、話題が多い。
 と言いながらも、田圃では 出穂も始まり、鳥よけの網も張られ始めた


 そこで、「さくら福祉農園」の「不耕起栽培の水稲」はどうなったか?を見に行ってみた。
 隣や周囲の稲は穂が垂れ始めているのに、穂の出が少ない。品種が違うのだろうか?他の田圃でも出穂には差は見られるが同じ田圃で差は見られない。やはり「不耕起」のためであろうか?
7月の田の草取り時はそんなに差は感じられなかった。今後を見守りたい。
 ついでに、久しぶりであったが猛暑日の大山を撮影した。

2013年8月17日土曜日

「馬渡ブルーベリー」誕生<岡崎城跡の無量寺近所> ・・・1㎏ 1500円 美味しかったよ!!

 今年、ブリベリーの実と言うものを初めて頂いた。「さくらの家福祉農園」の作業として、実を摘んでいるブルーベリー畑があって、先日、田の草取りの手伝いのお礼として、指導員と利用者が持ってきてくれたのが始まりである。
 その後、細君の井戸端会議で、馬渡にもブルーベリー畑があって、「摘み取り」を営業しているという。畑は中世には岡崎城の家老職であったという「森家」の土地である。ご隠居さんが亡くなってから、手がなくて、作付ができない畑地に、鈴木さんと言う方が「ブルーベリー」を植え尽くしたという噂を聞いたのは2,3年前である。それが、成長したのであろう。
 細君は「さくら」のブルーベリー」が美味しかった話をしたら、「森家」の畑のブルーベリーを勧められ、「行ってみます!」と答えてしまったらしい。携帯で、経営者の鈴木氏がいることを確かめて、二人で出かけて、驚いた。想像以上に大きな灌木で、実も大きく、たわわに成っている。
 鈴木氏は「あれこれ」と粒の大きさや味のあれこれを話しながら、摘み取りを手伝ってくれた。私たちは、味を確かめるため、食べながら摘み取る。暑い昼前であったが楽しかった。そして、ブルーベリーに、すっかり虜になってしまった。
途中で、ブルーベリーを育てたい話をしたら、挿し木をした苗木を2本くれるという。春がよいと言うので春まで待つことにしたが、我が家で失敗している栽培にブルーベリーも入っている。5年前に買って植えたブルーベリーは枯れないが育たない。鈴木氏は「深植え」のためだという。
 隣家に少し上げたら、キャンプに行った新潟のコメをお返しに頂いてしまった。そればかりではないが、一寸した訪問のお使い物に最適と思い、今日も行ってきた。また、持っていったら、隣の中学生のお兄ちゃんが「美味しかった!」と言ってくれたと細君は喜んで帰ってきた。
 「馬渡」のブルーベリーが美味しいことを宣伝して、皆さんにも来ていただき、序に、「岡崎城跡」にも触れてほしいと思い、ここにUPした。
 住所は岡崎7014-6辺り。    電話 090-7630-6671 鈴木さん。
 しかし、もう終わりかも・・・。

◆地図のURL
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?p=%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%8E%9F%E5%B8%82%E5%B2%A1%E5%B4%8E5560&lat=35.38028485&lon=139.31323754&ei=utf-8&v=2&sc=3&datum=wgs&gov=14214.7.5560

2013年8月15日木曜日

我が家の「イチジク」大豊作

 我が家の家庭菜園の一角に、イチジクを植えたのは10年も前である。成りはじめたのは5年ほど前から。一時は、8月にすばらしく大きな実がなったので、3本仕立てにし、翌年、またすばらしく大きな実を期待した。
 5月頃までは上手くいった。しかし、6月になると、期待した主木の葉が黄ばんできて、実も大きくならない。その内枯れてしまった。
 ネットで調べたら、カミキリムシの仕業らしい。カミキリムシがイチジクの幹に卵を産み付け、孵化した幼虫は、柔らかいイチジクの木の芯を食べ成長する。従って、卵の時期のイチジクは元気だが、芯を食われ始めたら、木にはなれない。
 と言う事で、翌年から、1本仕立てを止め、株から出る芽を全て、大きくすることにした。それでも、2年間は、カミキリムシにやられた。
 ただ、我が家の菜園は「人間と他の生物とで分け合う栽培」が基本である。トウモロコシやトマトなどはカラスと分け合う。キャベツは青虫と分け合う。
 しかし、あまりにも、我が家で食する部分が少なくなると、網などを張り巡らしたり、虫取りなどを行い、いろいろ工夫を凝らす。しかし、よほどのことがない限り、殺虫剤は使いたくない。

