氏は初めて、「大山道灯籠」に私や東京の風人社の編集員を案内して下さった方で、公私なく伊勢原の文化財を大切にされている方です。現在は、「伊勢原市立こども科学館」で、その個性を如何なく発揮されています。
この企画は、<ISEHARA・おもてなし隊>ブログに掲載された、1昨年の記事「小稲葉地区大山道灯篭写真」をご覧になった市内の大学の方が寄せられた灯篭設置個所の質問に応え、さらに、火の入った夜間見学にまで突き進んでしまった、「やり過ぎ企画」。しかし、お誘いしたメール仲間が10人以上お集まりいただき、計画練り直しを迫られたほどで、大成功企画になってしまった。素直に、嬉しい。
なお、この企画に、初めから賛同され、いろいろとご助言、下見などでご指導くださった「いせはら歴史解説アドバイザー1期生」で、「アドおおやまみち」を結成され、伊勢原の文化財保存や解説に尽力されている宮崎武雄氏と西部周子氏のお力が大きかったことを付記させていただきたい。
見学灯篭は小稲葉界隈の5基と城所界隈の2基。
(位置図と城所城跡の記事はHP「ISEHARA・おもてなし隊の連絡帳」
「調査報告4・相模大山街道筋灯籠(道しるべ)について」へ)
URL http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page3 ☚ここをクリックしてください。
6時中央公民館集合で明るい内に、浄心寺(城所城跡)も見学させて頂き、東海道新幹線設置のために削り取られた城所台地も眺めようという計画になった。
浄心寺ではご住職さんが対応してくださり、パンフレットを頂いた後、本堂の奥にある貴重な縁起図や板碑などまで見せて頂きました。ご住職さんはかつて伊勢原市の文化財課勤務をされ、伊勢原の文化財保護に尽力された方。
お話されるご住職(撮影:宮崎清氏) |
削り取られた台地を眺める参加者(撮影:宮崎清氏) |
その後、墓地の間を縫って、裏の高台に上る。その辺りから右側は急斜面。10m以上下は平地となり住宅が建っている。そこら一帯は新幹線の線路設置用に運ばれていった跡地である。そこを少し進むと下平間へ連なる城所台地で、畑が続き、墓地周辺は城所城跡か?
住職さんは言う。「この城所台地辺りは糟谷氏で、岡崎は三浦氏ですよ!」と。城所城跡が岡崎城跡の出城ではないとおっしゃりたいのだろうか!?詳しくはHP「おもてなし隊連絡帳」で・・・。
盗難から救うために浄心寺の奥の間に移設されている板碑(撮影:荒井氏) |
移設された城所の灯篭(撮影:宮崎清氏) |
前日までの調査では、城所も、小鍋島も灯篭は設置されていなかった。通り過ぎようとしたら、皆が道路そばにあると言う。戻ってみるとビニールハウス前に、修繕されて立派になった灯篭が建っている。昨年までとは場所が違う。近くにおられたおかみさんにお尋ねすると、「この灯篭の管理は地域の住民の持ち回りで、当番によって位置が変わる。」と教えてくれた。
期待して、豚霊碑近くに行ってみたがここはやはり設置されていなかった。「もう、なくなるのかしら・・!?」誰かが不安げに呟いていた。
翌日、豚霊碑近くで耕運機をかけていた地元の方にお聞きした所、「持ち回りで、持回った人の屋敷に建てる場合もあるので、今、何処か分からない。でもよ。建つのはお盆だぞ!」と言う話を聞いた。そう言えば、昨年まではとある屋敷のフェンスの中であった。と言う事は、屋敷内であれ、大山灯籠を建てる習慣は守られていると言う事になろう。安心した。お盆のころに、もう一度、行ってみよう。
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