2011年11月26日土曜日

岡崎義實の話といせはら景観フォトメッセージ展観覧


 26日(土)、14:00から図書館で「岡崎義實と鎌倉幕府(講師、東海大文学部 三田武繁先生)」があったので、その前に文化会館で開催している「いせはら景観フォトメッセージ展」を観覧。
 初日だが四,五人の観覧者がいた。思ったより応募写真は多く、子どもたちが94点、大人たちも150点以上で、見るのが大変であった。
 投票は当然、自分の作品にしたが子どもたちの作品の投票には、どうしても大山が関係している写真となった。特に大山と自然と現代の情景を写し取った作品を1位に記入した。
 何故か、私の写真が1番に飾られていた。コメントが役所を褒めていたからであろうか!?


2011年11月25日金曜日

道子窯体験ツアー報告(本焼き)

2011・11・25(金)、本焼き中という道子窯を見学訪問。
 化繊の着衣を避け、サングラスを鞄に入れて、私たちの後、体験した方と一緒に、9時半ごろ到着。
 道子窯は谷川に沿った谷底にある。上には灯油窯があり、その横に看板。星印のあるドアを開けると作業場である。折角なので、今日紹介した。






















普段はとても静かで、水音しかしない窯場に、音楽が流れている。
佐藤さんのお仲間の松沢さんが静かに火守りをされたいた。







 23日(水)火入れをし、既に3昼夜 燃やし続けていると云う。
 窯に温度は、一日目は800℃位までにし、徐々に温度を上げ、現在は、1253℃。これが1300℃まで上がれば終了という。
1250℃位から1300℃まで上げるのが大変なのだと教えて頂いた。
しかし、上手くゆけば26日には到達するかもしれないと云う。
26日原さんと来るはずだったが残念。彼に連絡しよう。
窯焼は28日までと知らされたが何時1300℃になるか分らないので、この様な予定になるのだと云う。












この窯はこの種の窯でも最小のものらしく、窯口を燃やす薪で埋めながら焼成する「薪蓋方式」という事である。もう一つのやり方は「投げ込み方式」と云い、蒸気機関車の石炭くべと同じ方法だと云う。

今日、燃しているのは、家屋の柱材となっている杉、檜材と灌木材とを併用で燃しているという。ある程度、重く、堅い木を使い、熾き火ができ、さらに火力の強い熾き火の方が良いと云う事である。

窯口を少し開けて頂き、中の様子を撮影。こんなことをしていると折角上昇した温度を下げるので滅多にやってくれない。大サービスだそうだ。







優しいそうな皿を成型した彼女が窯にそっと手をかざし、熱さを確かめている。







火を強めると、余った火の勢いは窯の奥に作った煙突から火柱が上がった。
「こんな焚き方は良くない。」と松沢さんは云いながらもやってくれた。
女性の訪問を受けて、様々な場面をパホーマンスして歓迎して下さった。
他所の窯では絶対あり得ないと云う。
しかし、人との結び付き大切されている「道子窯」主人は「袖すり合うも他生の縁」と笑った。
昨日は斉藤兄が来窯し、薪くべ作業を手伝う事ができたが今日は無理だと云うので、眠い目をこすり、説明してくれた佐藤さんの睡眠を邪魔しないためにと思い、昼前に引き上げた。







2011年11月24日木曜日

今年の刻字は「忍辱」

「忍辱」は「にんにく」と読みます。

3カ月かかって、ようやく終わりにしました。色付けはアクリル絵の具です。もっと、空色にしたかったのですが・・・。


「忍辱」とは、お釈迦さまの教えの中の「六波羅密」という六つの修業徳目の中の一つです。

六波羅蜜とは、六波羅寺解釈によれば、「この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。その六つの修業徳目は、布施(ふせ)・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧の六つです。」とあります。

難しいので、私は、曹洞宗の寺院が信者のために解訳している訳(写真参照)を愛読しています。

来年から、順次、刻字して行こうかなと思っています。

シニアの歌グループ「歌好き我ら」・訪問コンサートに行く

当ブロガ―の斉藤も所属していますが、シニアの歌好き仲間が何となく集まって作った「歌好き我ら」という歌グループが、初めて、2ヶ所の障害者施設を訪問し、歌を歌ってきました。






1122日(火)は平塚市南金目にあるNPO法人の「花」。

コンサート終了後、利用者と職員が畑で作った薩摩芋を使っての手作りお菓子を頂きながら、みんなでテーブルを囲み、楽しく談笑したのが忘れられません。

「定期的に来て下さい」と云って下さったのがとても嬉しかったなあ!「歌好き我ら」のメンバーは皆シニアですので、残りの人生、こんな風に歓迎してもらえるのに涙が出るほど感動します。