カミキリムシ
と言う事で、今年で3年目位だろうか。5、6本の木の内、カミキリムシにやられたのは1本だけで、他の木は大きく育った。それが、今、熟し始めた。もう、10個以上、収穫し、家族で大いに楽しんでいる。
 ただ、現在、どうなるかわからないのが「プラム」である。30年前、イギリスのゴルフ場に生えていたプラムの木から、もぎ取って食べた美味しさを忘れられず、5年前植えてみたが、枝だけが繁殖し、剪定はしてみるが、花は咲かない。咲きそうもない。当然実はならない。諦めないで、待つことにしている。
 


2013年8月14日水曜日

「PUSHKIN美術館展」観覧<フランス絵画300年>   ・・・於:横浜美術館

「横浜ブルグ13」6階からの汽車道の眺め
2013年8月14日(水)連日、最高値を報道される猛暑の中、動かずにいるのも倒れる一因と思い、二人で掃除を手早く済ませ、表記、プーシキン美術館展に出かける。パシフィコでは、万年凍土から発見された「マンモス展」もあると言う。10時半、家を出る。今日は駅まで歩くなどと言うバカなことはしない。
入場券:1500円
12時に桜木町駅に着き、始めて、食事のため「横浜ブルグ13」に入る。6階の映画館街の豚カツ屋で、海に向かった席に着く。びっくりしたのは、そこからの眺め。いつも万国橋からの眺めばかりだが、ここはその反対である。汽車道が赤レンガ倉庫に向かっているのがわかる。ばっちりと写真に収めた。
 美術館に着いたの13時。入場券購入で100人以上並んでいる。上野も横浜も特別展はこんなものである。30年前のフランスでもこんなものであった。その時は「モナリザ」の前に、二人の護衛が立っていたが・・・。

 詳しくは、次の紹介ネットを見てください。

 http://pushkin2013.com/intro/

17世紀の古典派の絵画から印象派を経て、ピカソに至る道筋がよく理解できます。
少女マンモス「yuka ユカ」
ドラクロアやモネ、ピカソなど、今まで教科書には掲載れたことのない作品があります。

なお、「マンモス展」は疲れたので止めにした。
次のネットで見てください。

http://news.mynavi.jp/news/2013/07/25/011/index.html

2013年8月10日土曜日

「大山の生い立ちを知る」☛「ために」          ☛「地学教室・丹沢の生い立ちを学ぶ」        ・・・ 於:丹沢湖ビジターセンター


平成25年8月3日(土)丹沢湖ビジターセンターで、「丹沢の生いたちさぐり隊」という地学教室がありました。県か、市の広報で見つけたが、多分に夏休みの親子教室であることには気が付いていた。しかし、資格は小学生以上とだけあり、シニア・NOとは書いていない。ダメ元で応募したら参加可の通知をいただいた。

何故、この講座の受講を思い立ったのか? 私事、4年前、いせはら歴史解説アドバイザーのライセンスを取得し、大山信仰の元となる「石尊」とされる岩石名が凝灰岩であることを知った。つまり、大山は南海で噴火した海底火山が隆起し、プレートに乗って日本に付着(衝突)した丹沢山塊の一部であり、その後、付着した伊豆半島に、未だに押されている状況であることも知った。それ以来、その痕跡となる証拠品(岩石や地層の場所)を探していた。
このテーマに、今回の地学教室はピッタリであった。内容は小学生高学年程度でも十分な筈である。丹沢山塊の成り立ちを知ればヒントはあるはずである。
 当日、親子に交じって、年寄り一人は覚悟の上で、車で90分の道のりを勇んで駆けつけた。

詳しくは報告できないがこの講座で学んだ興味ある内容は次のとおり。
①海底火山の証拠としての一級品は「枕状溶岩」の発見である。大山では未だ未確認。☛仲間がいれば、鈴川べりを探索してみたい。

②大山で採取される岩石は大半が「凝灰岩」である。それだけで大山が南海の海底火山である証拠品としては、十分である。

③「緑色凝灰岩」を採取すれば「緑色の勾玉」を作成できる。この種の良質の「緑色凝灰岩」は七沢から流れ出る厚木市の「玉川」で採取できる可能性がある。☛仲間がいれば、いつか出かけてみたい。

