2014年6月21日土曜日

毛呂山・越生・圏央道・弾丸ツアー200㎞<その3> 高林謙三のこと☛「高林謙三って誰!?」


町田氏のガイド手順では、「石尊山」の次は「權田直助の生家跡」。そこでは生家跡で「米店」を経営する岡部和雄氏が待っていることになっていた。岡部氏は毛呂山町議で、多忙ゆえ、時間を決めての対応だったらしい。「石尊山」を二手に分かれ、大急ぎで下山。

 

「高林謙三」の事を話題にしたのは、その下りの時であった。

「高林謙三が医師から、茶葉製造機の発明者になった理由は、権田直助の影響ではなく、単に、“西洋医術医師として移住した狭山地方の茶栽培農家の経済状態を豊かにしたいがために・・。”だけの理由だったようです。」という。

「なんだか、彼女の期待を裏切るようで、答えにくいから、後は任せます。」とも言われた。

彼女とは、厚木市に居住されている「裏千家茶道助教授 上原美奈子氏」の事である。

上原氏のブログより転載

先日、彼女から次のようなメールを頂戴した。

 

『お問い合わせ内容』

はじめまして。最近、権田直助という名を知ったばかりの厚木市民です。上原と申します。

615日に、伊勢原の雨岳文庫さんでお茶摘みをさせていただき、釜炒りで製茶して、同じく伊勢原の松鈴庵さんでできたてのお茶を飲もうという会を開きます。

伊勢原のお茶について調べているうちに、高林謙三氏が権田直助氏に漢方を学んでいたことを知りました。高林謙三というのは、茶業の世界では誰もが知っている人で、粗揉機開発など日本の製茶を機械化した先駆者です。私も清川村でお茶を育てておりますが、有名な高林謙三がもとは医者であったことは知りませんでした。

日本の茶業史に欠かせないこの方が、医師から茶業家に転向する理由に大変興味を持ちました。氏に影響を与えた人はいろいろあるかと思いますが、今回はお茶会が大山でもありますので、権田直助とのかかわりについて、特化して調べてみたいと思ったのですが、もう日もなく、大変ご無礼なお願いで恐縮ですが、もし、ご存知のことがありましたら教えていただきたく、また、これを読むべしなどのご示唆をいただければありがたく、メールをさせていただきました。
Facebook
でお茶会の案内を公開しておりますので、ご登録がなくても覗いていただけますので、ご参照いただければと思います。またよろしければ是非ご参加くださいませ。


        

    

    https://www.facebook.com/events/1475856272631643/

大山のお茶についても、調べていきたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。素晴らしいサイトに巡り合えて大変うれしく思っております。                                        

                    上原美奈子


 

しかし、高林謙三なる人物を全く知らない。そこで、、狭山に近い毛呂山町の皆さんに回答の援助を求めていた訳です。

長くなりますが私たちの間では話題になることが無い御仁なので、もう少し続けたい。

茶葉粗揉機(長峰園HPより)

高林謙三は埼玉県では著名な茶業機器の開発者であった。若い頃は医者をめざし、権田直助の門人となったが後、西洋医学に転じ、狭山地方で開業。この地は茶業で生計を立てている方が多いが、豊かでない方々が多いのに発奮し、茶揉機の改良に専念。しかし、上手く行かず、一時は貧困に喘いだこともあったが「茶葉粗揉機」の開発に成功した茶業界の恩人であるらしい。

サイト「狭山茶の歴史より転載」

立公文書館サイトによれば「埼玉県狭山で茶園を経営していた高林は、茶の生産量の増加には機械化が必要なことを痛感し、生葉茶葉蒸器械(特許第2号)、焙茶器械(特許第3号)、製茶摩擦器械(特許第4号)を発明しました。」とある。また、「明治31年に特許を取得した「高林式茶葉粗揉機」(特許第3301号)は、手揉み動作を機械内部に備え付けたもので、製茶機械化への道を開く画期的な発明でした。」と言う事です。

 

上原氏はこの高林氏の偉業に関して、「漢方医学、つまり権田直助の影響があったのではないかと推察し、また、直助が「茶の効用を知り、己の医業に活用していたのではないか?」と期待したのである。

しかし、実際には、高林は西洋医学に転じていたので、茶業に転向したのも茶業を営む農家を助けたいと言う一心であったらしい。町田氏が話しずらかった理由は、医学と関係なかった高林氏の茶業転向の事である。

 

しかし、上原氏には、このことはきちんと伝える必要があったので、このブログを使わせて頂いた。


ただ、今後、直助が茶の効用を重要視したかどうかなど、検証すると同時に、縁があった「山口家」の座敷で、「ISEHARA・おもてなし隊」主催で、上原美奈子氏の「茶に関する世界のお話し」をタダで伺う機会を狙っている。一寸、図々しいかな!?

なお、この記事を書くに当たっては、次のサイトを活用させて頂きました。

 

①茶の葉の声に耳を澄まして http://blog.goo.ne.jp/camellia4387

 

狭山茶の歴史(クリック)

 

h発明のチカラ(国立公文書館)(クリック)

 

狭山のお茶作り(クリック)


追記

本日、毛呂山町郷土史家、町田美雄氏より、高林健三に関する情報を頂きましたので、追加いたします。

◆6月20日、日高市立高麗郷民俗資料館に寄りましたので、資料館管理者の許可を得て、高林謙三関連の写真を撮ってきましたので送ります。

 高林謙三に関する資料は、写真に写っているのみで、他にはありません。

 
高林式粗揉機

 


 

 

次回は、権田直助生家跡から、毛呂山町名物「柚子うどん」の昼食についてUPします。

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