 帰りには牛乳パックで作った手作り葉書を頂いて帰りました。







翌日の23日(水・勤労感謝の日)は伊勢原市岡崎にある社会福祉法人施設「さくらの家福祉農園」の「収穫祭」のアトラクションとして出演しました。

担当者が練習場のカラオケ店「マリリン」に打合せに来て下さったのが嬉しかった。施設長さんのご好意にも感謝で一杯。撮影隊の原さんや西部さんにも感謝。

当日は小春日和で、市長さん以下、複数の市会議員さんや役所の担当者や近隣の方々の参加もあり、盛会に開催されました。

畑の真ん中での青空コンサートでしたが利用者や元歌仲間の飛び入り等もあり、賑やかに楽しく終了できました。

終了後は頂いた「お餅」券、「焼きおにぎり」券、「お茶」券等で、おいしい時間も過ごせました。

利用者が年間を通じ、有機農法で栽培した「米」や「みかん」「野菜」などを買わせて頂き、土産に持ち帰りました。最近は「ブルーベリー」の栽培も始めたようです。

 道端に「即売所」もありますので、馬渡辺りに来たら立ち寄って下さい。

2011年11月21日月曜日

道子窯体験ツアー報告(窯入れ)

11月21日(月)は素焼きした作品の窯入れの日です。
 ブロッガーは10時頃現場に着きましたが、焼成お仲間のM氏や斉藤兄が到着していて、既に「窯入れ」は始まっていました。
 私は写真などを撮りながら、しばし、窯入れを見学。
作品は一つひとつ、丁寧に粘土粒で台を作り、大きさに合わせて並べて行く。一度、並べては具合いを見て、並べ代えると云う根気の入る作業です。
 途中、窯から這い出て、壊れた作品の手当てなどもしながら、又、お仲間と相談をくり返しながら、ゆっくりと時間をかけて作業を進めていました。
 11時過ぎ、体験ツアーの仲間の作品を窯入れが終わった所で、何時終わるか分らない・・・・、と云う事で、斉藤兄弟は引き上げました。
 午後、岩熊氏が来所されたと云うメールをもらいました。お会いできず、とても残念です。12月の辻堂町内会コンペで会いましょう。

 焼成時の見学時は、1300度にもなる窯の温度を受けるので、化繊の衣服や手袋はダメ(火で溶ける)、サングラス着用(目を保護)、窯の周囲をやたらに触れない等のご注意を頂きました。 以下、写真の説明で、報告をします。
 焼成は、昼はM氏、夜間は佐藤氏で分担するようです。


窯入れ作業中の佐藤氏











左は粘土で台をくっつけた作品。
右は、焼成後の粘土台の跡。











この作品は素焼で軸の部分が折れたので、折れた部分を粘
土で保護し、釉薬や灰を掛けて溶かし、くっつけようと云う算段。
上手くゆけば良いが・・・。(熊ちゃんか野久保氏の作品)





斉藤兄の作品。成型時、皿の表面を叩き、凸凹の模様をつけたが本焼きで灰をたっぷり掛けて、表面を灰釉薬で覆い、平らにしようと云う算段。
 作者の期待ぶりは相当なもので、元会社の作品展に出して、仲間を大いに感心させようと興奮気味。









左の写真は一度焼成した作品です。弁柄がどんな風に仕上がるのかがはっきりわかる作品です。
中央部の濃い茶色部が弁柄で、上部や淵部の白っぽい部分は灰が溶けた部分だそうです。





窯の一番奥に、体験ツアーの仲間の作品が収まりました。
後は、上手く焼けるよう祈るだけです。
この手前に、佐藤氏とM氏の作品が並ぶようです。
M氏は陶芸のプロではなく、オーソリティーという佐藤氏からの紹介がありました。
よろしく、お願いします。

2011年11月20日日曜日

いせはら景観フォトメッセージ展応募写真④

市制施行 40 周年記念事業 「いせはら景観フォトメッセージ展」
 「いせはら景観フォトメッセージ展」は、伊勢原市のこれからの景観づくりをみんなで考える作品展です。
 「残したい」「良くしたい」「教えたい」「生かしたい」と思う、風景や景色、まちなみなどを写真とメッセージで紹介してください。