以下、テキストと写真で講座の内容を紹介したい。画像はクリックし、拡大して読んでください。
また、詳しくは、次のURLで、「地球博物館発信・門田先生」のページで、動画も見れます。 
    http://www.washiyama.jp/great-teachers/kadota/






My 岩石図鑑

枕状溶岩(海底に流れ出た溶岩が枕状に固まっていった様子が分かる)
川岸の枕状溶岩(学者達が苔を取って見えるようにしたらしい。)

 

2013年8月7日水曜日

今年も「大田公民館主催の親子勾玉つくり」のお手伝い・・・・・参加者は毎年増加!!

 伊勢原市立大田公民館で、毎年実施している「親子まが玉つくり」が、8月6日(火)AM、今年も実施されました。

全体講座
講師(講座のリーダー)は市教委文化財課の職員ですが「いせはら歴史解説アドバイザー」の方がサブリーダーとして、この日は7名参加しました。皆、普段から交流を重ねている仲間なので、段取りも承知し、和気あいあいとしています。
 ブログ用写真を送って下さった公民館主事の福田氏から、「参加者数は、大人(母親)14名・子ども21名の計35名で、とても盛況でした。」と言う事業をやり遂げて、ホッとしたようなメールを頂きました。参加者は毎年増えています。サブリーダーという影の役割の私どもも、嬉しいという他ありません。


参加者の様子
私どもの役割は、あくまでも講師の補助であると言う事をわきまえながらも、「親子共々、上手な所を誉める」ことで参加者の気分を盛り上げながら、今年も気を引き締めて、ご指導申し上げました。
 向かい合った親同士が子育ての楽しさや苦労話を始めるなど聞くと、「育ジイ」になったいる自分に気づいたりと、有意義は半日を過ごさせていただきました。
 私どもシニアは、どこに行っても周囲にいるのはシニアです。若い方々と交わるのはゴルフクラブの月例大会位です。しかし、今回は、文化財課や公民館の職員に若い方々がおられ、僅かですがおしゃべりできたのが収穫です。
 公民館や文化財課の皆さん、そして参加者の方々にお礼を申し上げたい。

 


今年は石を削る飛沫予防でマスクが配布された

子供たちと形の相談




アドバイザーは各テーブル1名配属
上手くいってる?


2013年8月5日月曜日

「大山道案内灯篭・夜間見学ツアー」無事終了      其の弐 「小稲葉界隈の灯篭」

  平塚市小鍋島から農道を通り、小田厚を越えて、伊勢原市下谷へ。そこで、過去に小稲葉の灯篭調査に尽力され、今回の案内役を買って出てくださった「伊勢原文化財協会」の陶山氏が乗車。再び、平塚市大島・遍照寺脇の灯篭No1へ。
 (位置図参照:詳しくはHPISEHARA・おもてなし隊の連絡帳」
     「調査報告4・相模大山街道筋灯籠(道しるべ)について」
 URL   http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page3 ☚ここをクリックしてください。

 ここは、点灯されていない。早速、持ち込んだ蝋燭を立て、点灯。「蝋燭は取り忘れないでね!」と言われたのに、撮影に夢中で、すっかり忘れて、再注意。立派な灯篭である。平塚も、小稲葉も皆同じように地域住民が持ち回りで管理しているらしい。場所も決まっている。灯篭には「町内安全」「大山講中」とか書かれており、道案内もあるが町内の「大山祭り」の灯篭感が強いと私は思った。

 続いて、灯篭No2からNo5まで狭い道もあったが何とか通過。以下、写真を中心に紹介します。
所感は写真下の説明で・・。
No1遍照寺脇辻(撮影:陶山氏)
この灯は蝋燭でなく、卓上電灯のようです。
一番頑丈にできています。








No2下之町(撮影:原氏)
記念撮影も入ってます。
文字は町内安全・大天狗・小天狗など書かれていました。
No3仲西重田商店角(撮影:宮崎清氏)
地域の方々が一緒に建てるようです。


