5月11日大山登山時に遭遇した高尾山講中の皆さん |
標記の件、東京世田谷の小野さんより、次のとおり、情報提供を頂きましたので、お知らせします。
斉藤様
以前、富士講が、高尾山、富士山、大山の順に廻ったことをお話ししたと思いますが、
そのルートが分かりましたので、高尾山講の締めくくりをする意味で送信しました。
富士吉田までのルートは、山岳小説の第一人者である新田次郎の小説から拾いました。
今回の調査で、新田次郎の小説が正確な史実に基づいて書かれている実感を持ちました。
すごい小説家です。
後半ルートは、絶版本が、最近手に入りましたので、その中のものを記載しました。
小野克己
江戸町民の富士講・参拝修行
(高尾山が富士山の前立ち大山が後立ち信仰)
参詣ルート
~【高尾山】~駒木野☆~小仏峠~犬目☆(宿泊)~大月~<富士山道>~谷村☆~富士吉田
~【富士山】~須走~御殿場~足柄峠~<矢倉沢往還>~矢倉沢関所~関本~松田~波多野
(秦野)~<大山道>~蓑毛~【大山】
(参考文献)
○有賀密夫著『大山門前町の研究-門前町の形成と御師の活動と檀家圏-4大山への参詣道』
雄山閣 平成4年(民衆宗教史叢書第22巻)∥富士吉田から後のルートについて∥
(注釈)
☆高尾駒木野 旧甲州街道沿い、現・小仏関所跡があるところ。
小仏関所は、江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所である。
天正年間(1573から92)に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後(1590年)関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれている。
☆犬目 山梨県上野原市、旧甲州街道の宿場町の一つ。上野原宿から野田尻宿を経て西へ犬目峠を越えると犬目宿に至る。江戸から富士講信者がこの道をたどった。
☆谷村(やむら) 谷村は山梨県東部(都留市)の中央部に位置する。狭隘な平野部に位置し、標高は490メートル付近。谷村には、近世に確立する甲州街道から分岐し吉田地方(富士吉田市)へ至る富士道が南北に通る交通の要所にあたる。
(26.7.2)
江戸町民の富士講・参拝修行
(高尾山が富士山の前立ち大山が後立ち信仰)
参詣ルート
~【高尾山】~駒木野☆~小仏峠~犬目☆(宿泊)~大月~<富士山道>~谷村☆~富士吉田
~【富士山】~須走~御殿場~足柄峠~<矢倉沢往還>~矢倉沢関所~関本~松田~波多野
(秦野)~<大山道>~蓑毛~【大山】
(参考文献)
○有賀密夫著『大山門前町の研究-門前町の形成と御師の活動と檀家圏-4大山への参詣道』
雄山閣 平成4年(民衆宗教史叢書第22巻)∥富士吉田から後のルートについて∥
(注釈)
☆高尾駒木野 旧甲州街道沿い、現・小仏関所跡があるところ。
小仏関所は、江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所である。
天正年間(1573から92)に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後(1590年)関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれている。
☆犬目 山梨県上野原市、旧甲州街道の宿場町の一つ。上野原宿から野田尻宿を経て西へ犬目峠を越えると犬目宿に至る。江戸から富士講信者がこの道をたどった。
☆谷村(やむら) 谷村は山梨県東部(都留市)の中央部に位置する。狭隘な平野部に位置し、標高は490メートル付近。谷村には、近世に確立する甲州街道から分岐し吉田地方(富士吉田市)へ至る富士道が南北に通る交通の要所にあたる。
(26.7.2)
0 件のコメント:
コメントを投稿