応募作品④<いつまでも残したい場所>                                       

撮影場所は岡崎5569番地、岡崎義実の家老宅であったと云う森氏宅の入り口辺りです。右側は最近、調整区域から解放された馬渡から大磯線に抜ける市道の北側で、平塚市の日向岡に見るような現代型岡状住宅群ですが様々な課題も抱えています。

その向こうに伊勢原の象徴「大山」が聳えています。この風景が見れるのはいつまでであろうか?「大山」を眺める度に、その思いは募ります。

 市道の南側はまだ調整区域ですので宅地化は進んでいません。40年前まで、この辺りの小川や堀では釣り竿で魚を釣ったり、ざるで掬えば小魚が獲れ、芹や数珠だま等を家族ずれで取りに行ったものでした。

 いずれは調整区域から外れ、宅地化が進むだろうと予測し、地価の値上がりなどを計算して、ニヤッとしたりした頃もありましたが、まだ調整区域です。

 「我がままと言われそうだけど、もう、このままで良いよねえ!?」「土地の値上がりより、このままの静けさが良いね?」と隣のご夫婦と話すようになった今日この頃です。                          
  



2011年11月19日土曜日

いせはら景観フォトメッセージ展応募写真③

市制施行 40 周年記念事業 「いせはら景観フォトメッセージ展」
 「いせはら景観フォトメッセージ展」は、伊勢原市のこれからの景観づくりをみんなで考える作品展です。
 「残したい」「良くしたい」「教えたい」「生かしたい」と思う、風景や景色、まちなみなどを写真とメッセージで紹介してください。

応募作品③<いつまでも残したい場所>                                         

ここは岡崎7000番地代と平塚市城所地区との境界線にあり、まだ里山風の風景を残している地域です。写真の手前には矢羽根川が流れており、かつての天神下から続く低地帯です。矢羽根川の治水化は進んだとはいえ、まだ、台風が来れば水があふれてきます。

しかし、この写真の周囲には様々な建造物が建ち、かつての里山風景を、そして、この古墳のような里山を左右から削り取っています。

撮影地は岡崎の6000番代の朝日新聞店辺りの平塚伊勢原線からですがこの間の田圃地帯を矢羽根川の鯉や訪れる小鷺や青鷺、セキレイ等と組みにして、何とか様々な木々の茂る公園にできないだろうかと夢のような思いを抱いている年寄りです。

私は伊勢原市をまだ「第2の故郷」とは思えませんが私の子どもにとっては「ふるさと」です。子どもたちには「誇れる故郷を残したい」と頑張っている老後です。

2011年11月18日金曜日

いせはら景観フォトメッセージ展応募写真②

市制施行 40 周年記念事業 「いせはら景観フォトメッセージ展」
 「いせはら景観フォトメッセージ展」は、伊勢原市のこれからの景観づくりをみんなで考える作品展です。
 「残したい」「良くしたい」「教えたい」「生かしたい」と思う、風景や景色、まちなみなどを写真とメッセージで紹介してください。

応募作品②<いつまでも残したい場所>

撮影場所は岡崎の5000番代、かつて岡崎城の野陣台であった丘の上です。戦乱の時代、城主、岡崎義実はここからどんな気持ちで「大山」を眺めてであろうか!?

この丘に登るには「みのり幼稚園」近くの我が家の門前から続いている畑の中の坂道を100メートル程登ればすぐです。大句の子どもたちの通学路にもなっています。

我が家の2階から眺めると、野陣台に続くこの坂道は、56年前、香港で撮影された名画「募情」を思い起こさせるほど詩情豊かに登って行く事ができます。

この野陣台については知ったのは、文化財課主幹の「伊勢原歴史解説アドバイザー」養成講座の終了時です。それからこの台地が愛おしくなってきました。

過去、この地を通りぬけて大きな道路建設が計画されたと聞いています。宅地化より道路の方がまだ良いと思っていました。少なくとも、宅地より広い空間が確保でき、大山の眺めもこの写真に近いように残ると思われるからです。

風景をそのまま残すのは難しいが、かつての風景をできるだけ残そうとする努力する姿は市民の方々の賛同と支持を受ける筈です。

2011年11月16日水曜日

いせはら景観フォトメッセージ展応募写真①

市制施行 40 周年記念事業 「いせはら景観フォトメッセージ展」
 「いせはら景観フォトメッセージ展」は、伊勢原市のこれからの景観づくりをみんなで考える作品展です。
 「残したい」「良くしたい」「教えたい」「生かしたい」と思う、風景や景色、まちなみなどを写真とメッセージで紹介してください。