No4八坂神社辻(撮影:宮崎清氏)
朴訥で、土地の方々の人柄がしのばれます。



No5細町あやめの里バス停前(撮影:宮崎清氏)
この写真が一番好きです。
この灯篭を右側から眺めた先に大山が見えています。

「大山道案内灯篭・夜間見学ツアー」無事終了      其の壱 「浄心寺(城所城跡)見学とその界隈の灯篭」

 平成25(2013)年8月4日(日)午後5時30分頃、小雨がパラつき、集合時間の6時には傘をさしての打ち合わせとなりましたが参加者11人が車3台に分乗。6時20分頃浄心寺についた頃には雨が止み、駐車場へ。下車した所へ、ひょいと現れたのが諏訪間氏。仕事が終わって駆け付けてくださった。嬉しがること一頻り。


 氏は初めて、「大山道灯籠」に私や東京の風人社の編集員を案内して下さった方で、公私なく伊勢原の文化財を大切にされている方です。現在は、「伊勢原市立こども科学館」で、その個性を如何なく発揮されています。         


 この企画は、<ISEHARA・おもてなし隊>ブログに掲載された、1昨年の記事「小稲葉地区大山道灯篭写真」をご覧になった市内の大学の方が寄せられた灯篭設置個所の質問に応え、さらに、火の入った夜間見学にまで突き進んでしまった、「やり過ぎ企画」。しかし、お誘いしたメール仲間が10人以上お集まりいただき、計画練り直しを迫られたほどで、大成功企画になってしまった。素直に、嬉しい。
 なお、この企画に、初めから賛同され、いろいろとご助言、下見などでご指導くださった「いせはら歴史解説アドバイザー1期生」で、「アドおおやまみち」を結成され、伊勢原の文化財保存や解説に尽力されている宮崎武雄氏と西部周子氏のお力が大きかったことを付記させていただきたい。

 見学灯篭は小稲葉界隈の5基と城所界隈の2基。

(位置図と城所城跡の記事はHPISEHARA・おもてなし隊の連絡帳」
     「調査報告4・相模大山街道筋灯籠(道しるべ)について」
  URL   http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page3 ☚ここをクリックしてください。

 6時中央公民館集合で明るい内に、浄心寺(城所城跡)も見学させて頂き、東海道新幹線設置のために削り取られた城所台地も眺めようという計画になった。
 浄心寺ではご住職さんが対応してくださり、パンフレットを頂いた後、本堂の奥にある貴重な縁起図や板碑などまで見せて頂きました。ご住職さんはかつて伊勢原市の文化財課勤務をされ、伊勢原の文化財保護に尽力された方。

お話されるご住職(撮影:宮崎清氏)


削り取られた台地を眺める参加者(撮影:宮崎清氏)
 その後、墓地の間を縫って、裏の高台に上る。その辺りから右側は急斜面。10m以上下は平地となり住宅が建っている。そこら一帯は新幹線の線路設置用に運ばれていった跡地である。そこを少し進むと下平間へ連なる城所台地で、畑が続き、墓地周辺は城所城跡か?


盗難から救うために浄心寺の奥の間に移設されている板碑(撮影:荒井氏)
 住職さんは言う。「この城所台地辺りは糟谷氏で、岡崎は三浦氏ですよ!」と。城所城跡が岡崎城跡の出城ではないとおっしゃりたいのだろうか!?詳しくはHP「おもてなし隊連絡帳」で・・・。

移設された城所の灯篭(撮影:宮崎清氏)
 前日までの調査では、城所も、小鍋島も灯篭は設置されていなかった。通り過ぎようとしたら、皆が道路そばにあると言う。戻ってみるとビニールハウス前に、修繕されて立派になった灯篭が建っている。昨年までとは場所が違う。近くにおられたおかみさんにお尋ねすると、「この灯篭の管理は地域の住民の持ち回りで、当番によって位置が変わる。」と教えてくれた。

   期待して、豚霊碑近くに行ってみたがここはやはり設置されていなかった。「もう、なくなるのかしら・・!?」誰かが不安げに呟いていた。
 翌日、豚霊碑近くで耕運機をかけていた地元の方にお聞きした所、「持ち回りで、持回った人の屋敷に建てる場合もあるので、今、何処か分からない。でもよ。建つのはお盆だぞ!」と言う話を聞いた。そう言えば、昨年まではとある屋敷のフェンスの中であった。と言う事は、屋敷内であれ、大山灯籠を建てる習慣は守られていると言う事になろう。安心した。お盆のころに、もう一度、行ってみよう。