2014年6月30日月曜日

オーイ!山形・置賜人!故郷が新聞に載ってるよ! JRの「DC」CMだけどね!


「DC」って何だ!

 ウェブサイトで調べたら、JR各社と指定された自治体や地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーンのことだって。Destination(目的地・行き先)とCampaign(宣伝戦)の合成語。「DC」「デスキャン」と略されることがあるんだって・・・。

 と言う事で、今回、JR東日本が山形県と協働して、山形県の観光キャンペーンをしているらしい。新聞の半面を使ったCMが2回も掲載されている。嬉しくなって良く見ると「置賜盆地」の事も載ってるではないか!

 南陽市宮内の熊野神社。昭和20年代は宮内町の「熊野神社」だった。しかし、村から出たことが無かったので見たことが無かった。馴染んでいたのは大塚村の「熊野神社」だった。

 高畠町の『草木塔』。これも有名ですね。「山川草木悉有仏性」。中国の高僧の教えだと思ったよ。しかし、思い出は、高畠町の洞窟から発見された縄文期の遺物ですね。12歳上の長兄と二人、自転車を駆って、見学に行ったのは昭和35年の夏休み。一番私を理解してくれた長兄だったが52才で死んじゃった。今は、甥っ子が家を継ぎ、お墓をきちんと守っていてくれる。安心だね。

 

 置賜盆地の家々は、高校の教科書に出てくる「散村」で、皆、「屋敷林」で囲われ、冬の吹雪の時は凄い音がしたね。布団の上に雪も吹き込んできた。

 家々は、上杉鷹山公の言いつけを守って、戦後まで、屋敷で正月用御馳走の「鯉」を飼い、その他、にわとり・あひる・ウサギ・豚・牛・馬・ヤギ・犬を飼い、客があれば、牛・馬・犬以外は皆首をしめて、皮をひんめくり、接待用に使ったね。子供たちはペットのように仲良かったが、結局は食うためだと知っていたから、首をしめるのを喜んで手伝ったね。肉なんて食えるのは、滅多に無かったよ。また、垣根には飢饉用

に、食用の「ウコギ」を植え、朝食は一汁一采、養蚕やたばこ栽培にも励んでいたよ。よ。)

 伊勢原にも置賜人は一杯いるよ。同じ村出身だっているよ。新潟人には負けるけどね。

 今年は、大山の何処かで「芋煮会」をやるので集まろうよ。

写真はクリックすると大きく見えるよ。)


 

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