応募作品①<いつまでも残したい場所>

  ここは岡崎5560番地にある、かつて岡崎義実の家老であったと言われている森氏宅の東側道路です。
 40年前、岡崎の天神下に転居して以来、犬の散歩などでこの細い、木陰一杯の坂道を通っていました。若葉、木陰、落ち葉、大小様々な木株、笹竹等と出合うたびに、生まれ故郷の置賜盆地を思い起こし、妙に癒され、心を和まされてきた、大好きな坂道でした。

「その内、この坂道は消えるだろうな!他人の土地だが何とか残したいなあ!!」と嘆息を繰り返していました。その度に、「市民の方々にクローズアップしたいなあ!!」と思いつつ、その機会に恵まれませんでした。

 あれから35年、今回、やっとその機会に恵まれ、大急ぎで撮影し、応募しました。

 「ああ、やっと、この坂道の事を人に話す事ができた!!」と今、云うだけでも心が満たされ、とても興奮しています。この企画に「ありがとう!!」と云いたい。                        

2011年11月14日月曜日

道子窯体験ツアー報告(窯出しと鉄釉塗り)

11月14日(月)素焼焼成の窯出し。10時に現場に到着。既に、佐藤、斉藤兄で窯出し開始していました。
窯の中は奥の方に作品があり、少ない感じですが本焼きの時は仲間の作品も入るので窯の中は一杯になるそうです。
写真で見ると分るとおり、黒い作品と茶色の作品がありますが茶色の方は火が十分に回っていますが黒い作品は良く火が回らなかった作品のようです。しかし、本焼きすれば高熱で焼くのでこれらの事は関係なくなるのだそうです。    皆、上手く素焼できたそうですが残念なのはコーヒーカップの取っ手や木の葉模様の皿の茎の部分が折れたことと云っていた。
 しかし、本焼きで置き方を工夫すれば上手く接着するとのこと。
 良かった。     


 その後、水漏れを防ぐための釉薬塗り。
 ベンガラ(弁柄)と云う赤い色の鉄釉薬を斉藤兄弟で集中作業。作者の名前を確かめたり、作品の特徴などを話題にし、丁寧な仕事ができた。
 佐藤師は特段気になる事も無いらしく、ゆったりと眺めている。自由にさせても、失敗などなく、面白い作品ができるという視点で見ているらしい。そうなればよいが・・・。

我々の体験ツアーのあと、若い女性が体験にやって来て2枚のお皿を成型してい行ったという。
優しそうな長方形の皿だ。12月の窯出しの時是非見て欲しい。
(写真は斉藤弟)

映画主題歌「募情」に感動!(ジャズワークショップ湘南コンサート)


 合唱団仲間で、町内会員の西部氏に誘われ、2011.11.12(土)平塚市中央公民館で開催されたJWS「国際音楽の日」記念コンサートに出かけた。西部氏ご夫婦には何かと、お世話になっているので、喜んでお誘いをお受けした。5時に迎えに来て下さると云う。勿体ない話だ。
 チラシを見ると「ピアノ 木崎二朗」とある。平塚では古くから活躍している地元ミュージシャンの一人である。若い頃、彼のピアノで下手なステップを踏んだのを思い出した。しかし、最も興味を感じたのは「募情」と云う文字である。これが聴けるなら私にとって最高のコンサートになる!「スターダスト」「黒いオルフェ」「アメイジンググレイス」とある。期待が高まって来た。
 会場はグランドシニアで一杯だ。
 開幕の第一曲はオカリナだ。素晴らしい。二曲目はハーモニカ。ブルースハーモニカのような余韻と広がりがある。三児の母であると云う厚木出身の若い女性。感動した。
 そこからが本番で「米田まり」というシャンソンの女声ボーカリストの舞台である。私が若いころ聞いたシャンそうとは一味違う、張りのある硬い声が特徴のようだ。
 「募情」は香港で撮影されたアメリカ映画の恋物語である。逢瀬を重ねる場所は小高い丘の上。坂道を登る二人のシーンに合わせて流れてきた主題歌が当時は話題になった。旋律が静かで、優しい。その後も時々流れているのを聞いた事があり、人気は高い。
 この坂道のシーンは、我が家の門から真っ直ぐに延びている、中世武士の野陣台であったと云う小高い丘に続く坂道に似ていて、一人悦に入っている。しかし、実際は大句方面から賑やかに駆け降りてくる小学生の集団がメーンである。
 本当はフルバンドで聞きたかったがバックスのピアノ、ベース、ドラムは主張しないが確かな輝きで流れている。サックスは最高。
 今日誘って下さった事に感謝して、又、自宅まで送って貰った。
 サントリーホールの「新世界」以来、久しぶりに自分だけの世界にもぐれて、命の洗濯ができた。
 

2011年11月12日土曜日

道子窯体験ツアー報告(焼成開始・先ず素焼)


6月、煤が谷・道子窯体験ツアーで成型した作品が1110日(木)からいよいよ焼成段階に入りました。                        私の経験では成型後、乾燥したら釉薬をかけ、焼成に入るという順序ですが今回は素焼から入ると云う事で、10日の10:3011日の2:00迄かけて、素焼を行ったそうです。                    なぜ素焼を入れたのかお聞きしたところ、以下のようなご回答を頂きました。                                                                                                                                                                                       本焼の前に、敢えて素焼きをすることで、次のような効果が得られます                  
 ①作品を乾燥させた状態で、液状の釉薬を掛ける(生掛け)場合、作品が割れたり、変形しやすいので、一般的には、生掛けを しないのが、主流のようです。                             800度程度で、素焼きをすることにより、水分が抜け切り、土の成分も変化し、ある程度の強度が  保たれ、壊れる心配も少なく、水分が抜け切っているので、液状の釉薬の吸い付きが良くなり、ムラなく釉薬が掛けられます。                                                素焼きをすることで、割れや大きな傷などが分り、本焼では更に、割れや傷も大きくなりますので、素焼きの時点で、選別する事ができ、本焼での失敗が少なくなります。                              

  写真は素焼焼成に参加した斉藤健吾兄の撮影。良く撮れています。                  
                
    


2011年11月4日金曜日

浄心寺(平塚市城所)と城所城との関わり

 当サイトブロガ―は、来年(2012年)の2月頃、伊勢原市岡崎にある「さくらの家福祉農園」の利用者と職員に、地元にある「岡崎城」の話をする事になりました。 
 「岡崎城」は平塚と伊勢原の岡崎地区にまたがる大きな地域で形成されており、さらに、その出城と目されている所が「城所」にあります。
 「城所城」と云い、浄心寺の背後の城所山の上にあったと云う事です。

  この裏山は昭和41(1966)年に新幹線設置の盛土の採土により切り崩されて、「城所城」の遺構は壊滅しましたが、浄心寺の墓地の一部に土塁らしきものが見られると書いているサイトもあります。しかし、浄心寺のご住職に伺った所、そう云う事実はなく、土塁とされている盛土はずっと後世のものだそうです。
 もともと、「浄心寺」は観應年間(14世紀)、平安時代に権勢を誇った藤原氏の末裔が館を築いた城所氏の館跡に建立されたと言われているが良く分かりません。今後、ご住職に教えを乞いたいところです。












  と云うのも、浄心寺は7年前からブロガ―の兄者の菩提寺となり、その関係で、当寺が地元の方々に開いておられる写教会のお仲間に入れて頂き、在職中の3年間の管理職時代に逝ってしまわれた11名の子どもたちの供養のため、一霊100枚、合計1100枚の写経を発願、今日でやっと310枚目。寿命まで、残りの写経を成就させるため、邁進させて頂いている大切なお寺なのです。
休憩時のお茶の席で、写教会の皆さんの話によりますと「平塚市城島」という地名はもともと「木島」という文字だったそうです。とすれば、「城所」も「木所」で樹木が繁栄していた小山であったとも云えそうです。地元のご婦人方の、岡崎城に関する新情報も入手できました。
岡崎城の事は来年掲載します。
 11月4日、いつものように写教会の例会に参加させて頂き、ご住職と写教会の皆さんにお願いし、写教会の様子と浄心寺の裏手辺りを撮影し、uploadさせて頂きました。
 浄心寺の近くにある貴船神社には、頼朝が正室政子の、安産祈願を命じたと言われる三面大荒神があります。これは知りませんでした。
 先日、平塚市北豊田の新幹線近くの荒れた木立の中に、岡崎義實の宿敵、大庭氏の墓跡を見つける等あり、岡崎城の調査研究には、平塚市史に深く立ち入る必要を感じました。

  写真説明
  1枚目☛城所城要図(中世城郭事典より転載)
  2枚目☛浄心寺の裏手。城跡の小山が採土された所。
  3枚目☛浄心寺の墓地。上部に見える丘が続いていたらしい。
  4枚目☛写教会の様子(この日は参加者が4,5名少なかった。)
  5枚目☛貴船神社(三面大荒神社)